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奴隷船の世界史:布留川 正博

奴隷船の世界史:布留川 正弘 の読書感想文

 

「奴隷船の世界史」あまり楽しそうな題名ではない。あえて選んで読もうとは思わないでしょう。

奴隷制などは悪であり、悲惨なものであり世の中から消えつつある人類の忌むべき記憶と感じる人もいるでしょう。

しかし個人的にはトップクラスに面白い本でした。題名に惑わされず多くの人に読んでほしいと思います。

ではなぜ私がこの本を手に取ったのか。

まず、歴史の学び直しでアヘン戦争に興味を持ったからです。

清に武力を用いてアヘンを売りつけ、アヘン規制を行ったことを口実に清を侵略したイギリスってえげつないな、なぜそんな仕組みをイギリスは思いついたのだろうか?

実はアヘン前には古くは奴隷貿易三角貿易の中心なのですね。

アヘンとか奴隷ですよ、三角貿易って悪の権化じゃないですか?

ここで三角貿易に興味が湧いたのですね。自分の興味の赴くままに歴史を散策していると対象が無限に広がってしまいます。

この本は「奴隷制度」でなく、「奴隷船、奴隷貿易」が中心なので奴隷制度については深く触れませんが、奴隷制度はギリシャローマ時代から世界中で発展したものであり、

イギリスが考えた物ではありません。14世紀にペストの流行により人口が激減したフィレンツェ当局は外部からの奴隷流入を無制限とすることを許可するなど公的に推奨され、10年間で1万人以上の奴隷が取引されている。

 

私の印象では、ポルトガルは鉄砲をもっていて、アフリカの土着民は槍とかしかなくて、戦って捕虜を奴隷にしていたのだと思っていた。

しかし、いくら武器が優秀でも戦闘による捕虜の確保は犠牲も大きく、実はほとんどが平和的な取引によって奴隷を確保していたそうだ。

セネガル王国は隣国との戦争の捕虜を昔から奴隷として使っていた。その奴隷をポルトガルに売り飛ばして、代わりにビーズや綿製品を購入した。

奴隷港のあったリスボンでは、王室が奴隷貿易を独占し、リスボン奴隷局が奴隷商人に対して貿易許可状を発行し、奴隷の競りや販売数を管理していた。

奴隷貿易は重要な国家事業だった。ちょっと前なら国鉄とかタバコ専売公社みたいなイメージでしょうか。

中国の人権侵害を非難する西洋諸国も500年間には奴隷貿易を国家事業にしていたのですからこれも皮肉を感じます。

三角貿易とは次の順番で取引きされます。

①西洋→西アフリカ(綿製品、鉄製品、馬、小麦)  ②西アフリカ→アメリカ大陸や西インド諸島(奴隷)   ③アメリカ大陸や西インド諸島→西洋(砂糖、コーヒー)

15世紀にポルトガル商人によって①の貿易港が開拓されます。ポルトガルは西洋の西端にあり、陸路で海外と貿易する事ができなかった。陸路だとスペインやイスラム教徒の国を通過する事ができなかった。

また、地中海貿易はイタリアなどに抑えられていたのでアフリカ大陸を回る海路に活路を見出したのですね。

次にオランダ、17世紀後半から英蘭が奴隷貿易に参入した。

本の冒頭に世界地図が掲載されており、西洋→アフリカ西海岸→西インド諸島アメリカ大陸の奴隷の港や途中経由都市が掲載されているが、グローバリズムの芽生えを感じさせる。

 

約400年間に渡り1000万人の奴隷が大西洋を渡った。

奴隷船とはアフリカ大陸から新世界にできるだけ多くの奴隷を、早く、死なさずに輸送する専用船であり、「移動する監獄」と呼ばれている。

奴隷商人は西洋各地の奴隷貿易港に存在し、貿易全体を統括し、投資した資本家であり、裕福な地元の名士であった。

奴隷船は難破、海賊の襲撃、奴隷の反乱などのリスクが大きいため、英国でロイズ保険が誕生し、アメリカ大陸で奴隷を売却した代金は為替で英国に持ち帰って換金されたため為替制度が発達した。

奴隷貿易で蓄積された資本によって産業革命の資金が賄われたという学説もある。そして、産業革命によって製造された綿製品がアフリカで売られ、工場労働者への簡易な栄養としての砂糖の原料となるサトウキビのプランテーション西インド諸島やブラジルで発展した。産業資本主義の発展には奴隷貿易が欠かせなかった。

現代において共産主義国や強権国家と対比される自由資本主義社会は奴隷貿易によって発展したならば皮肉と言える。

インターネットを使って世界の研究者が共同研究した成果として、約35千件の奴隷貿易記録がデータ化されている。

船、船長の名前、トン数、船籍、出港日、奴隷数、男女比、死亡者数などとても面白い。

一つの具体例、英国籍のローレンス号、300トン、砲数14,400トン、南海株式会社所有、ロンドン出港、アフリカのロアンゴで奴隷を集めて、ブエノスアイレスで売却。

航海は1年半。乗船員50名、積込奴隷453人、荷揚げ奴隷394人。(死亡率13%)

アフリカで奴隷を集めるのに3カ月かかっているそうです。イギリス南海会社は毎年4800人の奴隷を貿易する事がユトレヒト条約で認められた国策会社です。

奴隷貿易には保険が掛けられており、貿易許可状により貿易数が管理され、株主への配当金計算の必要もあるため記録されていたようです。

このような記録を見ると、奴隷貿易は悪の密貿易ではなく、西洋では広く認められた主要貿易品であることがよくわかります。

コロンブスが新大陸を発見し、スペインが伝染病を持ち込んだり、現地の文化や産業構造を破壊した事で貧困化が進み、労働搾取や征服戦争により原住民が激減した。

例えばキューバは1万4千人の人口が30年で千人に激減、エスパニョーラ島は30万人が6万人に減少。アステカ王国は2500万人が100万人まで減少。

そのため、銀の採掘やサトウキビのプランテーションのための労働力を穴埋め補充する必要があり、アフリカ大陸から奴隷を運んできた。

いやースペイン鬼畜艦隊ですね。歴史上これほどの民族迫害があるでしょうか・・・

本書には奴隷船の構造図が掲載されていますが、最初に見た時に奇妙な感覚に襲われる。遠目に見ると船室に黒くて細い蟻のような棒が沢山書かれている。

よく見ると人間が隙間なく寝かされている図。できるだけ多くの奴隷を運ぶ必要があったのだ。

また反乱や自殺を防ぐため二人一組で手枷拘束具をつけられて1日16時間板に寝かされて2カ月間の航海をさせられた。便器も不足し、垂れ流し。空調もなく暑くて悪臭がする。

1日1回甲板で運動のために踊らされる。伝染病予防のため塩水、酢、煙草で洗われる。荷揚げ地が近づくと食事量を増やし、オイルを体に塗って、髭をそって健康そうに見せた。

まさに家畜のように運ばれて売買されたのですね。

奴隷貿易は成功すれば1年半で投資額が2倍になり、失敗すれば他国に拿捕されてゼロになる商売だったようです。

奴隷貿易には元手が必要なため、商人の父親は、富裕商人、奴隷船長、船大工など関係のある職業についており、平均的な奴隷商人はワインセラーや図書館のある邸宅にすむていどの財産を形成した。

その息子はオクスフォードやケンブリッジ大学に進学し、商人、聖職者、海軍将校、法律家になった。

奴隷貿易で成功する事でイギリス社会の地位を向上させていったそうです。今で言えば憧れのIT長者といったところ。奴隷貿易には相場や奴隷、航海、関税の知識が必要であったろう。

 

