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世界史としての第一次世界

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東洋経済「世界と日本の近現代史」60冊

 

この本は4人のジャーナリストや学者へのインタビューをもとにしています。

その中から第一次次世界大戦に至る政治・経済だけを抽出し、とそれに対する感想です。

 

 

私が学生の頃は第一次世界大戦の原因の一つとして、ドイツの3B政策とイギリスの3C政策の対立を暗記させられた。

現在の高校の教科書から3Bと3Cの文字は消えている。

3Bに必要な鉄道建設費用のないドイツが国際金融市場で融資を募ったときに出資したのはイギリスなので対立はうかがえない。

3Bはベルリン/ビザンチウム/バクダッドを結ぶ線だが、当時ドイツの支配下になく、3Cとは地理的に全く接触していないので対立のしようがない。

だからこれは嘘だと説明されている。

ではなぜ我々は昔そう教えられたのか?

それは、当時レーニンが書いた「帝国主義論」にある。

資本主義が膨張し、国内だけで生産消費できない→帝国主義→植民地政策→侵略戦争。これが戦争の原因であると説明している。

実際に当時の戦争は第二次大戦を始めとしてこの図式に当てはまる事が多かったため戦後日本でも採用されたとする。

三国同盟三国協商も、他国と戦争をするためではなく、戦争に巻き込まれないため、敵国を増やさないことが目的だったが、結果としてこれが理由で戦争に巻き込まれてしまったとの事。

ロシアと対抗するためにNATOに加入する国が多いが、NATOに加入することで逆に参戦義務が発生して戦争に巻き込まれる可能性があるのではないか。

また、軍事同盟における相互防衛義務違反や中立義務違反は具体的に何を意味するのか定義が難しく、あとから解釈変更されることが多いと書いている。

尖閣諸島が攻められた時、それは「日本」にとっての軍事的脅威だとしても、安保条約に書いてある「日米共通」の軍事的脅威にあたらないと解釈されるのではないか。

また、軍事的脅威に対処する「行動」とは派兵でなく、ウクライナで行われているような衛星を使用した情報提供や武器や医薬品の提供の事かも知れない。

ウクライナNATOに加入していないためロシアから攻撃されたとするなら、軍事同盟に加入しようが、しようがしまいが結局戦争に巻き込まれるのか。

この本では、軍事同盟は古くから、自国に有利な場合は守られるが、不利な場合は同盟から逃れる方法を探すのが常だと書いている。

だから、軍事同盟があって仲間が困っているから助けようなどと言った、仲良しクラブは国際政治では当てはまらないと書いている。

そうならば、日米安保に依存していても、総合的にアメリカにとって利益がなければ、形だけの軍事支援で終わるのだろう。

軍事同盟は意味がなく、集団的自衛権は意味があるとする意見をTVで見た。日本もNATOに加入すべきとの意見もあるが、唯一極東の日本が攻められた時、遠い西欧から軍事覇権してくれるのか。果たして東アジア中国やロシアに対抗できて日本が参加できる集団的自衛組織が組成できるのか疑問を感じる。

教科書では大戦の責任をドイツの帝国主義としているが、この本では第一次世界大戦の原因は「グローバリズム」だとしている。

1870年代から第一次大戦前を第一次グローバリゼーションと定義している。

イギリスが制海権をもっていて自由貿易主義であり、蒸気船や鉄道により大量の移動が可能となり、電信技術の進歩や海底ケーブルで情報もグローバル化した。

人、物、金、情報が低コストで遠方まで移動できることになった。

資源の価格もグローバル化し、統計では小麦や資源の価格が世界的に収れんしていったという。

交易のグローバル化が金融のグローバル化を促し、金本位制へ移行した結果、保有する金の範囲内でしか自国通貨を発行できなくなったため、財政支出による福祉政策ができなくなった。

 

開戦前の1913年の世界の貿易依存度はとても高く、日本は未だに当時の貿易依存度まで行っていないという。これは驚きだ。これだけサプライチェーンだとか、円安で物価が上がると報道されていても100年前の貿易依存度を下回るっているとは。

グローバリズムにより各国で分業が進み、世界経済全体や、一国全体で見れば経済はプラスになる。特に国際比較優位な産業は栄えるが、そうでない国内産業は衰退する。

例として、安い穀物流入、農民と地主が貧困化。労働者の賃金は緩やかに上昇するが、グローバルな景気変動で雇用が安定しないし、それを上回って資本家に富が集中するため格差が拡大。

国が豊かになる中で衰退する産業に属する人々が貧困化し不満が高まり、それが排外主義やナショナリズムを強めるという。

新大陸では鉄道の施設や農地開墾に人手が不足しており、最初は欧州から新大陸への移民。次に黒人、最後にアジア人が新大陸に移民する事で賃金が抑制された。

ナショナリズムが強まると、自分たちの職や給料が不安定なのは外国製品の輸入や移民が問題だという外国への猜疑心が強まっている状態。

敵は製品や移民を送り込む特定の外国であり、国内にはそれを受け入れるリベラルやグローバル企業が存在するのでそれは裏切り者とされる。

ナショナリズムを煽る事で、新聞は部数を伸ばし、政治家は安易に票を獲得できる。

例えば社会保障を充実する政策は財政の制限があり簡単ではないが、外に敵を作る事はお金がいらない。

オーストリアハンガリー帝国の国内問題があっという間に全欧州を巻き込んだのは、下地として欧州でナショナリズムが高まっていて、国外に敵を探している状態だったという。

オーストリアハンガリー帝国の暗殺された皇太子は、国内のスラブ系の自治権を認める派閥、当時の皇帝は絶対反対派閥。

ここで容認派の皇太子が隣国の青年に暗殺され、ナショナリズムが高まった。

これってアメリカのラスベルの支持を受けたトランプの関税主義と移民禁止であったり、欧州の黄色ベスト運動や移民制限や右翼党の進出と同じ事なのでは?

仮に今、平和を希望している日本の皇位継承者が朝鮮半島の青年に暗殺されたら、ナショナリズムは高まるだろう。

グローバリズムと資本主義の暴走が格差を拡大し、国を分断する仕組みは昔も今も同じだと解説しており、その点は納得できる。

日本のナショナリズムについて。日本は地位協定などにより実質的にアメリカに支配され続けていると解説している。

なのに自民党ナショナリストアメリカ支配からの脱出について触れない。

だから日本のナショナリズムは歪んでいるという。

日本がアメリカと戦争したことを知らない若い世代がいると書いてある。歴史の教科書では近代は後ろにあるのでそこまで授業が届かずに終わるという。

本当ですか?確かに自分の受験で近現代は出題されないと言われていましたが、真珠湾攻撃や特攻隊、原爆投下、B29の空襲など日米戦争は常識でしょう。

沖縄を絡める辺りからちょっと偏向を感じる。

 

旧大国のイギリスを新大国のドイツが追い越すパワーバランスの変化が摩擦と戦争を生んだ。但し最盛期の英国の世界GDPは9%、アメリカは25%。

旧大国のアメリカを新大国の中国が経済面でも軍事面でも追い越す事に加えて、白人と黄色人種の人種問題、自由民主主義と強権共産国家という社会体制の違いがある。

いずれも人類の歴史で解決できなかった対立軸ばかりだ。米中は地理的に離れているのでウクライナ独ソ戦争のように土地を占領する全面戦争は生じないだろうが、現代の戦争はミサイルやネット戦争など物理的に離れていても発生する

19世紀のグローバル化は、北に工業が集中し、南は1次産業が集中した。インドには綿産業が盛んだったが、イギリスの機械織綿製品が流入したため原料の綿花を輸出するだけの国になった。

その後、情報のグローバル化により南に工業が勃興した。北は企画とマーケティングをするだけで、南の工場で生産する。

工業は北先進国の地方の職を失わせ、サービス業へ転換した。サービス業は人口密集地で成立するため、地方から都市へ若者が流入した。

都市では高所得技能者と、単純サービス提供者の2極化が発生する。

日本の課題は、反グローバリゼーションが進む場合に備えて自給自足を進める事。

東京への一極集中を緩和する事。災害や安全保障、少子化、地方の多様な産業発展が必要と結論している。

東京本社で地方勤務が長い自分の感想だが。

まず人口が減少する日本で「地方」とはどこを意味するのか。

限界集落ではないだろう。政令指定都市でもない。30万人都市?

