teinenchallenge’s blog

普通のサラリーマンが充実した定年後を目指します

一石橋迷子知らせ石標

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今日の散歩は常磐橋近くの一石橋から。

現在の一石橋は平成だが親柱のみは大正11年のものが残っている。

橋のたもとにあった幕府金座御用の後藤庄三郎と同じく呉服御用所の後藤縫殿助の五斗を足して1石にしたとの事。

しかし呉服だから縫殿とはわかり易い。

親柱の陰に「一石橋迷子知らせ石標」がある。

迷子の情報交換をする場所で、江戸時代後半の日本橋近辺は盛り場で迷子が多かったそうです。

当時、迷子は町内会が責任をもって保護する決まり。

安政4年ころ。近辺の名主が町奉行に申請して設置されたたとの事。

左側に尋ね人、右側に心当たりの紙を貼って知らせたそうだ。

このほか湯島や浅草に同様のものがあったそうだが、現存するのはこの一石橋のもののみだそうだ。石碑の高さは175センチ程度。

1857年作なので150年以上前からここに立っている。

その先にあるのが常磐橋。昔は皿だと割れるので石を使った漢字を当てたそうです。

橋の北西には渋沢栄一銅像

北東には旧日銀本館がそびえます。江戸時代の銀座の跡地に日銀があるそうで、お金に縁がある場所という事ですね。

旧日銀本館は明治29年辰野金吾作との事で、明治も後半に造られたようです。

この辺りは銀行の建物が多く日曜日は閉館されており、裏通りは高級ホテルやレストランがありますがコロナの影響もあり日曜日の午前はひっそりとした佇まいです。

TVでよく見る日銀の上級からの映像では青銅武器の屋根が良く見えますが、地上からでは壁が邪魔になって見えません。

写真を撮ろうとウロウロしていると対面にある日銀別館に日銀がやっている「貨幣博物館」を発見。無料という事で入ってみました。

空港の持ち物検査なみのチェックを受けて入館。

無料なのに物々しい警備だなと感じましたが、館内には大判小判がたくさん展示されており警備も納得です。

撮影禁止なので入口の写真のみ撮影します。

とても充実していて1時間では回り切れませんでした。

ここでかなり時間を取られてその後の予定が大幅に狂う事に。

貨幣博物館で学んだ事だけでもブログ4回分にはなるボリュームです。

歴史の史跡ガイドブックには載っていませんでしたが江戸時代を知るためには大変有意義な博物館なので一見の価値があります。

私は金融機関で働いていたので貨幣改鋳により江戸時代に何度もインフレやデフレが発生していることを興味深く感じました。

幕末に海外と日本では金と銀の交換比率が3倍違うことに目を付けたハリスが日米修好通商条約により莫大な利益を上げた事がわかり易く掲示されています。

  • アメリカから銀貨5枚を持ち込んで、日本の銀貨5枚と交換する
  • 日本の銀貨5枚で日本の金貨1枚と交換する
  • 日本の金貨1枚をアメリカで銀貨15枚に交換する
  • これを1年で5回繰り返して、1年で15倍にしたそうです。
  • ここまでは通貨博物館で掲載されていましたが、更にアメリカは南北戦争が終わって不要になった武器を西国雄藩に売って儲け、南北戦争の借金を返済したとの説を読んだ記憶があります。

江戸時代は国内でも商人が相場やレートの差によって儲けた。

貨幣改鋳による金貨と銀貨の交換比率、飢饉や災害による米や木材の相場。

現代のようにIT革命により瞬時に相場情報が世界中に広まる時代とは違って、レート情報が大きな価値を生んだのが江戸時代ですね。

江戸時代の貨幣について改めて別途勉強したいと思いました。

昨日読んだ磯田道史氏の「江戸の家計簿」とも関連する解説もありましたし、NHK大河ドラマ渋沢栄一にも関連しておりタイミングが合ってます。

1両小判の現物を見ながら、現在の労働価値では30万円だったよな、なんて思い出しながら見ていました。