さて第三章以降は奴隷貿易廃止への動きが書かれている。

例えば、イギリスでは農奴が開放されて以降、奴隷は存在しない事になっていたため、イギリスに入国した奴隷を売却する事が出来ない事を争うサマーセット裁判であるとか、航海の途中で死んでから海に捨てた奴隷は海上保険で補償されないが、生きて脱走した奴隷は保険で補償されることから、航海の途中で230人の奴隷を生きたまま海に捨てた保険金の支払いを拒否したゾング号裁判などの判例が積み重なっていった。

当時の英国ではコーヒー、紅茶、ココアに砂糖を入れ、菓子にも沢山砂糖をいれていた。

英国の政治家、奴隷反対派は、「21か月間砂糖を使わない家庭は植民地のプランテーションで働く奴隷一人を殺人から救う事ができる。

1ポンドの砂糖を消費するのは奴隷2オンスの人肉を食べているのと同じだ。」といった小冊子を販売して砂糖不買運動を展開し奴隷制度廃止の啓蒙がすすんだ。

本書では砂糖の入れ物に「東インド産、奴隷生産にあらず」とかかれた写真が掲載されており、不買運動の成果が窺える。

ポルトガル奴隷船アミスタット号の反乱について、首謀者の裁判が拿捕されたアメリカで行われたのがアミスタット号事件。

裁判では奴隷の反乱が合法とされ解放された。スピルバーグが映画化しているとの事で一度見てみたい。

複合戦争と総力戦の断層:山室信一

 

複合戦争と総力戦の断層:山室信一 。  読書感想

東洋経済の学び直し近代史60冊の中の1冊。

私の知識としてWW1とは、欧州が中心であり、欧州列強のの植民地である中国にも波及した事で日本に影響したという事。

日本は欧州列強が戦乱でひっ迫した隙に中国の青島を占拠した写真を記憶している。

そしてドイツへの戦後賠償が厳しすぎてヒットラーの台頭を許したという程度だ。

 

高校の日本史の教科書を見ると、WW1についておおよそ4ページ使っているが、本書は160ページを使っている。

本書は京都大学の共同研究として授業で使われる事も視野に編集されているため教科書的な分かり易さ、客観性、紙数の少なさ、写真を多用していて読みやすい。

その一方、本書の目的からして日本に関係のある政治家や軍人の外交に多くの紙数を使っているため、経済や国民生活への影響という視点は少ない。

例えば本書では、日本人にとってWW1は遠い欧州が主戦場であり、日本が攻められるリスクがなく、参戦を迫られる状況でなかったため一部の政治家と軍人によって参戦が決められたと記載されているが、教科書を読んでいると、日清戦争の勝利を契機に思想界は対外膨張主義や大陸進出論一色になっていたことが記載されている。

明治23年までの3年間に日本の雑誌新聞の発行量が3倍に増加し、雑誌「日本人」「国民の友」などで言論人が盛んに大陸進出論論争を繰り広げていたと記載されている。

つまり一部の政治家が参戦を決めたにせよ国民全体が賛成していたことを窺わせる。

また桂園内閣やシーメンス事件で民衆の抗議が高まったため、国民や言論界で人気の大隈が第二次内閣を組成したが、国民に人気のあった大隈がWW1を承認した首相であることも参戦に民意があった事を現わしているのではないでしょうか。

そして大隈は現在も早稲田大学の創業者として人気を維持している。

因みに大隈は「国家膨張は開国進取の現れである」と主張しており、明治維新から日清日露戦争の成功につながった開国と膨張主義は国全体として正義だったのだろう。

戦後教育を受けて令和に生きる私からみれば日本の軍国主義帝国主義、大陸進出は下品で野蛮で価値観に反するが、当時世界の先進国はどこも大陸進出にしのぎを削っており、日本が侵略しなければ欧米が侵略するだけで、弱肉強食の世界の理論だろう。

東アジアに植民地利権をもつ欧米は日本と競合しているので日本を批判するは当然だが、日本をけん制しておいて自分たちの権益は広げようとしていただけだった。

また、大陸が欧米に植民地化されてしまうと、大陸に近い日本の安全保障が脅かされるし、資源のない日本が生き延びるには資源確保の大陸進出を目指すの正義だろう。

しかし、侵略する側に立てば正当な理屈だが、侵略される側に立てば日本の理屈には全く正当性はなく、侵略に際しての虐殺、略奪、主権侵害の悲惨さを記載することも重要ではないか。

ウクライナ戦争において死体の映像を流す理由は侵略の悲惨さを伝えるためだろうし、侵略される側の悲惨な状況を伝える事で侵略を抑止する教育が必要だろう。

 

教科書の記載の戻ると。開戦時には「日本は日英同盟と日露協約の関係で三国協商側に立った。第二次大隈内閣は加藤外相の主導のもと日英同盟を理由に参戦。」としか記載されていない。

本書では当時の内閣や野党、元老などの発言を詳細に記載しているが、WW1が始まる前からどのように中国利権を維持拡大するかが常に検討されており、絶好の好機と考えられていたことがわかる。

日英同盟がなくとも日本は何とか理由をつけて大陸進出をしていただろう。

一方、同盟国の英国を見ると、戦況が不利になると日本の参戦を要請し、戦況が有利になると日本の進出を防ぐために参戦を制限することを繰り返している。

英国側も自己の利益しか考えていない。節操がなく2枚舌外交であることは日米同じだったようだ。

参戦の目的は対華21か条要求に込められているので詳しく見てみる。

第一号:山東省におけるドイツ権益の譲渡。私が学生時代に学んだ時の感想は、他の列強に比べて遅くに進出したドイツがもつ山東省は面積も狭いし、大した価値無いのではというものだった。

しかし本書を読めば、膠州湾は中国第二の港であり、山東鉄道は沿線に炭鉱があって内陸部の消費市場にアクセスするための重要なインフラや資源であることが理解できた。

第二号:南満州と東蒙古の権益延長。学生時の感想は、既に日本が租借している満州の租借延長など簡単で大したことではないだろう。

しかし満州鉄道は39年には中国の買取に応じる必要があり、遼東半島は23年に返還義務があった。参戦した14年から見れば10年以内に返還が必要だった。

日露戦争後は20万人の日本人がこの権益を使って中国で活動しており、大陸拠点を失うわけにはいかなかった。

教科書では列強の対中投資比率が円グラフで載っている。14年→31年で見ると。日本は13%→35%であり、英おっくの37%に次いで2位になっていた。

日本の対中投資がいかに巨額か。そして投資したからには権益を維持する必要があるかが理解できる。こういった経済面からの解説はさすが教科書。

一方。中国でも官民を挙げて国益回復の要望が高まっていたため、日本もイギリスが香港を99年租借した事に習って、長期租借に切り替える事で中国との紛争を解決する事が目的だった。

第三号:教科書では省略されているが、漢冶ひょう公司の日中共同経営。私の感想は、なぜここに一公司の共同経営といった小さな要求が記載されているだろうか?というものだ。

この公司八幡製鉄所への鉄鋼供給に重要であり、日本の対中投資の大半を占めていた。

八幡製鉄所は戦略物資の生産に欠かせない最重要施設であり、先ほど触れた対中投資の激増の大半はこの公司に対するのであれば理解できる。

第四号:福建省の港湾利用 これは日本の植民地である台湾が対岸にあるため、台湾に対する軍事的経済的安全保障として必要だった。

第五号:日本人軍事顧問の雇用、日本人学校や寺院の土地所有、日本人警察官の雇用、揚子江中流の鉄道施設。これは中国主権の侵害であり中国は交渉さえ拒否した。

加藤外相は四号を取引材料であり取り下げる予定だったと説明している。

この21か条の要求は、あからさまに経済権益の確保や中国の朝鮮半島化を目指しており、中国主権を無視している事、欧米列強の植民地政策とも抵触するものであった。

そして第五号を隠して欧米に公開するなど後ろめたい事をしている。第一号の山東省はドイツから日本が譲渡を受けて中国に返還する条約だが、そもそもドイツから中国に直接返還の話し合いもされており日本が中間に入るのは日本の租借延長を将来目標にしていると思われた。