大東名博札は確実だろうが、仙台、金沢、広島、鹿児島はどうだろうか。

小さな子供がいる若夫婦が地方に移住して半自給自足生活するTV番組や、子供が独立した60代夫婦が地方で生活する話を見る分にはいいと思うが、子供が高校進学や就職するほど育った時、老夫婦が要介護になったときを考えているのか疑問だ。

ライフステージによってどこに住むのか正解は異なる。

子供の幸せは子供が決める事だが、子供により多くの選択肢が与えられるのは都市部だろう。

 

 

 

北斎展

富嶽三十六景 神奈川沖裏

 

 

サントリー美術館北斎展を見る。

 

コロナ禍で予約が不要な展覧会を探して六本木に向かう。

版画は主に大英博物館から、肉筆画は主に国内から集めたようだ。

入口では有名な凱風快晴の赤富士に迎えられる。                                                                 この版画は 4色のみで刷られ、究極の省略美と言われる。

美術展で許可されている神奈川沖浪裏の写真では、プルシアンブルーの美しさととカギ手の波の独自性が記憶に残る。

                                                              

何千枚も刷られたとはいえ、約200年前の版画が現代に残っていることに感謝したい。

北斎は7歳から絵を描き始め、逝去する90歳の直前まで絵を描き続けている。

70歳まではロクな絵を描かなかったが、70歳を過ぎて上手くなり、80歳を過ぎてから年々上手くなっている、今後も上手くなり続けると思うと北斎自身が書き残している。

爆発的に売れた富嶽三十六景を出版したのが75歳で遅咲きの浮世絵師と思うかもしれないが、60歳の時には浮世絵番付で1位になるなど既に人気浮世絵師であった。

70歳で番付は別格になっているが、孫の借金を肩代わりすることになりお金が必要になったり、中風(軽い脳卒中)になって自家製柚子薬で治したり大変な時期の後に、

富嶽三十六景を出版しているのだから人生はあきらめない事が大切だ。

88歳で弟子のために絵手本を描いているが、これが沢山の動植物、景色、日用品とともに解説もびっしりかかれていてその技術、集中力、体力に驚く。

また88歳で鴨の掛け軸(流水に鴨図)を描いているが、鴨の羽毛の色や形が繊細で、水に潜っている鴨を透けて描く技法は独特で超人的だ。

 56歳の自分が、上手下手は気にしないから描いてみろと言われても無理。                                                                                                                                          

人物、風景、花鳥、お化け、詩や歌の挿絵などあらゆる対象を多様な技法で描いている。

大英帝国のキュレーターや日本画研究家から一人の画家が描いたとは思えない多彩な作品群であり、北斎研究は1人では無理だと書かれていたが。

80年間向上心を持って絵を描き続ける事が出来た職業画家は世界で何人いるかを考えれば、世界屈指の技能を持つに至るも不思議はない。

 

尾州不二見原では大樽の丸の中に富士の三角が入る構図は架空のものだろう。

神奈川沖浪裏でも波に囲まれた半円のなかに富士を治める構図は実際に見る事が難しいだろう。

遠江山中では画面を斜めに横切る木材は脇役がこんなにど真ん中に置かれる不自然さが印象に残る。

北斎の風景画を見ていると、画の構図を重視するため非現実な構図がとられ、デフォルメが行われる一方で、描かれる風景は画紙の大きさをはみ出て、一般人が描く風景のように景色がこじんまりまとまって画紙に収まるものとは異なる構図となっているのが印象的だ。これはあくまで個人的感想なので解説ではありません。

 

最晩年に出版された百人一首を題材にした「うばがえとき」は多色刷りが過ぎて採算に合わず、捻りが利きすぎて見ている人が理解できないという理由で余り出版されなかったそうだが、自分の余命を考えて渾身の力作が、商業主義とは相いれないという事は芸術にはよくある話だろう。

当時版画は掛けそば2杯程度の価格だったので凝った絵が採算に合わないのは理解できる。

そうではあってもこのように色遣いが美しく、200年を超えても芸術品として残った結果を見れば本望だろう。

北斎は生涯で90回引っ越ししているが、平均1年に1回引っ越ししていればもはや引っ越しではなく住所不定の浮浪者だろう。

但し当時の江戸庶民は引っ越しが多かったそうだ。北斎自身は火災にあったのは生涯で一度だけだそうだが、当時の江戸は人口が増加し続けていて、火事や地震など災害も多かったので江戸の住民は引っ越しが多かったのだろう。

江戸の半分は大名屋敷であり、残る半分は商人と職人だったのだろう。農地に縛られる農民は中心部にはおらず、独身の男性ばかりの都市で荷物もなければ引っ越しの自由度やコストは安いだろう。

北斎は30回改号したそうだ。人生60年なので60歳で新たな人生が始まるとして60歳で為一に改号している。

晩年は画狂老人、卍としている。

百物語は現代に5枚しか現存していないようだ。こはだ小平二は一度見たら忘れない奇妙な絵だ。私が若い頃見たときには、なぜあんな綺麗な富嶽の絵を描く絵師がこんな気持ちの悪い化け物の絵を描くのか不思議だったが、北斎は「人物を書くには骨格を知らなければ真実とは成り得ない。」とし接骨院に弟子入りして、接骨術や筋骨の解剖学をきわめ、やっと人体を描く本当の方法がわかったと語った。

弟子の証言では、「先生に入門して長く画を書いているが、まだ自在に描けない…」と嘆いていると、娘阿栄が笑って「おやじなんて子供の時から80幾つになるまで毎日描いているけれど、この前なんか腕組みしたかと思うと、猫一匹すら描けねえと、涙ながして嘆いてるんだ。何事も自分が及ばないと自棄になる時が上達する時なんだ。」と言うと、そばで聞いていた北斎は「まったくその通り、まったくその通り」と賛同したという。

北斎は晩年になっても画法の研究を怠らず続けていた逸話だ。

北斎は偏食で、自分で料理はせず、生魚は調理が面倒で貰ったら人にあげる。好物は大福もち。3食外食や出前。ゴミも捨てず、運動もせず、秋から春は炬燵に入ったまま絵を描く。

それで90歳近くまで生きたのだから基本的にストレスが少なく、持って生まれた体が丈夫だったのかな。

多くのサラリーマンは22歳から65歳まで、お金のために、組織の貢献のために意に沿わない仕事を40年以上続ける。

そして定年後は生き甲斐を失い、うつ病になったりして老け込む。

一方、北斎は7歳から絵を追求し続け、70歳を過ぎて大ベストセラーを描く事ができ、90歳で死ぬまで向上心を持って素晴らしい絵を描き続けた。

意に沿わない40年と自己向上心の40年の差が65歳以降の生きがいや幸せに影響するのは当たり前。

自分は既に30年以上組織のために、意に沿わない仕事を続けてきた。残されているであろう約20年を再雇用で継続するのか、違う生き方を目指すのか、答えは出ていない。

黄禍論

 


東洋経済において、世界と日本の近現代史がわかる60冊
が特集されていた。
まず手始めに「黄禍論」廣部 泉 氏著を呼んでみた。

高校教科書の第二次世界大戦の部分を見ても、「人種差別」というワードは一度も出てこない。

教科書では遅れて植民地主義を進めた日本が先にアジアで植民地を築いた欧米との資源獲得戦争に敗れたことになっている。
事実であろうが、そこには白人による黄禍論の潜在意識も含まれていたのだろう。

そして黄禍論は昔の話ではなく現代にも生きている。
例えば日本の高度成長期。
1970年の日本→アメリカの繊維製品の輸出WTは25%。
西ドイツ→アメリカは22%

同じく日本車は30万台だが、ドイツは60万台の対米輸出台数。
しかし、ドイツには貿易制裁が科されず、製品をハンマーで壊すこともなかった。

このころライシャワーが新聞に寄稿した内容。
日本人の工業技能に中国が加わり2国が一体化すれば世界経済を征服できる可能性があるとしている。
これは第二次大戦時に、日本の将兵に中国人が指揮されれば軍事力において欧米を上回ると言っていた事の経済版だろう。

日本+中国=優秀な工業力+膨大な市場と労働力だけでなく、黄色人種の台頭を意味している。

副大統領のモンデールの演説では、日本人がアメリカ製品を買わないなら、横浜港に米軍と一緒に入港すればよいと語っている。
流石にワシントンポストは「恥を知れモンデール」と記事にした。
ドイツを叩くより日本を叩いた方がアメリカのブルーカラー層には受けるという人種差別の本質が窺える。

それを指摘したのは黒人のアメリカ人。
アポロ劇場の所有者は「日米経済摩擦は単なる経済の事だけではない。
ちびで褐色で釣り目の猿に自国企業が買収されることが感情として許せないのだ、だから日本の2倍車を輸出しているドイツではなく日本が攻撃されると解説している。
ソ連にスクリューを販売した東芝は制裁されるが、同じノルウェーは制裁されない。」と実例を挙げている。

日本の通産大臣も、日本攻撃が度を越して激しいのは、人種差別感情も含まれているのではないかとコメントしている。

インドの新聞の記事。対米投資額の1位は英国の4,000ドル、2位がオランダ。
3位が日本の2,500ドルなのになぜ日本だけがロックフェラーセンターやコロンビア買収投資を攻撃されるのか?と書いている。

アメリカの通商代表代行は、西洋の国々が日本ほど経済大国になっても脅威は感じない。価値観の異なる顔の見えない異質な日本が経済大国になる事には脅威を感じると答弁している。

日本は利己的な経済利益のみを追求し、外交思想や国としての目的はなく、個々の民間企業が蟻のように世界を食い尽くす、欧米の民主主義国家とは異質。

冷戦は民主主義VS共産主義だったが、冷戦が終結した時、人種間の争いが起こると「文明の衝突」でハンティントンが論じてワシントンで一世を風靡した。
人類は常に何らかの対立軸を作り出して争うものなのか。

