teinenchallenge’s blog

普通のサラリーマンが充実した定年後を目指します

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宴遊日記

 

3週間ほど前、「お殿様の定年後」を読んだ。

充実した定年後を探している自分にとって学ぶ事が多く2回読んだ。

そこで紹介されていた関連図書で理解を深める事にした。

まず、「お殿様の人事異動」と「六義園の庭暮らし」を読んだが今回は「庭暮らし」

の方が参考になった。

平凡社小野佐和子 2,400円とお高い本なので図書館で借りてきた。

著者が庭園文化史研究家であるため、庭園や植物の細かい記載が多めです。

この本の主人公は信鴻と六義園

「宴遊記」は信鴻という大名自身が10年間にわたり庭での生活を記したもので他にはない貴重な史料だそうです。

 

信鴻は柳沢吉保の孫にあたり大和郡山藩15万石の藩主を隠居。

権勢を誇った柳沢吉保は57歳で亡くなっりました。                                                                                                                                 

信鴻は40歳で隠居しており、気力と体力が充実した20年間を遊び暮らしている。

私は今55歳だか、信鴻が引退した年齢から15年も経過してしまっている。

今の世の中下手すれば70歳まで働かないと年金も出なくなるご時世、羨ましい限り。

我々のような小市民が早く隠居しても時間を持て余してしょうがないだろう。

当時世界屈指の文化都市江戸において、屈指の名園である六義園を相続し、漢詩、漢文、和歌、文学に対する造詣が深く、15万石の大名を引退して名誉も財力もある信鴻だからこそ充実した隠居が成立している。

信鴻が充実した定年後を過ごせたポイントがいくつかある。

その① 木花に詳しく、自ら庭園内の植え替えを指示し、雑草取りや野菜、果実の収穫を行い、知人の大名や文化人から珍しい花を貰って接ぎ木している。

園芸だけでも十分に老後を充実させる趣味になる。

バラを育てる人は多いし、田舎で自宅をコスモスや桜の名所にまでする人もいる。

六義園という広大な敷地で多くの家来がいて財力があれば尚更に色んな園芸を楽しむことができよう。

信鴻ほどの財力がなくとも、現代なら家庭用の耕運機や芝刈り機を買える財力があれば一人でできる事も増えるだろう。

都内で広い園芸地を確保するのは不可能なので、都外へ移住だろうか。

園芸を趣味にすると雑草処理や花の手入れは毎日行う必要があるので、病気も旅行もできなくなるね。

せっかく咲かせた珍しい花や野菜も、田舎にすんでいて見せる友人がいないと喜びも半減する。

郊外のレンタル農園のボランティアをさせてもらうのが現実的だろうか。

 

当時の時代背景として園芸が庶民にまで流行し、はやりの草木がもてはやされた。大名や文化人の間にも趣味の仲間が多かった。

オランダのチューリップバブルにあるごとく、珍しい花を通して名誉や虚栄心を満たそうと求める本能が人間にはあるのだろう。

話題はそれるが、盆栽は未だに興味が持てない。

迎賓館を見学した時に盆栽が展示されており、苔の付き具合がどうのとか、枝振りがどうのとか、十年単位で育てたといったウンチクを聞かないとその凄さが理解できないものだと感じた。

 

ポイントその②、庭を見ながら俳諧をひねり出す文学的教養が必要であり、同じ教養を持った仲間も必要。

 

ポイントその③、庭園内で歌舞伎を開催するなど芸能に対する素養がある事。

当時大名屋敷に奉公するには芸事の1つ2つはできる事が条件であるため、信鴻に仕える家来もその芸を使って歌舞伎を開催することができた。

新しい芝居がかかると、たびたび歌舞伎を観劇しており、脚本や演劇指導をするほどの歌舞伎好きだった。

園には花道を備えた本格的な舞台があり、年に2回、家臣や侍女で歌舞伎を開催していた。

現代で実現するなら、社会人演劇団を主催するのだろうが、普通のサラリーマン定年者にその能力も仲間も場所もない。

やはり演劇サークルのようなものに参加させて頂く事が現実的だろうか。

時は田沼時代、江戸が著しく発展し、江戸庶民が文化の担い手となった。

江戸は華やかな気分につつまれ、当時江戸を訪れた外国人は毎日がお祭りのような都市と表現している。

浅草や上野が盛り場としてにぎわい、料理屋が出現し、歌舞伎が流行して葺屋町では1日に千両が消費されるといわれた。

信鴻は新しい芝居が立つと家臣を連れて見に行く。当時は朝から夜にかけて食事を摂りながら一日がかりのイベントだった。

今なら

 