また、日本の対外公使館に対しても2条~5条の存在を開示しておらず、その状態で欧米の新聞に開示したため、日本公使館は1条のみを現地に説明していたため海外の信頼を低下させた。

21か条に署名した袁世凱は「日本は欧米戦争の間隙に乗じて、わが国力の弱体につけこみ、主権侵害、内政干渉となる条約をつきつけた。兵力では対抗できないためやむを得ず要求を受け入れざるを得ない事は最大の恥辱であり臥薪嘗胆の精神で奮闘してもらいたい」と訴えていた。

現在の中国の躍進を見れば、100年の時を経て中国が日本に臥薪嘗胆の仕返しの気持ちを持つ事は理解できる。

 

教科書ではアメリカの記載は5行だけ。

「石井ランシング協定により、①中国領土の保全と門戸開放②地理的事情により日本は中国に特殊利益をもつ事が合意された。」

しかし本書を読めば、太平洋を挟んで新興国であるアメリカと日本は覇権を争っており、大戦の期間を通じて日本が目的とする行動にアメリカが介入して大きな影響を与えていたことがわかるが、教科書の記載ではそれはわからない。

また、中国からすれば、自分を抜きにして日米で中国の領土、主権に関して決定する事は中国の主権を無視しており話にならない。

もし日本の鉄道や港湾の利用権を日本抜きに中ソが合意したら我々はどう感じるだろうか。

過去にイギリスやフランスがおこなったのは軍事的威嚇による侵略だが、遅れてきたアメリカは武力でなく、投資による経済的侵略を行っており。国民主権を尊重し、自由で開かれた中国を目指していた。

日本も遅れてきた帝国主義国だが、逆に軍事的威嚇を極端に使ったため時代遅れの侵略手法であり、中国や世界からの反発と不信を買ってしまった。

しかし、アメリカと違って日本には資本力も資源力もないため投資による経済侵略はできなかった。

高度成長期の日本がNYの土地や不動産を買収した時に、第二の真珠湾攻撃と言われたが、もし中国に投資可能だったら第二の国恥と言われたのだろうか。

WW1は、日英同盟を根拠に英国の要望をきっかけにドイツと戦う事が建前であった。

実際には英国は日本の中国進出を恐れて参戦を制限していたし、英国が参戦する前から日本の英国大使は英国外相に参戦の打診をしていたくらいだ。

軍事的にはドイツが占領していた青島より先に、ドイツ軍がいない内陸部の山東鉄道の占領を行うなどドイツ軍との戦闘よりは中国内の鉄道や港湾占領に時間をかけていた。

実態は中国侵略を目標としていたことがあからさまである。

世界は大戦が3カ月ほどで終わると予測していた。そのため日本は無理やり早期に参戦して素早く中国権益の確保を締結しようと焦っていたため拙速だった。

一方、中国は中国権益を持った欧米列強が大戦により欧州に向かう事で、中国の主権回復を期待していたが、間隙をついて侵略した日本に反動として大きな失望を持った。

 

教科書のシベリア出兵は僅か1行。「ロシア革命により社会主義国家の誕生を恐れた英仏連合軍は日米にシベリア出兵を促した。」「アメリカはシベリアのチェコスロバキア軍救援を名目に寺内内閣に共同出兵を持ちかけた」

「列強が18年の大戦終了後撤退したが日本の駐兵は22年まで続いた。」これだけでは出兵の本当の理由は伝わらない。

一方で、注釈では戦費が10億円と記載されており、日本経済がWW1で11億の債務国から27億の債権国になった事が記載されておりシベリア出兵の巨額さが理解できる。

その巨額な出費に対して、目的や成果がほとんどなく、出兵をあてにした米の買い占めにより米価が高騰したくらいであるため歴史に埋もれている。

本書ではシベリア出兵について。公にされた目的はチェコ軍救援であり、ロシアの領土不変更と内政不干渉であったが、真の目的は東清鉄道と樺太油田の権益確保としている。

戦艦の燃料が重油となったため、日本海軍としては地理的に近くて良質な樺太油田は生命線とされた。

また満州や蒙古の権益を強化する事や、ウラジオストクにある63トンの武器やドイツ軍がシベリア鉄道で東アジアに来て山東省権益を奪取することを防ぐためにも東清鉄道の確保は重要だった。

ロシアの消滅は、ロシアが持つハルビン自治区権益の消滅となり、そこにドイツが来ることを防ぐのは中国の利益にもなるためドイツに対する日華共同防敵軍事協定を結び、中国参戦軍と共同する事で日本軍は中国内を自由に移動する事や、満州からシベリア出兵が国際法上可能となった。

中国はWW1参戦のために日本軍の指導のもと3個師団を組成したがこれが中国参戦軍。

陸軍の田中義一参謀次長はシベリアに傀儡政権を作ってシベリア資源の確保を主張し、小磯国昭にシベリア資源の調査を命令している。

日本はソ連に宣戦布告していないため、直接ソ連の権益を奪取できない、そのため傀儡政権が必要であり、複数の傀儡政権候補を支援したがいずれも失敗した。

たしかにアメリカもシベリア鉄道の利権獲得を目指しており、日本はそれを阻止するために単独派兵まで視野にいれていた。

日本国内においては、日露戦争から10年が経過しており、国内の軍国主義路線を復活させるために戦争が必要であると山県元老や後藤外相、田逓信相が主張した。

労使紛争や米騒動など国内の不満を挙国一致の戦争により収拾させる目的もあった。

ドイツの休戦やチェコ軍救援の完了により列挙区が撤退する中で日本軍のみが駐兵を続ける理由がなく、朝鮮半島満州への脅威の除去としてパルチザン鎮圧という住民全体を仮想敵とする泥沼にはまった。

結局、国内と国際世論の批判にさらされて膨大な損失と成果がないまま撤兵した。

加藤外相の対華21か条の要求を、国際世論の反感を買っただけの愚策と批判した寺内は、逆にシベリア出兵により加藤から、天下の愚策と批判された。

加藤と寺内の批判が正しいとすれば、日本の山東省とシベリアへの出兵両方が天下の愚策であり、WW1への参戦自体が天下の愚策という事になると本書は皮肉に締めている。

 

さて、現在ウクライナ進攻しているプーチンの主張は「ナチスの撲滅」「迫害されている親ロシア住民の保護」「ロシア国境のウクライナへのNATOの武器配備によるロシアへの軍事的脅威」といった主張はWW1で日本が主張していた「山東半島のドイツから中国への返還」「中国での門戸開放」「日本や台湾、朝鮮へお軍事的脅威の除去」「ロシア内のチェコ軍救援」など似ている。

現在日本人は、よくプーチンは平気であんな嘘をつけるなと思うなら、WW1で日本が進攻の理由としていたことは世界から見れて同じように映っていたのだろう。

アメリカがイラク大量破壊兵器の脅威を理由に進攻したが、大量破壊兵器は存在しなかった事を見れば、旧帝国日本や、現在のロシアと言った全体主義国家に限らず、強国が弱い国を侵略するときの建前は100年前から現在まで同じ構造だと感じてしまいました。

日本占領史 1945-1952

日本占領史 1945-1952  福永 文夫  中公新書

 

東洋経済「世界と日本の近代史」60冊

                                                                                                                      