アメリカの人種差別で最重要は黒人差別だが、これは国内問題。
そして911テロは中東人種差別だが、これは資源戦争。

日本や中国人差別は経済と安全保障問題。
アメリカで人種差別が起こるたびに「自分の国に帰れ」論がでる。
最近ではトランプによるメキシコ移民帰れ発言が有名。


2002年のSARSは広東と香港で流行し、その後トロントで流行した時にはアジア人差別が行われた。
バスや電車ではアジア系の隣の席だけが空いている。
乗車拒否も発生。
当時NYでは感染者が一人も出ていないのにチャイナタウンが感染源とされて封鎖された。
それより100年間にはサンフランシスコで腺ペストが流行し、チャイナタウンが発生源とされた。
今回のCOVについてもポンペイオは武漢ウイルスを連呼し、トランプは演説原稿のコロナをチャイナウイルスに自ら書き直している。
最初のウィルス発見が武漢だとしても、ウィルスが人種によるものだとイメージさせる発言が多い。
日本でも蝙蝠や蛇を食べる中国人が新種のウィルス発生源になるとの論説があったので、白人と黄色人種の差別だけではなく民族差別と相まって人類の本質かもしれない。

中国でコロナ死者の追悼式が行われているニュースについて。
フランスのTVはピカチュウの埋葬をしていると報じた。
全身黄色で小さなピカチュウを黄色自主に例えたのだ。

日本経済が凋落し、脅威でなくなった後、民主政権時には、鳩山氏や岡田氏が東アジア共同体構想を発表したが、アメリカの妨害により頓挫した。アジア通貨危機の時にはアジア通貨基金を日本が主導しようとしたがこれもアメリカに潰された。
日本人からすれば、地理的に近く、地域平和と経済共同体であるためアジア共同体に人種的意図を感じないが、欧米からみればアジアの何らかの共同体は人種による団結を招き、欧米が排除されるという脅威を感じるものなのだろう。

欧米にとってアジアはできるだけ言う事を聞いて服従する地域に留めておきたい地域だろう。

人種差別を掲げるナチスの台頭を許したことが悲惨な第二次大戦を招き、多くの米国の若者が犠牲となった教訓から、現在の米国では公然と人種差別を表明する事は許されない。
しかし、経済危機、雇用喪失、コロナ禍など危機的状況になる度に潜在化している人種差別が現れてくる構造。

欧米人の多くは東洋人を理解しにくい不気味な存在と認識しており、人口の多さもあって東洋人が団結する脅威を感じている。
多様性や自由が大切だと頭で理解しても感情は別なのだろう。
日本は明治以降、欧米に産業も文化も学び、鹿鳴館でダンスを踊り。
ロシアや中国と戦って勝利しし、国連で常任理事国になった。
しかし、パリ講和条約では人種差別撤廃案が否決され、東洋人の排斥移民法が制定されたとき、人種差別の壁を認識してショックをうけたのである。
努力して結果を出しても対等にはなれない。
それが大東亜共栄圏思想となった。

トランプにより公然と国のトップが人種差別的発言を行った事で現在のアメリカは人種差別感情が出ている。

1982年、自動車の町デトロイトで結婚を控えた中国系米人男性がクライスラーの工場につとめる白人親子にバットで殴り殺された。
日系人と間違われた。
裁判の結果は執行猶予3年。罰金30万円というとんでもない軽い刑罰であった。

後書きがわかり易い。
アメリカの白人が、イスラムアメリカ人のコミュニティで生活してみるTV番組があった。
日本の大学生の感想は。①白人は人種差別意識がある事を認識した。
イスラム系でもテロに関係ない普通の人が多いどちらでしょう、答えは②。つまり日本の大学生は白人目線。
みずからが有色人種で差別される側だと認識していれば、①の感想を持つはず。
つまり、アメリカの白人は今でも宗教や肌の色でレッテルを貼って差別していると認識しなければいけない。


黄禍論の始まり。
1893年ピアソンが中国を念頭に描いた本。
中国は人口が多い、過去に高度な文明を築いていた。
アヘン戦争に対する復讐心がある。
だからいずれ中国人が欧米に復讐するだろうという内容。
欧米では新聞や雑誌がこぞって取り上げた。
後に大統領となるルーズベルトが異例の長文書評を原稿している。

ピアソンはアジア圏のオーストラリアの大臣。
白豪主義を形成した。

次に同時期にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世
ロシア皇帝ニコライ二世の従兄弟)
ヴィルヘルムは黄禍論を象徴する絵を描かせた。
東から迫る仏陀に女神が対峙する絵。
宗教画によって人種を現わしているのが面白い。
中国は必ずしも仏教を大切にしている国ではないと思うので象徴として仏陀を使うのは違和感がある。

急速に台頭する日本が、中国を目覚めさせる。
或いは、日本の将軍が中国兵士を指揮して欧州に攻め込むような説が流行った。
当時中国だけで世界の3割の人口。

雑誌「太陽」に近衛篤麿の「同人種同盟」が掲載。
貴族の名門近衛家当主で貴族院議長の篤麿の影響。
最終的には黄色人種と白色人種は生き残りをかけて争う。
ここに黒人は入っていないのは当時黒人は人種として劣ると考えられていたのだろう。
この論説は欧米で反響を呼んだ。
中国で4億人。日本で4千万人。これにインドの3億人を加えれば危険。

ここまではアジアと地続きの欧州の危機感。

アメリカにおいては移民による黄禍論。
カリフォルニアのゴールドラッシュと大陸横断鉄道建設の中国移民。
1882年にアメリカへの中国移民が禁止、中国移民排斥法。
当時日本は貧しく、地方の農家の次男以下は相続で農地が細分化されることを防ぐため家では飼い殺しになっていた。
そのため豊かなアメリカを目指した。
次いで1924年に実質日本人だけを対象とした移民排斥法が成立。
結局南米へ移民先を変更する事になった。
安い賃金で働き、白人の仕事を奪い、みすぼらしい生活で
お金をためて、同人種で固まって住む。
その後、1876年にサンフランシスコで天然痘が流行。
400人以上が死亡、市の衛生責任者はチャイナタウンが原因だとして封鎖した。
1900年にも同様の事があり、チャイナタウンから白人が退去命令が出されたが、中国人は一切出る事ができなかった。
人種と病原菌を結びつけた措置。
1880年代のアメリカ。ダーウィンにより、アングロサクソンが優れた人種であり、世界に広がるのが当然といった思想。
野蛮な他の人種を文明化させ、キリスト教化させることが劣った人種のために必要と考えていた。

この頃、アジアの盟主として急速に軍国化していった日本と、
アングロサクソン新興国としてのアメリカがいつかは対決することになると予想されていた。

近衛が中国を訪問する際に、欧米の新聞は日中同盟の危険性を報じている。

ロシアの立場
領土の大部分がアジア。白人だがアングロサクソンではなくスラブ系。日本と対決するためには、白人世界を味方につけたい。
白人のためにアジアからの侵略の防壁になるのがロシアだとのポジション。

一方、日本も黄色人種の代表とされて白人全体を敵に回したくないし、当時日英同盟がメインであったので、清国との同盟はしない。

日露戦争で日本が優位になったころ、欧米では黄禍論が再燃。
もし日本が勝つと、白人優位が崩れる。
黄色人種が自信を持ってしまう。
インドのネルーは、日本人にできるならインド人にもできると考えた。
トルコではトーゴ―(東郷平八郎)という男児の名前が増えた。
日露戦争を人種戦争であると論じる欧米の大学教授が多かった。
戦時における国の共感は人種を超える事はない。
モンゴロイドによって白人が大陸の端に追いつめられる。
「日本によるアジア合衆国」「中国軍を率いる日本人」

日本海海戦で日本が勝った時、同盟国のイギリス市民が悲しんでいたことを
留学していた孫文は書き残している。
当時イギリスはロシアの極東での拡大を恐れて日本と同盟していたが、
日本の拡大は望んでいない。
日本が勝ったころからアメリカでは黄禍論が増えた。
日本人が中国軍を教練する。
中国の出産可能年齢女性は5千万人いるため、毎年2千万人の兵士を出産できる。
同じく5千万人の労働男性人口が兵器を創る。

ロシアに勝利した軍事力。
中国と同盟すれば凄い人口。
西海岸では労働者が職を奪われていた。

当時日本政府は黄禍論を恐れて清国に中立を要請、在外公館に人種的戦争論の広がりの防止を命じた。

第一次世界大戦後に国際連盟が創設された。
戦勝国の中で唯一の黄色人種である日本は、人種差別によって、既存の欧米中心の植民地支配の地図が固定される事を避けるために、パリ講和会議で人種差別撤廃条項を
設定することを求めた。

しかし、日本人移民に仕事を奪われていた西海岸のアメリカ人や、植民地勢力地図を維持した欧米によって阻止された。

日本では政財界や著名文化人による人種差別撤廃運動が盛んとなった。
そのため国際連盟からの脱退もやむなしとの世論があった。
朝鮮人や中国人を差別している日本人が、有色人種差別撤廃を求めるのは、利己主義的だろう。真の人種差別撤廃を求めているのではなく、自国が有利になる事だけを考えているとアジアから批判されていた。
一方、有色人種差別の残るアメリカでは。国連の差別撤廃により、移民が増えればアメリカの国内法と矛盾が発生する。