現代は文化を学ぶのに、図書館やネットを使えばコストと場所を選ばず学習できる。

歌舞伎もレンタルビデオなら名作が安くで見る事ができる。

美術館のイベントにいけば世界の美術に触れる事ができる。

多少余裕があれば社会人学校に通って本格的に学ぶ事も可能だろう。

問題は趣味を同じくする仲間やそれを表現する「場所」はどうするか。

 

 

信鴻は69歳まで生きたが隠居期間は20年。自分に置き換えれば60歳で定年して80歳までの隠居期間という事だろうか。

信鴻が藩主と務めたのは28年間。私が勤めたのは33年間。ちょうどお勤めに飽きる頃。

湯島や浅草に出かけて街歩きをし、芝居を見て、流行りの料理屋で飲食し、珍しい植木を買って帰る。

今で言えば、ミュージカルや芝居を見て、美術館を巡り、高級レストランや割烹で食事をして、ウィンドウショッピングして帰るという事でしょうか。

自宅でガーデニングしてホームパーティーを主催し、演奏会や俳句を披露し、将棋や囲碁を楽しむ。

NHK文化センターで美術や歴史を学び、ホームページに研究を発表し、演奏会をユーチューブに公開する。

今や信鴻もできなかったような趣味もできる。

例えば外国語や海外の歴史を勉強して海外旅行する。                                                                                                                                    

足を鍛えてアルプス登山し、写真を撮影する。

 

信鴻のような庭いじりは一見羨ましそうに見えるが、それを維持するには資金と家来が必要。                                                                                                                                    

人工的な庭は常に人でメンテが必要であり、広大な庭を維持するには膨大な労力が必要なのは想像できる。

学校での草むしり、農家の除草剤など雑草防止だけでも大変であり、個人で所有するのは現実的ではない。

別荘のように週末だけの菜園というのも難しいだろう。

宮崎に仕事で済んでいた時に、それをしていた人がいたが、夏など雑草が生え放題。

キュウリやピーマンなど1週間もすれば育ちすぎて収穫のタイミングを逃していた。

100㎡ほどの農地でも路地物は収穫期が重なるため食べきれないほど収穫できる。

虫やカラスの害もある。

TV番組のポツンと一軒家などを見ていると、建設会社の社長さんが田舎の自分の山林を仲間と切り開いて

別荘や庭園を造っていたりしますが、仕事のつてやユンボなどの重機を駆使してこそ可能。

駒込の地は江戸のはずれであった。隣り合う大名屋敷は広大で、大木が鬱蒼と茂る。

木々にはコウノトリやトキの巣があり狐が住み着く。」とある。

江戸城からゆっくり歩いて2時間ほどでこのような自然が残されていた。

このような田舎に住みつつも繁華街に近く、都市生活も満喫できた。

現代の田舎ほど不便な場所ではなく、歩いて2時間で世界屈指の江戸の繁華街にアクセスできる田舎。

 

さて庭について

そもそも吉保も博識で和歌山で和歌に詠まれた景色を再現した六義園

そこには文化的な教養のベースがある。

多くの大名庭園同様に、六義園自体が漢詩や和歌を模した理想郷であり、漢詩や和歌を理解せずに六義園は理解できない。

京都の庭園も同じ。だから漢詩や和歌、宗教逸話を知らない人が見てもなんの感慨も湧かない。

説明看板をみてその一端に触れる事はできる。

造られたころの六義園は、「和歌を主題とした庭は、古典に精通し、精進した吉保の知識と美的感覚、教養の産物」

であると評論されています。

源氏物語の六条院の庭に植えられた草木がそのままのぶときによって六義園に植えられています。

梅、桜、花菖蒲、萩、菊、文化人の庭の必須アイテムだったそうです。

ディズニーランドがディズニーの映画を再現する場所であり、映画を見ていることがランドを楽しむ前提条件だとすれば、大名や寺社庭園は和歌や漢詩、古典文学を再現する場所。