教は沖縄本土復帰50年のニュースが流れている。

沖縄戦では県民の25%が死亡し、占領により住民は収容所に送られ、住居が米軍基地のため壊された。

本土が独立後も占領が続き、本土復帰は72年までかかった。

米軍基地がある事で、騒音、墜落事故や米兵暴行事件ばかりが報道されている。

誰もがわかり易い基本的人権に関する問題であるし最も重要な問題ではあるが、その背景や歴史を世界史的観点で報道していない。

若者にとっては生まれた時から沖縄は本土復帰しており、憧れの観光地である印象が強いだろう。

沖縄から東京に行くのに復帰前は、日本渡航証明書(パスポート)が必用で、船で3泊。ドルが通貨として使われた。                                                                                                                                          

復帰前は新日本憲法の施行対象ではなかった。日本ではないという事ですね。

少し前の香港のイメージ。香港ドルが使われ、共産党批判も許されていた。

 

日本占領史は高校の教科書では14ページだが、本書では345ページを使っている。

本書は読んでいて驚くような発見はないが、史実に忠実であり信頼して読める。

占領史なので占領者の主導のもと政策が決定されてゆくが、その過程を被占領者の目線から描いている。

古い歴史は被占領者の目線で描かれた記録は残っておらず、その点では近代史独特の目線だろう。

教科書との対比で目立ったことを中心に感想を書きます。

当時マッカーサーと相対していた昭和天皇や幣原、吉田など歴代首相の手記ではどうしてもマッカーサー記載が多くなる。

そして、史実を調べた本書でもマッカーサー考え方が重要になってくるのだろう。

アメリカの対日占領は講和条約による国際社会の復帰で完成する。マッカーサーは48年の大統領選への出馬を目指しており、成果を焦ったマッカーサーは47年にワシントンや連合国に無断で日本で早期対日講和声明を出した。

しかし、結局米ソ冷戦や朝鮮戦争の勃発により日本の占領方針が変更となり講和条約は延長された。

ワシントンとGHQが反目していた事。更には連合国とも意見が相違していたことが詳細に書かれており、その原因はマッカーサーの思想にもある事が理解できる。

  • ポツダム宣言受諾後に日本の占領が始まった。連合国(主にアメリカ)による占領。しかし、沖縄は交戦中の占領であり、ハーグ陸戦規定によるものであるため本土の占領とは全く切り離されていた事で本土復帰が遅れた。

本土は建前では連合国(GHQ)による占領であり、ワシントンから基本的方針が指示されていたが、沖縄は軍政が続いたため米軍が自由に動ける基地優先が続いた。

 

  • 教科書にも書いてある事だが、日本国憲法が作られたころのアメリカの対日方針は日本が二度と戦争しないための非軍事化であり、防衛のための交戦権を排除していた。

憲法解釈にも規定された。国会答弁でも、正当防衛であっても交戦権を認めれば、偶発的戦争を招くのでこれを認めないと答弁している。

安保に対する政権の考えは一貫しており、安全保障は国連と米軍に委ねるというもの。現代においては危険で稀な考え方。

米ソ冷戦によりアチソン国務長官は何度も吉田首相に再軍備を迫っている。経済面の貢献だけでなく、陸軍の創設により直接軍の貢献を期待していた。

吉田首相は講和条約交渉の過程で、再軍備しないかわりに基地の費用負担などお金に関する事は何でもすると伝えていた。

それが沖縄基地問題、横田空域問題、思いやり予算問題、日米行政協定による米国の自由な基地設置に繋がっているのだろう。

(安保改定も含む)

何と言っても日本は敗戦国であり、当時の国際政治の状況からすればやむを得ない部分はあったのだろう。

吉田首相は当時、社会党再軍備反対運動を依頼し、アチソンの安保再軍備へのカードにした。岸田首相が野党に再軍備反対運動を依頼するようなものであり、隔世の感がある。

ところがその後、米ソ冷戦により、アメリカの対日方針は再軍備化へ転換し、憲法9条は矛盾が発生した。

ここが戦後日本史の分かり難い所だ。占領初期は軍備撤廃で、その後に再軍備に向かう米国と、最初は軍備維持で、その後再軍備反対になる日本政府。

アメリカは講和条約の条件として日本の再軍備を強く求めたし、陸軍による反共戦線への協力も求めていた。やむなく吉田は自衛隊を作った。

当時から既に軍事における国際協力を期待されていたのですね、湾岸戦争でショウザフラッグとか、ブーツオンザグラウンドと言われたのと同じ。

ウクライナによる自由を守る戦いについて資金援助しているのに武器供与していないため日本は感謝されなかったのと同じ。

やはりお金だけでなくもっと直接的な戦力貢献が求められているのだろう。

アメリカによる日本国憲法草案は9日で作られた。当時の日本政権が作った憲法案は全否定されたため、政権からすれば押し付け憲法だった。

しかしGHQ案は当時盛んに行われた日本の学者における憲法案提言の一つを参考にしていたので国民の意向とすれば押し付け憲法と断定できない。

本書は憲法についての記載は多い。GHQは日本国民が将来に渡って長く支持されるためには押し付けの憲法でなく、日本が自ら草案したものが好ましいと考えていた。

GHQが日本の民主化や新憲法を重要視していたという事だろう。

重視はしていたが、英国連邦や東アジア、あるいはワシントンの一部で天皇制廃止の意見が大きくなっており、早期に天皇制を維持した憲法の発布に迫られて9日で作ってしまった。

当時は9条に反対する勢力はなく、天皇制の維持、主権が誰にあるかが議論の対象だった。

最近の女系天皇論議や皇族スキャンダルにより天皇制の必要性に対する国民の関心を見ると、昔の日本が必死になって守ろうとした天皇制の価値を今の日本人がどれほど感じているのだろう。                                                                                                                                 

教科書では天皇に関する記載が人間宣言のみであったが、本書では人間宣言の冒頭に五箇条の御誓文を引用した天皇の意図が、旧憲法の趣旨は民主主義であることを表現したと言っており、

欽定憲法でも国民の意図を汲み取った民主的憲法であるという主張が理解できる。

吉田は「赤色革命を奨励する如き」と書き残している。

しかし、冷戦勃発により今度はレッド・パージにより共産党関係者が政界から追放される。当時共産党は連合国を解放軍と呼んでおり、日比谷のGHQの前で、「占領軍万歳」を叫んでいた。

また、占領初期には二度と戦争できないように財閥解体造船業の解体、重工業産業の解体など経済力の弱体化が行われた。

しかし、冷戦勃発により、アメリカの日本支援の負担軽減を目指して財閥解体の解除、重工業の振興が行われた。当時アジアで重工業を振興できる国は日本しかなく、朝鮮へ物資供給や、中国共産党への防波堤としての日本の地政学的立場もあった。

農地解放により1Ha以上の農地は国が強制買収し、小作農に売約した。これは寄生地主をなくし、所得格差をなくし。農家を平等にして困窮を無くすことが目的だったが、今となっては小規模農家が多く生産性の低い問題が残ってしまった。

大規模農業へ転換し農業の生産性を向上させ、補助金財政負担を無くし、自給率を上げるべきだろうが、自民党政権が続く限りは難しいだろう。

 

昨今の米中冷戦やウクライナ戦争を見れば、戦後70年を経ても同じ構造的問題が残っていて愕然とする。

アチソンが推進。日本は独立ばかり要求するが、自由世界の強化にどう貢献するのか。暗に再軍備を求めた。

 アメリカの前提  1,日本の安全保障は国連に委ねる  2,太平洋地域におけるアメリカの圧倒的優位 3,沖縄はアメリカの信託統治とする

 当時天皇は沖縄米軍基地継続をお願いしていた。25~50年の信託統治案など。香港みたいなもの。

 マッカーサー民主化強化を妨げない範囲での経済強化」→二度と戦争を起こさせない。

 ワシントン、経済安定を妨げない範囲での民主化 →欧州のマーシャルプランによるアメリカ財政悪化。日本の経済不安定は共産主義の拡大を招く。経済自立して中ソの防波堤になって欲しい。