その後、カリフォルニア州では日本移民による土地私有の禁止法が出来た。

現在の日本で中国資本の土地制限が検討されているのは立場を変えて民族差別だと言える。

欧米から見ればアジア人種の大合同に脅威を感じているだろうが、一口にアジアと言っても日本は中国や韓国との民族差別感情を相互に抱えており、中国内でさえモンゴルやウィグルという人種問題を抱えており大合同など考えにくい。

池上彰氏がシリア難民キャンプを取材した時に、シリア難民の子供から目の端を釣り上げてからかわれた経験を紹介していた。

子供は正直で残酷、自分と異質なものに対する拒否感は本能なのか。

白人と有色人種の差別だけでなく、有色人種間の差別も同じくらい多い。

 

戦後、共産主義の広がりを防ぐために日本を仲間に引き入れたアメリカが、冷戦が終わり経済が問題になると貿易戦争相手となった。

そして中国が経済力と軍事力を増強させるとまたアメリカは日本を仲間に引き入れようとしている。

ベルギーがルワンダを植民地化するまでは、ツチ族フツ族に民族差別はなかった。

ツチ族の方が花が高く白人に近い事から、ベルギーはツチ族を支配民族に優遇したため民族差別が始まった。

植民地支配の一つの手段として、支配地の中に差別階級を設定して支配することが多いが、世界中に民族差別をばらまいた植民地政策の罪だろう。

日本と中国を接近させず、敵対させる事で欧米はアジアでの影響力を維持している。

ここにインドやタイ、インドネシアが加われば各国を融和させたり争わせる事で影響力を維持してゆくのだろう。

ウクライナを助けない米国が日本のために米軍を積極的に展開するとは思えない。

極東のちびで黄色い目の吊り上がった何を考えているかわからない奴のためになぜ白人米国人が大金を使って命の危険をさらして守らなければならないのか?

日本と中国が戦争して死者が出ても、ピカチュウライチュウが戦って死ぬようなもので飼い主からすれば多少憐みを感じるだろうが1カ月もすればアジアで新しく家来を見つけるだろう。

欧米の価値観も多様であり、常に色んな意見を持った人がいるし、危機時と平和時でも大きく方針が変更されるから、その時々で国際情勢を分析して対応する必要があるあろう。

政治家や官僚に任せる事なく歴史を学び、国家、民族、個人として安全を確保して生き延びてゆく必要があるだろう。

 

 

定年入門 : 高橋 秀実

この本は多くの定年後の過ごし方をインタビュー形式で紹介してくれる本です。

その中で一番参考になった事例について。

大手建設で海外転勤が多かったが海外事業縮小で56歳で本社内勤になりモチベーション低下、東京のビル群が墓石に見えた。

自分に似ている、地方営業から50歳で本社へ移動して人生の下り坂を実感した。

60歳で定年してJR宇都宮駅から10分の住宅街に移り住んだ。理由は図書館が充実しているから。実は私もいい図書館が近くにある場所に住みたい。30歳の頃から常に図書館には通っていた。読書が好きだし、勉強するにも便利だ。

あとはゴルフと食べ物が美味しい。これは誰もが希望する事だろう。

3年契約の借家らしいので3年後にどこに住んでいるかはわからないらしいが、

60歳過ぎて3年ごとに引っ越しは大変だろう。

都内にマンションを持っているので、いずれは都内に戻るのかな?

宇都宮から新宿まで2時間かかる。定住するのは厳しいな。

所沢市とか八王子市くらいかな。

次の人

63歳まで子会社で勤めた。
若い頃から対人恐怖症なので、度胸試しに着物。
会社行きたくない病。会社の前の歩道で躊躇する。
行けば何とか成る。昼休みまで頑張って休もう。
それでよく63歳まで働きましたね!
私はそれほど会社行きたくない訳じゃないけど、
仕事が辛い時には気持ちがわかる。
でも私は60歳が限界だと感じている。
会社居たくない病。一刻も早く帰りたい。
飲み会の付き合いは一切なし。妻から心配されていた。
この気持ちもわかる。毎日12時間も会社居居たら嫌になる。
集中力も体力も続かないし、人生を牢屋ですごしているようだ。
ジムは半年で辞めた。定期券を買って居酒屋や博物館に毎日行く。
野鳥の会に入って、石川県や岐阜県まで見に行く。

次の人

62歳まで業界団体で働く。
会社にはOB会があって、趣味の会や発表会がある。
びっくり、そんな会社があるんですね、50代の頃から
OBの先輩社員と接していれば定年後のイメージを掴めて
とてもいいと思う、羨ましい。
定年後まで会社の人と付き合うつもりはないが、同じような
仕事をし、収入を得ていた先輩の話は宝物だろう。
58歳で陶芸にはまった。車で1時間の教室に週間3回通う。
陶芸は時間がたつのを忘れる。朝10時から16時までやっても
あきない。手を動かす。創造的。

 

次の人

化学メーカー勤務。
30歳の頃釣りクラブを作った。
転勤のないメーカーだからできる事だね、私の会社じゃ無理。
毎月釣り船借りて海に出る。12月には表彰式をする。
また、20歳の頃から銃を持っており、定期的に鹿狩りにいく。
狩猟って4WDや狩猟犬も必要なのでお金持ちの趣味。
ミニチュアやドールハウスも作って売れた。
カメラはライカ、車はBM、お金持ちの趣味人だね。
この人は若い頃から続けているので定年とは関係ないらしい。
仲間がいる事、ある程度お金がある事、若い頃からやっている羨ましい。
私も若い頃はバイク、ウィンドサーフィン、テニス、バスフィッシング
スキー、マウンテンバイク、ローラースケートなどやってきたが、
転勤や仕事の関係で全て辞めてしまった。
スポーツ系統の趣味が多いので定年後も再開できそうなのは
テニスとバスフィッシングくらいか。
バスフィッシングを海釣りに替える事はできそうだ。

写真も面白そうだ、昆虫や城の写真。写真が目的というより
昆虫や城そのものに興味があるだけ。
芸術写真は興味がない。


多くの人が実体験として会社を辞めて1週間何もしないと罪悪感を持つと言っている。
それで結局、時給は安くてもバイトを始める。
それでジムや図書館に通うがそれでも飽きる。
千葉で農家と直接交渉して畑を借りて、NPO法人にして仲間を集めて
農福をしている、福祉を加えている。
やはり地方都市の方が農園ができる、一人でなく仲間とやるのが楽しいし楽だろう。
近隣の貸農園を見たが、個人が区割りされた農地を勝手に使う
システムなので、友人ができるというシステムではないね。
しかも民間経営でアドバイザーがいると月間5千円と高い。
まあ1日スーパーでアルバイトすれば稼げる金額。
折角郊外に住んでるなら貸農園も選択肢。今から資格取得するか。
親戚の農家に留学して教えて貰うか。

次の人

銀行勤務、55歳で役職定年で関連会社に。給料25%。
60歳で不動産会社の営業。歩合制なので収入は低いが、楽しい。

次の人

63歳でパイロット定年。パイロットは高収入だから参考にならんね。
沖縄に一軒家を借りて月に3週間住んでバーテンダーのバイト。
昼から飲んでいて若いバイト仲間が常に出入りしていて飽きない。
20年間通い続けているらしい。
月に1週間東京の自宅、宝石店でバイト。
奥さんは元CAでトライアスロンやダンスで東京住まい。
やっぱり金持ち。
世の中には不定期で非正規のちょっとしたバイトのような
仕事が実は沢山あるのかもしれない。
特に水商売や夜間の飲食店。
田舎に行けば冬はスキー場でインストラクター、春秋は農家、
夏はペンション、或いは都会へ出稼ぎ、山菜とり、役所の手伝い
みたいに安くて不定期な仕事をいくつかやる。
一つ一つの仕事は不安定だが1つくらい無くなっても大丈夫。
賃金は安いがスキルは不要、辛い仕事ではなく責任もない。

次の人

東京大学大学院を出て石油会社で55歳退職。
母の介護と体調が悪く。60歳まで引きこもり。
60歳から年金が出るのでカルチャー教室に。
高校の頃寺院が好き。大学でも建築学講義を受けていた。
大学時代の日本建築史の講義ノートは印刷したような文字。
ノートの完成度と60過ぎまで持っている物持ちの良さ。
講義の後の飲み会で知り合いがねずみ講のように増える。
TOP5は在野の研究者、本も5千冊位もっている。先生より詳しい。
お寺であった女性と台湾、タイ、ミャンマー、フランス、インド、
中国へ旅行。一部屋。容姿より頭の良い人。今までお寺で話が合う
女性に合ったことがない。

ここまで読んできて、普通ではない特殊な人が多い事に気づいた。
有名人ではなく市井に生きる一般人を描いたようでいて、
東大卒だったり、学校の先生、パイロット、多趣味の人など
やはりちょっと普通ではない人が多い。
どこにでもいる平凡な経歴、趣味、学歴、感性の人の話など面白くもない。
出版して有料で販売するには、何か面白い話題を盛り込まないと
自分でも買おうとは思わないだろう。