吉保の時代に綱吉の娘の訪問の栄誉に浴した時には、高価な花瓶に見事な花を活けて、螺鈿や蒔絵箱に珍しい香木を入れて各部屋を飾り立てた。

園内には町中の店が再現され、茶屋では田舎風の茶屋女の人形が出迎えたそうです。

「華やかで趣向に満ちた夢の国」と表現されておりまさにディズニーランドではないでしょうか。

六義園は地図を見る山に見える藤代峠さえも実は島になっており、膨大な水が必要な庭園。

造園当時は千川上水の経路にあるためふんだんに水が確保されていたが、のぶとき時代は上水が廃止されたため

池が干上がることが多かった様子がかかれています。

「園内の桜を全て山に移す」など植え替えを頻繁に行い、丹精込めた花が満開になれば近習たちと花見の夕餉を催し、

田楽や菜飯で宴が開かれる。

草刈りの間に宴を開き、俳句や太鼓、詩吟など文芸の遊びに興じる。

登場人物の多くは俳号で描かれており、生活の中心が文芸である。

また、友人や関係者の多くが俳句をたしなんでいる事が窺える。

「江戸時代後期の江戸は世界的にも類を見ない園芸文化の発達した都市」と記載されている。

下級武士がアサガオや盆栽を販売していた。

浅草や本所、湯島などでは鉢植えが土産物として売られ、藩から江戸えの交代の時にも土産物とされた。

園は自給の場。

野菜、穀物、木材、用材、薬草、花、竹細工、蚕の餌の桑、茶

 

浜離宮や安田庭園などは海の水を引き入れた庭園。

細川庭園や神田川上水を引き入れた庭園であり、有名な庭園は水源が確保できることが条件であることがわかります。

ホトトギスの声が終日響く6月の或る日、草刈りをし、散歩をし、詩吟をし、琴を鳴らして寝たのは夜中の1時だった」

と記載されているそうです。                                                 

私も本日はまさに6月の或る日、この本を読みながらブログを書いています。

昼前には公園を散歩して昼食を作り、録画した映画を見ようと思います。」

ぼんやりと園芸や俳句、文学を楽しむことはイメージできなかったが、この本を読むと何が楽しいのか、どのように楽しむのか、そのためには何が必要なのかが

理解できて、実現に向けて踏み出せそうな気がします。

芝焼き、栗拾い、茸栽培、菊花壇、タケノコ狩り、大和・京野菜栽培。

珍しい草花を栽培し、名前を調べる。生物学者だった昭和天皇の生き方にも通じるものがある。

教養と好奇心をもって、自然と触れ合う老後。

藤代峠で競争、池での舟遊び、花火、凧揚げ、四季折々の収穫祭、芝居上演、俳句の会、花見

六義園では本朝廿四孝などが演じられたと書いてある。

先日NHKの番組で「古典芸能への招待」において偶然にも文楽で本朝廿四孝をみたばかり。

江戸時代の事を勉強していると、歌舞伎や相撲を知らないと理解しにくい事が多いため、全く興味のなかった古典芸能を

みていたら思わぬところで繋がった。

奥庭狐火の段で狐に取りつかれた八重垣姫が諏訪湖を渡る場面なども演じられたのだろうか。

今では古典芸能として重要無形文化財になっているが、江戸時代は風紀を乱す庶民芸能として幕府からは規制の対象とされていた。

さて、取り留めない文章になってしまいましたが、結論として文化・芸能・教養・園芸は奥が深く老後の趣味として退屈なものではない事。

お金を掛けなくとも大名のように楽しめる事。そのためもう暫く江戸探索を続けてみたいと思います。

課題は友人や同好の士を探す事。