アチソンの講和条約推進:4つのハードル。 1,ソ連北方領土問題で講和に反対   2,国防省は日本の基地を維持したいため反対  3,オーストラリアなど英連邦が侵略経験から反対

最近の中国の軍事化、領土拡大、全体主義化。ロシアのウクライナ領土拡大。台湾問題。北朝鮮の核開発。これらを見れば、日本の基地化はすますその重要性が高まっているのではないか。

だから米軍は日本の基地を維持したいはずだが、トランプを始めワシントンは自国優先主義になっており、自国にメリットがなければ基地縮小になるし、いざ日本が攻撃されても米軍が本格的に日本を守るとは私は思えない。

 昔も今も、日米政府は再軍備賛成、日本国民や東アジア諸国は反対だったが、昨今の東アジア情勢やウクライナ戦争を見れば、日本国民の再軍備賛成は増えるだろう。

映画北斎

 

映画 北斎

 

私の期待からは外れていた。

北斎と言えば①作品 ②破天荒な人生  の2つが話題ですが、この映画では①の作品はあまり出てこない。

そうすると②であったり、作品が生まれる背景を表現したかったのかと思いますが、それも伝わらない。

北斎は7歳から90歳まで絵を描き、その版画は膨大な量であり、海外でも人気がるのだから、作品を前面に押し出した映画にしても良かったのではないか。

絵そのものの著作権は切れていると思いますが、その写真自体に著作権があるといった理由でもあるのだろうか。

絵を中心にした場合は、北斎の人生やトピックは薄まってしまい、ドラマ性がなく退屈な解説映画になってしまうのでしょうか。

作品が生まれた背景をその生き方から見せようとしたのか。

それにしてももう少し解説を入れないと、前提の知識がないと映画ではサラッと流れてしまう気がします。

例えば映画では100物語の最中に歌麿が逮捕される話がありますが、どうせなら当時の江戸の100物語がどんな風習だったか、そして北斎のこはだ小平次くらいは映してくれても良かったと思う。

第一部で人物画では同時代に写楽歌麿がいたため勝てなかった事は有名ですが、それは伝わったのでしょうか?売れる絵ではなく、描きたい絵を描くという表現で終わっている。

北斎が旅の途中で大木の大きさを図るために木に抱き着くシーンがありますが、あれは「甲州三島越」ですよね、だったら絵を映そうよ。

できれば当時歌舞伎が流行していて千両役者などは今で言う年棒数億円のプロ野球選手のポスターのようなものだった。

そして吉原は風俗街というだけではなく、当時の原宿のようなファッションと文化の発信地であり、花魁はスターモデルだった事。

だから役者や花魁の魅力をデフォルメした絵が売れたという事。

だから人物画では歌舞伎の見栄や花魁の着物をでふぉるめしているし、風景画ならその土地の名所をデフォルメするので写実的ではなく変わった構図になっている事。

人物画を諦めて山野を彷徨い風景画を描くことに行きつく過程はちょっと伝わらない。北斎が子供の頃に描いた富士山を見たことがあるが、そもそも原体験として風景画があったのではないでしょうか?

脳卒中になって復活する過程が書かれていない。旅にでるのはわかったが、自分で作った薬で治り、その薬を販売した逸話などを入れると面白いのではないか。

富嶽三十六景の頃には一番の人気画家だったのだから、その人気ぶりを描いてほしい。旅行ガイドブックや江戸土産として人気であった事を描いてほしかった。

当時画家の取り分は初版のみで著作権は版元にあったので、重版しても画家には一文も実入りが無いため、人気画家でも富豪にはなれない事とか、お金に無頓着で掛けで買った支払いは中身も見ずにそのまま版元から貰った袋を渡していた事など。

当時浮世絵は500円くらいで明治維新で歴史から姿を消したが、明治以降、日本から欧州に輸出した陶器の緩衝材として入っていた浮世絵を見た欧州で人気が出た事なども挟んでもよかたのでは?

北斎の作品と逸話は膨大過ぎて映画に入れ込むトピックスに限界があるとは思いますが、北斎が世界に与えた影響、なぜ北斎は死ぬまで絵のスキルを向上し続けたのか、当時の江戸の風俗、浮世絵は芸術としてではなくブロマイド、ポスター、挿絵といった物であった事。プルシアンブルーをなぜ使ったのか。浮世絵は彫師や摺師との共同作業であり、精巧な技術が必用だった事などもっと知識として残る内容を期待していた。

ちなみに文書を描いた後でネタバレをググったら私と同じような感想が並んでいたので私が辛口というわけではなさそうです。

ジダネルとマルタン展

ジダネルとマルタン

 

ジダネルとマルタン

 

ジダネルとマルタン展最後の印象派展を見にSOMPO美術館に行きました。

コロナ禍で2年ほど行きにくかった美術展に月1回のペースに戻りました。

若い頃は絵画に全く興味がなく、30歳を過ぎたころになぜかゴッホの絵に惹かれてポケットタイプの画集を買った記憶があります。

美術に興味がないのになぜ美術展に行くのか?

卒業ヨーロッパ旅行で貴重な数日を大英博物館で過ごした経験から、誰もが知っているミーハーな絵の実物を見るには海外の美術館に行く必要があり、それには数十万円が必要だと実感しました。

ましてや、一人の画家の生涯の作品をトレースしようと思えばヨーロッパ中の美術館を訪問しなければなりません。

所蔵していても公開されているとは限りませんし、個人所蔵の作品もあるので作家単位の作品をミーハーがトレースするのは難しい。

そして現地の美術館の解説は外国語なので、日本語の解説書を持参するか、事前に勉強しないと絵の見方や時代背景を理解できません。

画家個人や当時の時代背景の理解がある事で絵を見る楽しさは何倍にもなります。

例えば今回の作品は第一次世界大戦の頃に製作されています。世紀末で大戦が行われる不安な時代、旅行もできずアトリエで過去の記憶を再構築して描かれた作品もありました。

今も世界中で格差社会、社会の分断、パンデミックの発生、ウクライナ戦争など不安を感じる要素が多いですが、当時も似たような時代だったのか想像しながら見る事で感情移入できます。

僅か1700円ほどで有名絵画の実物を見る事が出来るのは本来の数十分の一の費用で済むという事です。

特に今回の展覧会では個人所有とされている作品が多く目についた。個人所有と言ってもどこかの美術館に委託保存されており一般公開されているだろうが、貸し出しには面倒な手続きが必要だろう。

ジダネルの作品の中にはアランドロンが所有していたという絵もあり、寡聞にして知らない画家であったがフランスでは二人のアンリは約100年前にフランスで活躍し、フランス学士院に選ばれた有名な画家です。

どの画家も同じですが、若い頃は基礎スキルを固める時期なので写実的で面白みに欠け、灰色や肌色を中心とした地味な作品が多いような気がします。

初期のマルタンは近距離の人物画ですが、目や口が不明瞭です。人は人の目や口で相手の感情や意図を読み取ろうとする動物なので、それが不明瞭だと相手の感情が読み取れずに不安な気持ちにさせられて好きになれません。「腰掛ける少女」