60歳以降、働くか、働かないか、何をして過ごすかは多様な価値観
があるので結局は自分で考えるしかない。
この本は、色んな人の定年後の実話を垣間見る事ができる。
マンションの窓から見える家々にはこの本に書かれたような定年後がある事だろう。
退職金を叩いて別荘やボートを買うのも良し、独身を謳歌するもよし。
沖縄と東京の2か所で生活するもよし。
どんな定年後を過ごしても良いのだ!
会社と自宅を往復するだけの自分にとっては視野を広げる気づきになった。

 

ネットニュースではわからない本当の日本経済入門

 

ネットニュースではわからない本当の日本経済入門:伊藤元重先生

コロナ禍により20年度の経済成長率が-3.3%。
30年の世界大恐慌に次ぐマイナス成長だった。
私の知る世界大恐慌は、衣食住もない失業者や浮浪者
浮浪者が溢れかえる悲惨なイメージ。
だから世界大恐慌以来の不況と思って1年前にベアファンド
を買ったのに今やアメリカでは人手不足で給料が爆上げしてい
るのに、職に就かない人が何百万人もいるというではないか。

筆者は経済が悪化しているのに株高となっている現状を
「異常」とし、21年度の経済成長率が6%と予測される事から
経済回復による金利上昇が過度に進むと株の下落になると言う。
「過度とはどれくらいか?」が興味深い。
FEDは22年度中に3回利上げするとコメントしている。
それにより株が一時急落したが、このレベルですむだろうか。
アメリカの利上げで困るのは発展途上国
発展途上は巨額のドル負債があるので利上げは財政危機を招く。
また、ドル利上げはドル高となり、途上国通貨安につながる。
日本は金利が上がらないし上げられないので、日米金利差により
円安になる。
途上国もコロナで不景気となり金利はあげられない。

現状コロナ禍により世界が財政出動で赤字を垂れ流している。
筆者はいずれ財政規律を元に戻す必要があるという。
コロナ禍は戦争であり、戦後復興が必要。
EUは気候変動対策で戦後復興投資を行おうとしている。
そうか!単に気候変動対策ではなく経済に新たな活力を
与えるための復興財政出動の側面があるのだ。
だから、アメリカも中国も参加しているのだ。
つまり環境対策投資をしないと経済活性化に乗り遅れるという事だ。
ニューディール政策ではなくグリーンディール。

しかし環境対策とはエネルギー革命をいみするのではないか?
最近原油価格が90ドルを超え、激しいインフレが始まった。
庶民は物価高により生活困窮が予測されている中で、
クリーンエネルギー価格上昇にいつまで我慢できるだろうか。

巨額の財政赤字を抱える日本は、戦後復興の財政出動金利上昇
により新しいステージに入ると筆者は言う。
それは正統で高齢の学者らしい控えめな表現なのだろう。

経済回復は「需要」と「供給」のバランスである。
アベノミクスは需要を拡幅させたが、供給は回復していない。
供給とは生産性の事だそうだ。
生産性が低いから給与が伸びず、需要が爆発しない。
企業は投資をせず現金をため込み、国だけが投資を続けた結果、
財政赤字が膨らんでいる。
もちろん財政赤字は高齢化による社会保障増大の要因もあるため
仮に生産性が上昇しても課題は残るだろう。

バブル崩壊後低迷したGDPを上昇させたという点においてはアベノミクス
は成功としている。
筆者は経済成長をGDPで説明している。
ネットとグロス、為替の影響を認めつつ、30年スパンの国ごとの比較
を行うならGDPが最も適切な指標だとの事。
一方で一人当たりGDP比較では、ブータンは中国の3割以下であり
幸福度と経済の豊かさは違う事にもコメントしている。
現在のネットの世論を認識したうえで最大公約数の説明をしているようだ。

日本はバブル崩壊後の経済成長を回復するのに20年かかったのに、
世界はコロナ禍回復を1年で達成する。
この違いは「金融危機が起こらなかった」からだという。
そうであれば、実体経済が好調でも金融危機が始まれば不況は長期化する
という事であり、金融に実態経済が振り回されるという事だろう。
古典的金融の役割とは、資金を必要としている企業にお金を融通して
適切な成長を促す事ではないのか。
金融が逆に正常な経済を悪化させる事は本末転倒ではないか。
金融とは博打ではないか。
日本の年間輸出額=為替市場の2日分
つまり為替は輸出入と関係ない。


GOPに対する各国企業の手元資金は、欧米がほぼ0%に対して、
日本は2.6%。2010年代には8%なので低下しているが、それでも高い。
欧米企業は手元資金があれば、「配当」「投資」「給与引き上げ」
を増やす。
日本はいずれも増やさない。
日本のGDP付加価値の占める割合において、製造業は2割。8割は3次産業。
1次産業はほぼゼロ。
確かに自分の家計支出を見れば、家賃、通信費、学費、本が高い。
食費の多くは輸入なので付加価値は低いだろう。
我が家は関係ないが、旅行、コンサート、病院も多いだろう。
家電、車、服など製造物は買わない。

「供給力」について。
「供給力」≒「労働力」+「資本ストック」
労働力は少子化により減少している。
移民受入れは政治的混乱や紛争を増やすので個人的にはNGだと感じる。
日本の同質社会では移民自体も幸せになれないように感じる。
資本ストックは過去20年間投資不足。
だから世界の中で日本の供給力は相当低下しているだろうし、
今後も増えると思えない。
過去の投資不足の蓄積が埋められていない。
高齢者の貯金を投資に回して供給力を増加させる。
しかし、物は安く溢れており供給不足を実感できない。

需要があっても供給力がないなら輸入が増加するのでは?
これは製造物に限らずサービスでも起こる。
それがネットフリックスやSNSサービス、医療サービス
、美容健康サービスだろうか。
日本人は何を需要しているのだろうか。

供給サイドの主役は企業だそうだ。だから政府が幾ら
TPP、法人現在、経済特区など政策を動員しても
企業が投資を行わないと供給生産性は高まらない。
として供給力の弱さを政府でなく企業の責任にしている。
しかし、企業は物が売れないから投資しないのだ。
何が売れるのか?私は物はいらない。「知識」「生き甲斐」
「楽しさ」「健康」「安心」を感じるもの。

国の財政は社会福祉赤字国債返済が主であった。
だから政府自体が全くDXしていないし公務員の生産性が低いのだろう。
各種届出や議員の生産性は低そうだ。
企業は人件費削減や海外から安いものを調達する事に励み。
資本財への投資をしていない。
会社でもDX化されておらず、依然として伝票や稟議書のハンコ文化だ。
キャッシュレス化もせず、高齢者が銀行の窓口に列をなしている。
遠隔診療も進まない。
つまり国も企業も30年間投資を怠ってきた。
個人が出来る事は、個人の投資、DX化だろう。
そして生産性の高い企業への株式を通じた投資により恩恵を得る事。

潜在成長率について
潜在成長率=労働分配率×労働の増加量+資本分配率×資本増加率
+全要素生産性
全要素生産性TFP=技術革新や社会制度などブラックボックス
だったら潜在成長率は算出不能じゃんか?
賃金を上げて労働者を増やすには、女性や高齢者も働き、賃金を上げる。
でも賃金上げると経営者はリストラしてDX化や派遣化するよね。

TFPがなければ、経済成長率は労働分配率と資本増加率だけで説明できる。
先進国の成長率の約5割はTFPだという。だったら5割はブラックボックスという事。
TFPを上げるために技術革新や導入が必要。
先進国は労働力が増えないし、資本蓄積も限界低減しており技術革新しかない。
現在の日本のTFPはほぼゼロ。絶望的。
東南アジアの奇跡も労働力と資本増加だけであり、TFPが無かったから
直ぐに頭打ちになり、無残な結果となった。

著者は過去の日本の潜在成長率を見て「ひどいものだ」と珍しく
感情的に表現している。
1%以下で推移し、直近はほぼゼロ。確かにひどい。未来はないと感じる。
人口が減り、少子化で労働者が減り、働き方改革で労働時間が減り
企業は投資をしておらず、お金をため込んで労働者に払いもしない。
国や社会基盤はDXやキャッシュレス化が遅れ、規制緩和がなされず
自動運転やドローンも進まない。
生産性の要素の全てが減少傾向だ。

筆者のコメントは平凡だが真実を表現している。
企業はビジネスモデルを変革するためDXにどう取り組むのか。
小売はアマゾンにどのように対抗するのか。
金融はどのようにフィンテックを進めるのか。
作業現場ではロボットやRPA,データ活用をどうするのか。

低成長デフレ化の日本では生産性の低い企業が生き残った。
セブンイレブンは世界有数の高い生産性。
一方で小規模小売業は低生産。
過去30年適切に成長していれば消滅していた企業が残っている。

インフレへの備え
著者が20年前の高校の同窓会でアドバイスした事。
「インフレには気を付けよう」それから20年デフレが続いている。
貯金の無い若者はインフレが怖くない。
高齢で貯金や年金に頼って生活している人にとってインフレは怖い。
父親が定年前の部長の年収を、娘が超えてしまうのがインフレ。
1974年の日本のインフレ率は25%。1年で貯金の価値が-25%。
オレオレ詐欺は個人の老人から資産を奪う。
インフレは全国の老人から正々堂々と合法的に資産を奪う。