中期には風景や静物画に移行しますが素人が見れば特に記憶に残る画ではありません。「砂地の上」

初期のジダネルも色彩は控えめで暗く、メランコリック、抒情的、耽美な雰囲気であり、私の好みではありません。「月夜」因みに初期の作品ではありませんが。

画の好みは別にして、ジダネルはベルサイユに住み、宮殿の散歩を日課にしており、夜の逍遥で「月夜」を描いたそうだ。

私も日中の公園の散歩を日課にしているが夜は寂しくて風景も見えないため刺激がなく散歩する気にはなれない。夜のベルサイユの庭園で絵を描くのは寒く寂しくはないだろうか。

マルタンは後期になるとパリの国務院の壁画を作成するが、その下書きの絵は色彩豊かで労働という躍動的な題材もあり好きな作品だ。

国務院は一般人が入る事ができないため、実物の壁画は見る事ができず、その習作を見る事が出来るのみだが、習作であっても素晴らしい作品だ。

習作であるが故に代表的な油絵作品として扱われていないが、個人的には最も見ていたい。

展覧会では関連地図が配られている。欧州の多くの画家がそうであるように、この画家たちも仏国内はもとより、ベルギー、イギリス、イタリアに滞在している。

欧州は一つなのだと実感します。果たし日本の芸術家のどれだけが中国や東アジアに滞在したことがあるだろうか。

そして、多くの画家がイタリアでルネッサンスから影響を受けています。

古代文明が栄えた中国やインドに啓発される日本人画家がどれだけいるでしょうか。

モネの水連のように田舎に複数の家をもってそこに自分の庭を造り、題材にしている。画家たちが住んだフランスの田舎町は、フランス人が選ぶ綺麗な田舎の1位~3位になっている。

そんな綺麗なフランスの田舎に別荘があるのは幸せだろう。

現代の日本では、田舎は仕事や刺激がなく、美術館や図書館もなく、買い物や通院が不便だが物価が安く、自然が多くて心癒される場所とされるが、多くの風景画家にとって仕事場所は田舎でも問題ないのだろうし、別荘のような感覚で都会と行き来していたのだろう。

自分に置き換えれば、八ヶ岳や房総半島に住めれば広い家や庭、自然があるのは羨ましいが、何のとりえもない初老の男が、仕事や刺激のない田舎に住んでも幸せだろうか。

一度は他人に譲った作品に、再度手を加えた「関税」。例えばパソコンのメーカーは製品にして売ってしまえば保証期間が過ぎた」製品に愛着も興味もないだろう。

画家にとっては、他人に譲った後でもずっと気になる作品があるという事を知り、そんな「仕事」ができる芸術家が少し羨ましい。

私は自分がやってきた仕事を後で確認する事はできない。

因みにアンリマルタンというバラの種類があります。ジェルブロアに家を買ったジダネルは自分の庭をバラだらけにします。それを見たジェルブロアの村人たちもバラを育て始めました。

そして今ではバラの町として有名になっています。バラと言えばジダネルなのにマルタンというバラの品種があるのはなぜだろうか。

愛国革命民主

愛国革命民主

東洋経済「世界と日本の近現代史がわかる60冊」

愛国・革命・民主を明治維新の日本と、中国や西洋との比較において理解しようとする本ですが、いずれも私の興味の薄い分野である。

市民講座を書き直しているため、文章は平易だが説明がざっくりしている。

そして引用される歴史が多岐に渡るため、前提となる世界史をしっていなければ十分な理解は得られない。

また、「経路依存性」「ローレンツの水車」「気象予測と歴史の因果関係」「カオス理論による歴史決定論」「万能細胞の分化」「マルクス主義」の説明に紙数を割いている。

従って私には重荷な本となった。2~3回読み直したが簡単に解説できず、最後の章は疲れて読み飛ばした。

日本は言語、宗教、外見がほぼ同じで人口が1億人を超える単一民族である。

一方世界標準では宗教や人種が異なる民族が複数存在している。

だから日本人が世界標準のナショナリズムを理解するのは難しいという。

ナショナルズムとは何か。人種や宗教ではなく、国家単位で「我々〇人」と「あなた達△人」を分ける物だという。

ちなみに個人では自分とあなたを分ける物はアイデンティティーと定義する。

ベネディクト・アンダーソンの「理想の共同体」やアントニースミスが定義しているらしい。

アイデンティティーは複数存在し。例えば山田太郎山田花子の関係は、男と女、父と娘、師匠と弟子という複数の関係がある。

時と場合によってこのどれかを選択して分別している。

娘が父として接しても、父は弟子として接している場合、無礼だという事になる。

これが国家間で発生する文脈の読み間違いとなりナショナリズムが対立すると定義している。

2010年に尖閣諸島で発生した中国漁船と日本の警備艇接触事故については、日本からすれば「領海侵犯」だが、かって日本に侵略された中国からすれば

また日本海軍に乱暴されたと受け止めている。

戦後中国は共産国家となり、日本からすれば竹のカーテンの向こうに消えた国。その間、日本は戦後復興やアメリカに追いつく事に必死で中国の事は記憶から消えた。

そして、戦後世代となり実際に中国を侵略した世代がいなくなった現代になってから中国から侵略を責められてももはや記憶も経験もない話。

しかし、日本人は親から経済的発展を相続しており、親から中国侵略の責任も相続する必要があると著者は述べる。

一方、中国共産党は戦後教育で抗日をアイデンティティーとして教えており、戦後世代となっても反日が記憶として受け継がれているため歴史認識が異なっており、

それが現在の日中関係の冷却に繋がっていると説く。

抗日戦争で庶民を動員する必要があり、中国共産党ナショナリズムや愛国を使った。

つまり中国共産党の存在意義は「抗日」であるため、共産党中国と日本の友好は基本的に難しいとの事。

中央集権国家である清より、大名による分権国家である日本の方がなぜ早くナショナリズムが発生したのか。

江戸時代に藩を超えた日本全体の流通市場が形成された。京都、大坂、江戸と街道と港に限定されていたが米や海産物や商品の流通と市場が成立。

大坂は当時の世界屈指のマーケットだった。

日清戦争の頃まで中国にナショナリズムは存在しなかった。清の天帝は世界全体を覆う秩序であり、人類は皆天帝の恩恵と皇帝の徳治により暮らしている。

周辺国は中国にぶら下がる存在であり、中国と外国の境界はおぼろげであり、朝貢などによる曖昧な統治を行った。皇帝のお膝元から遠ざかるほど野蛮人が住んでいると理解している。