国の借金はインフレで帳消し。これしかない。しかし急激に進まない
事もある。20年間3%のインフレで少しづつ借金の価値を下げる。

過去戦争後は大きなインフレが来た。コロナは戦争と同じだ。
日本でもインフレは何度も来た。
・・・つまり著者はインフレが来る可能性が高いと感じているのだろう。
私も同感だが、過去30年間そう考えて、オオカミ少年になっている。
慣性のエネルギーが溜まるほどその反動は大きくなるかもしれない。
過去20年間、結果として貯金はベストな選択だったとしている。
しかし今後もベストとは言えないとしている。
貯金、株、為替、不動産、全ての資産にリスクがあり、リスクから
逃げる方法はない。
ドルに投資していても、日本の海外投資資金が日本に引き上げられれば
為替はドル売り圧力を受ける。つまり考えるほどドル高にならない可能性。
庶民にできる事は分散投資。DX化により庶民でも分散投資が可能となった。


働き方改革が進まない理由は「制度的補完性」
つまり企業が人事制度を変えるだけでは進まないという事。
4月一括採用→教育制度
女性活躍→家族の在り方、税制
高齢者活躍→年金社会保障制度
年功序列実力主義儒教的社会観、
忠誠心とポータブルスキルの両立。
総合職制度の廃止、単身赴任問題。
企業のビジネスモデル

景気低迷⇔金利低下⇔財政赤字維持可能
景気低迷⇔資金が滞留⇔国債購入

つまり景気が好転して金利が上がれば財政危機。
国の債務は1千兆円、1%の金利は10兆円相当。
日本の税収は60兆円なので、金利が2%上がれば税収の3割が
国債返済になる。
国債の利回りが2%になると、消費税8%に相当する。
著者は消費税率引き上げ派。海外比較。

一般的な財政削減策(IMF
社会保障や教育削減。水道や道路削減。
警察や公務員削減、公務員給与削減。
増税

ピケティ
①真面目に収入から返済する
 難しい。低所得層の生活基盤危機。歳出削減や増税が大きすぎて政治的に不可能
②インフレで借金帳消し
 ①よりましだが国民の混乱と生活苦を招く。
増税
 欧米の超富裕層への課税。資本は労働より増えるので。資産を放置
 すれば格差が広がり続ける。 おすすめしている。

著者のおすすめ
現在貯金の半分は65歳以上が保有している。
数年後からは毎年10兆円の金融資産相続が発生する。

人類は産業革命以前は経済成長していない。
西暦1年のギリシャ庶民と、西暦1000年のフランス農民の生活は同じ。
ところが産業革命以降は持続的成長期になった。

過去40年で世界の貧困は40%から10%へ改善した。
全体で見れば貧困は減っている。

資本主義→勝者総取り
民主主義→一票の価値は等しい
安定化装置→公的社会保障累進課税、教育無償化

英国の産業革命ブルーカラーの所得は50年間に半分になった。
資本家の所得は天文学的に伸びた。暴動の多発。
資本主義が力を増すほど、格差が広がり、社会は不安定になる。


経済学は平時の学問。効率的市場仮説が有効。
実体経済は10年ごとに危機を迎えている。
危機の後は経済体制が変わる。行動経済学が有効。

金利がゼロという事は、貯金の金利割引率がゼロであるため
株式が値上がりしなくとも貯金と比較してリスクが同じ。
金利が3%なら、株式が値上がりしなければ株式のリスクが高い。

仮に今がバブルでなくとも、金利が上がれば株は下がる。

コロナ危機で日経平均は1年で2倍になった。
経済成長もマイナスからプラスになった。
インフレが始まり金利も上昇局面である。

地震がいつくるかわからないが平時に準備が必要。
株下落への準備も必要だと締めくくっている。

 

 

 

 

 

 

幕末から維新へ

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幕末から維新へ

後書きにこの本の趣旨が良く纏まっているので紹介しよう。

通常は明治維新と言えば天保の改革、あるいはペリー来航の辺りから始めるらしい。(1840年代)。

しかし著者は、幕末における欧米、天皇、朝廷、民衆の考えや行動は17世紀末辺りから

始まっているとの考えで長いスパンで記載している。(田沼政治の終焉から)

私としては歴史は繋がっているので通史を学ばなければその時代の事件が発生したのかが理解できないと考えているので、長いスパンでの歴史書が好きだ。

また、私は金融機関に勤務しており、経済史にも興味があるので田沼時代の開発経済、財政再建、インフレ施策から始まる通史は興味深かった。

著者は政治過程だけでなく、社会史、経済史、思想史にも触れている。近世史の研究は分野ごとに深化しているのに、独立した分野として研究されており、学際的統合がなされていないと考えている。

武士だけでなく、地方の豪農、豪商、知識人、百姓レベルまで取り込んでいる。

約200ページのコンパクトな本にもかかわらず、通史的視点で書かれており繰り返し読んで勉強するには最適の1冊だと感じた。

百田氏のベストセラー「日本国紀」と、その批判本である浮世博史氏の「もう一つ上の日本史」を読み比べた事がある。その経験から、何十年も史料を読み込んで研究し、その積み重ねの上に更に研究を続ける歴史学者や研究者のエビデンスがある本で正確な歴史を知る事が必要だと私は考えている。

 

中学生の頃に父親のもっていた司馬遼太郎の本を読み、明治維新とは坂本龍馬西郷隆盛などの有名人によって進められたロマンチックに考えていた。

しかし、社会人になり世の中の仕組みがわかってくるとともに、専門的な歴史書を読む事で理解がすすんだ。

明治維新とは幕府と地方有力大名、御三家、朝廷、公家、下級武士などの主張や利害、また欧米露によるグローバルな覇権主義や経済発展の当然の結果だろう。

横浜開港から数年後には福沢諭吉が貿易の利益について語っており、生糸の輸出や綿布の輸入の爆発的な激増はもはや鎖国に戻れないほど民衆の生業や生活に影響を与えており維新が民衆に根付いている事がわかる。

政治が鎖国に戻ろうとも、経済はもはや鎖国にはもどれない状態だったようだ。

さて本書の内容に入っていきましょう。

18世紀末は以下の年表のとおりです。少しくどいですが、通史として理解するには時系列のイベント表がわかり易い。

幕末期の政治経済状況としては。

①飢饉と一揆の頻発 ②幕府と諸大名の構造的赤字財政 ③欧米露の来航と通商要求の頻発となっていた。

これらにより幕府の権威が低下し、一方で天皇の権威が見直されつつあった。

大政論や水戸学とは何かは別途勉強する必要があると思います。江戸時代を通じて朝廷はお飾りのようなものであったのになぜ幕末に浮上したのか?そしてその根拠となる華夷思想や国体思想についても知っておかないと尊王攘夷の理屈が理解できないと思われる。万世一系天皇を頂く日本こそが世界で最も尊い国であり、野蛮な欧米人を日本に入れて邪教を広めるべきではないという程度しか理解できていません。しかしこの思想は明治維新を経て第二次世界大戦までの日本人に大きな影響を与えた思想なので学ぶ価値はあると思います。

また百田氏を始めとした万世一系天皇を頂く日本は素晴らしい国であるとの論調にもつながっており、現代にも流布される思想でしょう。

17世紀末の飢饉頻発についても別途勉強したいところです。飢饉の頻発は他の時代より多かったのか?世界的にはどうだったのか?寒冷期では?など疑問がわきます。

なぜ災害が多発したのかについても興味が湧きます。異常気象、寒冷期、火山の活動期などは、現代日本にとっても身近に感じられるリスクであり、災害飢饉疫病史を学ぶ事は現代の指針にもなる。

なぜ幕藩体制は構造的赤字だったのか、働かない武士階級が多すぎた?特権階級による無駄遣い?米経済から商品貨幣経済への変化?

欧米露の東アジア戦略はどうなっていたのか イギリスVSフランス、イギリスVSロシア。或いはロシア革命ナポレオン戦争、オランダの没落などと当時の日本との関係を関連づける事でより深い理解が得られるだろう。

 

まずは幕府の財政赤字から。

18世紀半ばころには既に、幕府の財政赤字が課題であった。

そのため田沼時代が経済優先政策となった事は当然だった。

しかし、多様な業種団体に特権を与えて冥加金を上納させるやり方は、賄賂や不公平を生んだと思われている。

また、零細な特産品にまで税金をかけるやり方は地方の民衆の反発となった。

凶作による物価上昇に加えて、特産品などへの細々とした税金負担を加えた物価高が不満を招いた。

蝦夷地開発やロシア貿易により利益を目指したが失敗し、印旛沼干拓も失敗。

これらは昭和の無駄な公共事業に通じる。 

本書の記載では、田沼政権は日本の隣国であるロシアが世界の大国である事を「発見」して「驚愕」し、蝦夷開発を行った。

江戸幕府にとっては異国船の脅威はロシアから始まっている。日露戦争に始まり大東亜戦争も仮想敵国はロシアであった事から、日本の脅威は中国ではなくロシアである。

度重なる飢饉や災害の不満のはけ口として田沼政治は民衆から悪政に見えたのではないだろうか。

田沼失脚後、定信は倹約を行ったが、倹約は消費を減少させ景気の悪化につながった。

財政は好転しても景気が悪化すれば民衆の支持はえられない。大奥のリストラは幕府内部の政敵を増やした。

さて、緊縮財政による需要減少はデフレとなり、赤字財政による景気維持は莫大な赤字を生むという現代の経済政策に繋がっている。

 

現代日本も同様に赤字を積み上げて財政支出を続けています。 幕末の「囲米」や「石川島訓練所」は現代の生活保護職業訓練所と同じだろうか。こういった社会保障を継続しないと政権が倒れる事は歴史が証明している。

輸入インフレにより生活用品が高騰すれば江戸期の打ち壊しのように現代の民間企業が攻撃される事はあるだろうか?