清は人類普遍の道徳、倫理、公平を体現しており、朱子学の試験である科挙は公正であり、統一された宗教による統治がされていると考えていた。

科挙により選抜された優秀な官僚が一定期間全国に赴き均質に統治することを900年近く維持してきたという自信があった。

そして中国は巨大ゆえに歴史的には対外問題より、国内問題を重視する傾向があった。

それが、日清戦争で負けた事により、中国は外国諸国と対等で競合する国に過ぎないとの認識になったときにナショナリズムが発生した。

ナショナリズムは外国との関係性であるため、競合する外国が認識されて初めてナショナリズムが発生するという。

中国のエリートや軍閥は明確な国境と均質な強い統治をめざした。

中国を完全に一体性のある国にしようとした。そのため、ウイグル、香港、台湾は不可分な領土であるとの主張は国のアイデンティティーである。

移民とナショナリズムについて。

中国から西海岸への移民が禁止されたときにナショナリズムが強まった。後に日本の移民が禁止され、人種差別により反米感情が高まり第二次世界大戦の理由の一つにもなった。

英国植民地の間で移民交流が盛んだったが、ガンジーは南アで働き、そこで差別された事で独立運動に参加している。

因みに韓国においても秀吉の朝鮮出兵時の現地での残虐行為が歴史教育で受け継がれている。

そのうえで日韓併合の歴史もあるため、韓国にとって最大の侵略脅威国は日本である。

革命について

司馬遼太郎が「明治という国家」において、維新で一番偉いのは慶喜だと述べている。

理由は維新で犠牲が少なかったのは、権力を自ら手放したから。

フランス革命の死者は60万人。明治維新の死者は3万人。政府が倒れ、武士階級が消滅する大革命を、武士のトップである将軍自らが行った。

明治維新で流血が少なかった理由は「間接経路」だとする。

一度に革命により民主化すると障害が大きいため、少しずつステップを踏んだ、人材開発→攘夷公儀→王政復古→廃藩置県→家禄処分。

江戸末期は藩単位の統治機構テクノクラートとして育っていた。大名が知事になり藩が県に置き換わっただけで統治機構は残った。

一方中国は中央集権で直接支配していたため現地の統治機構が無かったため混乱した。

明治政府は「義務教育」で言葉や歴史認識を共通化し、教育の平等により支配階級をなくした。「徴兵制」により武士階級を消滅させ、暴力装置を政府に集中させた。

憲法」による統治で全国統一のルールを設定した。この3つが民主化ナショナリズムの装置だとする。

江戸時代は現状維持を目指した政権。「新儀停止」により新しい事は禁止され、先例を引用した事しかやってはいけなかった。

だから王政復古は復古であり慶喜は幕府として禁止されていないことをした。

家茂は今の幕府は姑息で目先の事しか見ておらず、武家の士風を失っている。だから家康の創業に復古して大局を考えて、質実で使える軍備を充実すると宣言した。

明治天皇は王政復古について、武士どころか公家の摂関政治も廃止し、神武天皇の創業に復古し挙国一致を宣言した。

明治維新における王政復古は幕府、朝廷、有力大名それぞれが自分に都合の良い過去に復古しようとした同床異夢である。

因みにフランス革命でナポレオンが理想としたのは古代ローマへの復古であり、革命とは理想の過去に立ち返る事を目指すケースも多いとする」

民主化について

日本は外国から押し付けられる事なく、明治維新で70年かけて自分達で民主化や立憲政治を身に着けた。

その実例を解説するとともに、強烈なナショナリズムがなければ成し遂げられないとしている。

江戸時代の素地として、江戸幕府は強権政治だと思われているかもしれないが、実態は実務担当者や一般の家臣が起案→重役が決定→君主が決済していた。

このステップを経ないと正当な決定と見なされない。現代の日本企業の決済のルーツと言われるとわかり易い。

1人で物事を決められない。ボトムアップ。これは民主主義の下地になった。

そして、手続を守る体制は、法律を守る体制に馴染みやすく、立憲民主に馴染みやすい。

中国や韓国が法律でなく人治主義であるのとは異質である。

江戸時代は私塾が全国にあった。私塾は身分、年齢、学歴をみない。成績だけで席順が決まる。

塾の留学による全国ネットワーク。

能力主義=民主主義。
フィクサー(斉昭)による茶会で鍋島成正、伊達宗城、川路聖などのネットワークと討論。

天皇を無視して条約調印、アメリカへの弱腰、公論を盾にした幕府批判や武士階級の廃止。

江戸幕府譜代大名と中小大名は参政権がある。知識、能力や財力がある大大名や親藩は参加できない。

大大名や親藩の推薦した慶喜が最後に老中に味方したため、大大名が離反した。

当初は王政復古したあとで、大大名の合議制に移行し、そこに徳川家が入るかどうかの構想だった。

明治政府が出来てからの民主化。この辺は学校で習っていない。初耳で面白い部分。

五箇条の御誓文の第一条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」。

明治政府が本音で理想とした文章。公論とは公儀、国体と同じ。

ナショナリズムとは公共問題への関心。今ここに住んでいる人の共通の問題を解決する。

公論があれば政権を批判できる。公論を実現するために民間の意見を聞く制度や、議会の透明性を高めていた。

明治6年民選議院の建白書が新聞に掲載された。左院のリーク。当時は小さな新聞社がたくさんできた。

色んな人が色んな意見を新聞で表明できるようになった。

新聞では反対・賛成・角度の異なる意見・を載せるルールだった。

地方から新聞に当初するのに郵便料は無料だった。

当時は演説会が娯楽として楽しまれた、地方でも。官憲との乱闘騒ぎもプロレス感覚。

福沢諭吉の三田演説会が先導した。

民権運動を支えたのは地方のお金持ち。地主と商工業を生業としている。

時間とお金があって向上心があるので新聞や翻訳書を取り寄せて新知識を吸収した。

内乱を好まないため武力でなく言論を行い立憲君主政に関わった。

著者は最近の新聞やTVが一方的な情報伝達であり双方向性も無い事を問題視しており、

解決手段として研修者が介入する質の高いブログで質の高い公論を形成することを提案している。

現在ネットの情報はブログからYouTubeに完全に移行したが、どの番組も特定の意見を持った有名人や言論人が

相手の意見を強引に論破し、自分の意見の正当性を伝える手段になっており、冷静な議論で質を高める方向に向かっていない事は残念だ。

ヒルビリーエレジー

ヒルビリーエレジー

出版が2017年、5年も前。トランプ旋風が吹き荒れたときのベストセラーを今更読む。

感じたポイント

白人であってもアングロサクソン系以外は見えない差別がある。

著者が学んだイエールは多様性を重視し、白人、黒人、イスラム教など人種と宗教に関係なく入学できたが、一つだけ共通していたのは平均以上の所得がる両親がいる家庭で育った子供だという事。

現代のアメリカ社会の格差は人種宗教より、「所得」「離婚」そして「能力主義」だろう。

イエールロースクールの学生の95%はデータでは中流以上、一族を含めれば実態は富裕層。

南部に住んで低学歴一族に生まれると貧困にあえぐ人生を送る。

貧困は、子だくさん、ドラッグ、離婚、DV,逮捕につながる。

著者は非アングロサクソンで、南部ラストベルトに住み、一族で大学を卒業した人はいない。

地域で最低の高校を卒業し、家族や知人の多くは離婚、ドラッグ、貧困に悩んでいる。

そんな中で著者は全米トップのイエールロースクールを卒業し、弁護士、投資家として成功している。

著者は自分の成功を、才能ではなく努力だと判断しているが、海兵隊で広報官に抜擢され、睡眠4時間で

バイトをかけもちしながら肺炎になるまで頑張る。オハイオ大学でもイエールでも優秀な成績を修めゴルフ部を目指す。

名誉ある学校の出版編集チームに入る事ができるなど普通に努力してできるレベルは超えている。

明らかに能力があり、努力するという能力自体も非凡である。

著者は俗にいう「能力主義」である。

白人労働者階級の貧困や無職は、きつい仕事を避け、向上心を持たない労働者自身の問題であると主張する。

日々に流される事なく、目標をもって極限まで努力すれば学歴を得て貧困から抜け出せるのに、自分の限界を知らずにきつい仕事をすぐやめてドラッグに走る。

本当は「努力不足」なのに、自分は「能力不足」だ、遺伝子の問題だと勘違いして、努力しての無駄だと諦めている。

貧困から抜け出すために自分に何が不足しているか冷静に現状を把握もしない。すべてを政府や外国や移民のせいにしている。

1カ月ほど前に読んだ「実力も運のうち」と比較すれば、著者のような能力主義の主張が、貧困は自己責任であり助ける必要はない

という著者の主張も問題があると感じる。

私にはどちらが正しいのかはわからないが、幸せなのは能力主義を信じる事ができ、裕福な生活を送っている人だと感じる。

 

さて、ラストベルトの白人労働者階級の特徴は自分が貧しいのは自分のせいではなく政府や移民や政治のせいであり、自分にはどうする事もできないので誰かが自分を援助する必要があるというものだ。