民衆の不満が沸騰すると、打ち壊しや御所にお賽銭を投げ入れるなど非合理的で感情的な行動が起こる。

幕末の日本や、現代の海外で起こるなら現代の日本でも起こるだろう。

ネットを通じて不満が増幅されるだろう。自民党以外に政権を取れるのは?社会の分断から日本人のアイデンティティが低下する時代にはやはり右翼に近い維新の会か?

それとも自民党の中から例えば高市議員のような愛国主義者や右翼的政権誕生か。

非生産の武士を養う事ができなかった江戸時代、士族、華族を廃止したように、高齢者の年金を減らして自助に移行するしかないだろう。

長期の時間軸でみれば高齢化社会は持続不可能。 

移民が高齢者を世話するか?島国で同質性が高い日本では多様な移民受入れは難しそうだが。

正社員という職業は無くなる。終身雇用も。これも持続不可能。見栄消費は無くなる。

江戸における打ち壊しの発生と無政府状態の発生は幕府の権威を低下させた。

米沢藩の領地返上や領地の一揆鎮撫、財政赤字などは藩の運営の難しさを創造させる。このような時代背景をもとに上杉鷹山や細川重賢が手本とされた。

このような藩の財政困窮や一揆への対応に窮した大名の存在が、明治に入ってからの廃藩置県へのスムーズな移行に繋がったのだという話は聞いた事がある。

東京に住めて、働かずに華族として俸給を貰えるならその方が気楽だと考える大名が多かったようだ。殿様も楽じゃないよという事だろう。

金融の円滑化や新田開発による石高増、特産品増産と運上税など、田沼政治は政治より経済を重視したが、印旛沼干拓の失敗(洪水)、蝦夷地開発とロシア貿易の失敗

ペリーが来航する50年前から日本には英米露の船舶が年間数隻来航している。

いきなりペリーが現れたわけではない。江戸の市民にとってはいきなりだろうが、幕府にとっては必然であった。

そのため著者の藤田氏は明治維新をペリーが来航する前の50年間を前期、ペリー後の15年を後期と定義している。

 

1786年 田沼失脚、 家治没、本居宣長「大政委任論」

1787年天明飢饉ピーク。東北各藩の農民の流動化。米沢藩は財政危機で領地を返上願い。

耕作放棄に対する復興、帰農令、商品作物禁止と主要作物奨励

これが上杉鷹山の誕生の背景。熊本藩宝暦の改革「徹底した節約、農村の把握による再興、領地内自給自足による富の藩外への流出防止。特産品政策による藩外からの稼ぎ。

善政を目指した藩校による教育

松平定信=本田忠一=細川重賢、藩の経済政策の相談

江戸市中で大規模な打ち壊し。奉行も打つ手なく数日無秩序化放置

松平定信寛政の改革開始。全国で頻発した一揆対策、囲米など。

光格天皇大嘗祭復活、御所千度参り、朝廷が幕府に窮民救済要請

1789年 寛政元年 棄損令、大名に囲米命令、猿屋町貸金会所設立

    札差の監督。

1790年 聖堂学問所で朱子学以外を禁止(寛政異学禁)

     オランダ貿易減額

     旧里帰農奨励令発令

1791年 アメリカ船 紀州沖 民間、ラッコの皮

    イギリス船 博多湾 民間、ラッコの皮

    異国船取り扱い令

    江戸町会所 7分積金創設

1792  林子平処罰

    ロシア遣日使節ラスクマン根室に。定信はロシアが大国であることを認識。

    日本の軍備では敵わない事を認識して紛争を回避する。

    長崎入港の信牌をラスクマンに渡した。長崎での管理貿易を念頭に置いていた。

尊号一件新嘗祭復活(定信や白石、本居宣長などは大政委任論で尊号を拒否、これが後に天皇が将軍を委任しているという根拠になり、大政奉還に繋がる)

この頃から賀茂真淵や本居によって「皇国」という言葉が使われ出し、皇国史観が始まった。

中華を否定し、日本が一番尊いという理由は、中国のように皇帝が変わる事なく、万世一系天皇が統治する安定した国であることが万国一の根拠となった。

皇国と大政委任により「日本の国の形」として観念化された。→この皇国史観が後の大東亜戦争につながる。

さて、明治維新の原因はペリー来航の前から始まっている17世紀後半には英米露の商業船や軍艦が日本近海に現れており、幕府は150年ぶりに大名に海岸防備令をだした。

従来幕府は諸大名が軍備を拡充することを恐れて大型軍艦の建造を禁止していたが、これも許可した。

    

さて、幕末前夜の天保時代には幕府の制度疲労の兆候が見える

  • 長年に及ぶ幕府と各藩の財政赤字天保年間には幕府の貨幣支出の半分が貨幣鋳造利益に頼っていた。

このためインフレが持続しており庶民の暮らしは厳しいものであった。

インフレの主たる要因が貨幣改鋳にある事はわかっていたが、改鋳しなければ幕府の財政が成立しないため継続された。

これって現在の日本政府がいつまでたってもプライマリーバランスできないのと同じ構造ですね。政権が長期化し、経済がひっ迫すると放漫財政になる構造。

江戸時代は武士という非生産階級の人数が多いのでそれを養う必要があるため幕府の支出が肥大化したのだろうか。

  • 天保の飢饉、17世紀は飢饉や災害が多発していた、もしかしたら寒冷期だったのだろうか?

相次ぐ飢饉により地方の農民が都市に流入してきた。これって出稼ぎみたいなもの。今後地方の産業が衰退すれば若者は都市部に流入する。

今後の日本の状況を予測させる。結局食えなくなれば都市部に人が集まる事は避けられないんだね。

地方では耕作地の放棄が続き、米生産力が低下する悪循環となった。天保の改革では人返し令により農村に人を戻そうとしたが、

一旦江戸に流入した人は農村に戻らない。次に、農村から都市に人が流入するのを制限した。現代の民主主義では人はどこでも自由に住めるためこれはできない。y あ

現代においても地方創生とか言って省庁や民間企業の本社を地方に移そうとしているが、無駄だろう。いったん東京に流入したら地方には戻らない。

仕事があり、自由で刺激がある大都市に若者が集まるのは時代を問わない。

  • 物価高騰は問屋組合の独占が原因とされ問屋が廃止され、民間の自由な売買に任せる事とした。(素人直売買勝手次第)

これって統制経済から自由経済への移行だね、神の見えざる手に任せれば物価が安くなると考えたのだね。

ところがこれが物流の混乱を招き、一層物価が上昇し、結局株仲間の復活を許可している。原因は貨幣改鋳だったのだから流通を改革しても解決しなかったらしい。

また、薩摩藩に許可した琉球通宝の改鋳により薩摩藩明治維新の軍資金を準備している事は幕府にとっては皮肉な事だが、こういった事の積み重ねが維新に繋がっている。

なぜ薩摩藩が飛びぬけて強大な軍事力を持っていたのか勉強する価値はある。琉球を服属しており、密貿易で儲けて、海外情勢を得ていた事、長崎からのそう遠くない場所であり藩主が蘭学に熱中して反射炉などを創れたこと、郷中制度による兵力維持なども聞いた事があるが実際にはどうなのだろうか。

 

  • 印旛沼失敗。8割ほど工事が完了していが台風で崩壊した。印旛沼は田沼時代の新田開発が目的ではなく、幕末には江戸湾が外国船に封鎖された際に利根川を経由して江戸に

物資を運ぶための物流整備が目的となっていた。これは面白い話だ。

「外国艦船により浦賀水道が封鎖されれば100万都市の江戸は1週間で飢餓になり社会不安となる」と蘭学者千人同心が上書している。

1週間物流が止まったら飢餓になるって、幕末の江戸の物流量は大量だったのだろう。江戸も東京も物資が来なければ直ぐに危機になる。江戸湾封鎖はコロナ感染や東北地震などをイメージさせる。

  西廻廻船や東廻船でさぞかし品川沖は賑わっていたのだろうし、市中に巡らされた水路や棒手振行商も賑わっていただろうと想像できる。

  江戸は大名の町であり、火事が多く大工や木材商の町であり、年貢を扱う商人の町であって、1次産品を生産しない巨大都市という事だろう。

  つまり自給自足できない都市。現代はトラック輸送となるため環境に悪いが、江戸時代は船輸送だから環境にやさしかった。SDGsの観点では水路の復活だろう。

  しかし水路交通を復活すれば、温暖化が進めばベネチアのように海水逆流や汚水対策で大変な事になるのだろうか。

  現在の日本で言えば、地震、台風、降雪、疫病、による都市封鎖のリスクがある。外国による流通封鎖はなさそうだが、中国が東アジア近海を封鎖する可能性はある。

  昭和時代ならシーレーン封鎖による原油不足という事だろう。                        

  • 江戸と大阪の治安維持や整備のため上知令を出したが、対象地域の大名や旗本住民の反対により中止となった。幕府は諸大名や民衆の反対を押し切って政策を行う武力や財政が

残っていなかったことを証明した。大名や庶民の間で幕府の権威が低下しつつあった。

権力の維持には「武力」と「経済力」が必要という事。

  • 物価高の原因は庶民の贅沢だと考えて、質素倹約令がだされたが、これが逆に需要低下を招き不景気となった。

現代ではこのような需要減少策という誤った政策は先進国では行われないだろう。物価高に対しては供給力増強と金利引き上げだろう。

寄席の廃止、歌舞伎座の移転、質素倹約令、屋台の廃止→商品経済が進んだ江戸ではこれらに従事する業者が多く、失業増加になる。

江戸の庶民はその日暮なので日銭が入らないとすぐに生活困窮となり一揆騒乱に繋がる。

  • 御所料改革。幕府直轄地の年貢の引上げ、これも中止となった。

このように天保の改革で目指した施策はことごとく廃止となり水野忠邦は罷免された。

こういった幕府の財政困窮や飢饉、商品経済の発達による商工業者や民衆の力の増大、商品経済に対応して庶民に読み書き算盤を学ぶ「教育爆発」が発生し、庶民からの明治維新へと繋がっていったそうです。

新井白石は、朝廷とは武家の都合により奉られており、武家に保護されるものと解釈した。それから1世紀後、松平定信は、

神国日本の主は天皇である。天皇は神々に護られ、国家と国民の興亡に関わる。武家天皇の臣であると論じた。

賀茂真淵本居宣長が「皇国」「皇朝」という言葉を多用し始める。

中国が中華でなく、万世一系の日本こそ中華である。王朝がしばしば交代する中国より、万世一系天皇が持続する国家の安定性は世界に比類ない国体である。

この観念化により、皇国が屈辱を受けると凄まじい反発を引き起こす。皇国への狂信と激情が尊王攘夷のエネルギーとなり、後の大戦に繋がる。

1793  定信老中辞職

1796  イギリス人プロ―トン室蘭渡来、翌年も

1797  オランダの傭船アメリカ船長崎入港(以降10年間)

    幕府異国穏便取扱令

1799  幕府、松前藩から東蝦夷の直轄地

1800  伊能忠敬蝦夷地測量

1803  アメリカ船長崎に、貿易要求拒絶

1804  レザノフ長崎に、貿易要求、鎖国は祖法として拒絶

    ラスクマンの信牌が反故にされる。日露紛争へ。幕府はロシアに対して「祖法」

    と説明してしまったため、国内においても鎖国は先祖代々の法になり、開国と言えなくなった。

1806  ロシア船フヴォストフが樺太攻撃

1807  幕府が全蝦夷地直轄、ロシア船樺太攻撃(文化の露寇事件)

    幕府が露紛争を調停に報告、露船打ち払令

    この頃の対外関係はロシア脅威。蝦夷地はニシン、いりこ、干し鮑、フカヒレなどの海産物の価値が高まっており、

    国防上も幕府の直轄地として開発する必要があった。

1808  間宮林蔵樺太は島であることを発見

    イギリスが長崎でオランダ商館員拿捕、フェートン号事件

    長崎奉行自殺、佐賀藩主逼塞。オランダがフランス革命後ナポレオンに従属。イギリスはフランス(オランダ)と対立。

    世界規模でイギリスはオランダの港を接収した。佐賀藩の次世代藩主はこれを転機として西洋武器導入を始めた。

    また幕府は英国が野蛮で侵略的と判断、英露同盟を疑った。またオランダに雇われて長崎に出入りする米国船については、米国が独立

    したことをしらなかったため、英国船ではないかと疑っていた。(実際フェートン号はオランダ国旗で偽装していたため)

1810 会津白河藩浦賀、海防防備を命じる

   千島測量中のゴロヴニンを2年間捕縛。ロシアはフランスナポレオンとの戦争に忙しく、調停した。

   これによりロシアは40年間日本に来ない。

1813 イギリスジャワ副総督のラッフルズが長崎に派遣、オランダ商館接収失敗

1817 光格天皇譲位。イギリス船浦賀に来航。水野忠成が老中就任、益金目当ての貨幣改鋳へ。

   

1819 文政の貨幣改鋳

1824 イギリス捕鯨船水戸藩に拘束、この頃より各地に外来船。

1825 幕府の異国打ち払い令

1828 シーボルト事件

1830(天保元年) 徳川斉昭、藩政改革開始

1833  関東、奥羽で飢餓、各地で打ち壊し、

1836  甲州一揆一揆頻発、

1837  翌年天保の飢餓ピーク

    大塩平八郎の乱、家慶に譲位、

1838  佐渡国一揆 斉昭「内憂外患意見書」高野長英「夢物語」渡辺崋山「慎機論」

1839  蛮社の獄  

1840  アヘン戦争開始 

1841  老中水野忠邦 アヘン戦争を教訓に

    高島秋帆、徳丸原で砲術演習、天保の改革開始。砲術演習は老中を招いて行われ、1週間後に天保の改革が発出された。

    つまり、天保の改革の目的は幕府の財政再建のための節約令であると同時に、外国対応軍備増強改革でもあった。

    奢侈禁止令、芝居小屋廃止、株仲間解散

1842 オランダ商館長、イギリス軍艦の来日計画情報

   異国船うち払い令廃止、薪水給与令、諸大名に海岸防備令

   伊豆下田奉行復活、アヘン戦争終結

 

さて本書は全5章からなるが、ここまでで3章の途中になる。このあとはいよいよ尊王攘夷から始まる政治の季節となり、多くの本が存在するため読書感想は割愛する。

著者の藤田 覚さんは東大名誉教授であるが、史料編纂所教授でもあったため史料に基づいたエビデンスのある著作となっている。この内容を新書200ページに収めるのは厳しい。

もう少し内容を絞るか、ページを多くすると私のような庶民でも理解がすすむ。

既に3回ほど読み直したが、手元に置いて勉強したい本である。

 

 

    

お坊さんが困る仏教の話


江戸時代の歴史に興味を持つ者として、興味のある
最後の第五章のみコメントします。

徳川幕府キリスト教を排除するために
構築したが寺請制度。

徳川幕府ができるまでは、戒名というのは教団に貢献した公家や
大名レベルなど一部人のみに生前に送られる名前であった。
一般庶民全員に戒名をつけるようになったのは江戸時代である
との事です。

戦国時代から江戸時代初期に日本にはキリスト教の猛烈な進出が
あったそうです。浄土教団が起こした一向一揆を連想した徳川幕府
は恐怖を感じたそうです。
徳川幕府は「法度」を制定し、本山の責任者の大僧正は幕府が任命する。
本山が中本山や末寺の住職を任命をし、末寺の財産権も本山が握った。
これにより幕府の意図を末寺まで徹底させていった。。

末寺はキリシタン信者を見つけて改宗をすすめ、
改宗しなければ津軽へ追放した。
こうした政策にもかかわらず1637年島原の乱がおこり、
江戸幕府に衝撃が走り、「寺請」制度を創った。
お寺に登録した人に、「この人はキリシタンではない。」
という証明書を発行した。これを「寺請証文」という。
寺請証文がないと関所が通れず、嫁入りの時にもこれが必要だった。
そしてお寺さんは檀家の戸主とその家族の出生から死亡までを宗門人別帳
で管理した。 今で言えば戸籍謄本。お寺が市役所の役割を担った。
お寺の権力は拡大し、檀家は子孫の代まで宗旨替えができなくなった。
葬儀を菩提寺で行うためには仏の弟子になり、戒名がついている必要
があったため、庶民全員に戒名がつくようになったという事です。
現代の戒名はこれを引き継いでいるため、信仰の結果ではなく江戸幕府
の治安対策の結果だという事です。
子供の頃私は、なぜ日本人は大乗仏教などという非科学的宗教を
日本人全員が信じていたのだろうと不思議でしたが、信仰に関係ない
という解説に目から鱗で納得してしまいました。

本来の釈迦仏教は死後の世界はないと断言されています。
それが大乗仏教になって死後の世界で救済されるという理屈になる。
つまり、死後の世界を信じるかどうかが戒名をつけて仏式葬儀を行うか
どうかの判断の基準のはずです。
キリスト教イスラム教も死後の世界があるとの教義なので
科学的思考をもってしても死後の世界を自信をもって否定できる
人は少ないのでしょうね。

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お坊さんが困る仏教の話