大衆は国家予算や外交政策に興味はない。マスメディアや政治家は信じられない。というものだ。

アメリカのメディアは日本と違い、真実を報道するのではなく、自分たちの主義主張を広める道具である。自分達は努力しても無駄で、何も変わらない、将来に希望はない。

家族や友人との絆は深く、地元愛と混ざり合って地域から離れるつもりはなく、仕事がなくてもそこにとどまる。フードスタンプは当然の権利であり、働くより楽だと思っている。

これって日本のマイルドヤンキーに似てないか。

家族や地域以外に愛する者はアメリカ合衆国。世界でもっとも豊かで優れた国であり、第二次世界大戦アポロ計画ニューディール計画。

だからトランプの集会では愛国心で高揚する。しかし、その豊かな国で貧しい生活を送っている自分たちは、政府の責任という事になる。

オバマは天災だ」「メキシコはドラッグ、犯罪、レイプ犯を送り込んでいる」「イスラム教徒の入国を禁止する」こういったトランプのメッセージがなぜラスベスの白人労働者に受け入れられたのか。

それは、「おまえたちが貧困にあえぐ責任は。お前たちではなく、政府、政治家、エリート層、海外からの移民、輸入の不公正だ」と言うメッセージがマッチしたからだ。

そして暴力的で汚くて、ワンフレーズの小学生でもわかる言葉を使った事。それこそが学歴の無い暴力的な南部なまりの白人労働者層が日々会話するスタイルだからだ。

ジョンソン首相も同じタイプか。

一方、オバマがしゃべる癖のない綺麗で流暢な言葉は南部では誰も使わない。

オバマはDVをしないし、健康に気を使い、ジャンクフードは食べないが、ヒルビルはDVが多く、でジャンクフードを食べる。

ちなみに著者が赤ちゃんの時に母親が哺乳瓶にペプシを入れていたのを祖母が見ていた。

オバマが白人労働者から受け入れられない理由は、黒人だからではなく、自分たちが話す言葉、食べる物、暴力と全く異なる世界だからだ。

著者の一族はアイルランドから移住したスコティッシュアイリッシュと呼ばれる民族で、貧困は代々伝わる伝統であり、周りにいるのは、

DV、暴力、離婚、ドラッグ、アルコール、逮捕で苦しんでいて、低賃金肉体労働か無色、ビッチとかファックユーといったスラングを常套句にしていた。

先祖は南部の奴隷経済体制で日雇い、その後は小作人、炭鉱労働、そして工場労働者に就いた。ホワイトトラッシュ(白いゴミ)と呼ぶらしい。

黄色い小さな出っ歯猿もムカつくが、白いゴミはひどい。

西部開拓時代の荒々しい生活が残っていて、法律に従うより開拓時代の人間の本能に根差した善悪で行動する。

こうして4世代に渡る家族の自伝を読むと。一族やその地域が独特の価値観を持つ事になるのはとても理解できる。

ヒルビリーのでは男らしさが重要な価値観を持つ一方で、仕事がなく貧困な男が多いため、それが男たちを一層卑屈にしている。

日本のような単一民族で比較的均質で階層差が少ない世界にすんでいると理解できない事が腑に落ちる。

日本なら九州や東北の限界集落のような人の出入りの無さだろう。

許永中の「海峡に立つ」では、在日と同和が住むエリアで育つと、暴力は悪ではなく正義であり、生き残るために必要なツールであることがわかる。

著者の祖父は44口径、祖母は38口径のピストルを常に携帯していたそうだが、まさかスペシャル弾じゃないよね。

同じ北米大陸に住んで、同じ国籍であっても互いに一生交わる事が無いらしい。それはあえて避けているというより生活圏が異なるため出会う事が無いというものらしい。

例えば私は東京北西部にすんでいますが、足立区や荒川区の人と交わる事はない。別に避けている訳ではなく、そこに用事がない。単発的な用心で立ち寄る事があってもそこに住んでいる人と交流する機会がないだけ。

逆に、中央区や港区の人とも交わる事はない。言っておくと私は地方出身者なので、足立区や港区の知人もいないし実態は知らない。本やTVでのまた聞きだ。

狭い都内でも交わらないなら、広いアメリカではより一層交わる事はないだろう。

著者が生まれたのは「血のプレシット郡」だが、私がググると日本人は3人しか住んでいない。日本人がラスベルの最貧部の情報を知る事は難しいだろう、トランプの当選を予測できないのは当然だ。

米国内の分断は、米国と他国の分断異常だとも書いてあるが、広い英語圏で言えばそうかもしれない。

著者の地域では、「勉強する事は女々しい事だ」「努力するのは無駄で恥ずかしい事だ」「エリートは鼻もちならない」という価値観があったそうだ。

私の小学校時代、その地域にも一部このような価値観があり、私もガリベンと言われることを避けようとしていた。

著者はオハイオ州立大学に進学するときの学費が、地元で家が1軒買える金額であることを知り悩む。祖母からそのお金は必要な投資だと説得されて進学するが、理解の無い親なら絶対に進学させないだろう。

アメリカでは低所得者のための奨学金や学費免除があるが、貧困層家庭では親や周囲は興味や経験もなくその情報にアクセスする事がないため利用されない。

「学校の先生」「ネットの情報」「TVの情報」「金持ちの友達」など情報はいくらでもあるのではないかと思ったが、アメリカでは主要メディアを信頼できると回答したのは6%しかいない。

TVや本や政治家のいう事をそもそも信じていない。

NHKを中立だと思っている大多数の日本人にはわからない世界だ。

ネットもフェイクニュースが多くて、自分に役立つ情報ではなく、自分が見たい、信じる情報しか入らない。

父親にイエール入学を連絡したら、父親が「黒人かリベラリストの振りをしたのか?」と言った。

ラスベスの貧困層がイエールに入るには「黒人かリベラリスト」以外は無理だと思っている。

著者はオハイオ州立大学を卒業し、数十社の就職レターを出すが全て断られる。

しかし、イエールロースクールの2年目には、最高裁判所で活躍する弁護士事務所から年収2千万円を提示される立場になる。

自分の人生が1年で激変した経験を、魔法にかかった。何か得体のしれない力が働いていると書いている。

これこそが学歴社会だろう。

就職活動で成績や履歴書は重視されない。イエールというだけで面接までは到達する。

就職課で教えられるのは「飛行機で隣に座っても許せる人」を演じる事。

会社に馴染めるか、一緒に働けるか、社会性や人柄を見られる。

グーグルの採用担当者が一番重視するのは才能でなく、「一緒に働けるかどうか」だと聞いた事がるがそれと一致する。

著者が家族と一緒に行く最高にお気に入りのレストランは、イエールの友人にとっては不健康な油っぽい料理だった。

食べるもの、話す内容、話すスラング、問題の解決手段が暴力か会話か、それらは全て学校や政府が解決する問題ではない。

家族の問題であるというのが著者の結論だ。

植物に例えれば、土壌(家庭)が腐っているのに水(教師の質や学校教育向上)や日光(学費免除)をしても子供は育たない。

著者の高校の先生のコメントに「政府は教師に対して、生徒の羊飼いに馴れというが、オオカミに育てられた生徒の羊飼いにはなれない」

著者の高校では20%が中退する。大学にいく生徒はいない。

著者の親族でケンタッキーに残った4人は貧困なまま。インディアナに移った4名は成功しており、どこに住むかも大きな要素だという。

著者は祖父母がそばにいて愛情を注ぎ、勉強を教えてくれたり、お金を支援してくれたことと、海兵隊で健康的な生活や努力の大切さを学んだことで家庭では学べなかったことを学べたようだ。