愛国・革命・民主を明治維新の日本と、中国や西洋との比較において理解しようとする本ですが、いずれも私の興味の薄い分野である。
市民講座を書き直しているため、文章は平易だが説明がざっくりしている。
そして引用される歴史が多岐に渡るため、前提となる世界史をしっていなければ十分な理解は得られない。
また、「経路依存性」「ローレンツの水車」「気象予測と歴史の因果関係」「カオス理論による歴史決定論」「万能細胞の分化」「マルクス主義」の説明に紙数を割いている。
従って私には重荷な本となった。2~3回読み直したが簡単に解説できず、最後の章は疲れて読み飛ばした。
日本は言語、宗教、外見がほぼ同じで人口が1億人を超える単一民族である。
一方世界標準では宗教や人種が異なる民族が複数存在している。
だから日本人が世界標準のナショナリズムを理解するのは難しいという。
ナショナルズムとは何か。人種や宗教ではなく、国家単位で「我々〇人」と「あなた達△人」を分ける物だという。
ちなみに個人では自分とあなたを分ける物はアイデンティティーと定義する。
ベネディクト・アンダーソンの「理想の共同体」やアントニースミスが定義しているらしい。
アイデンティティーは複数存在し。例えば山田太郎と山田花子の関係は、男と女、父と娘、師匠と弟子という複数の関係がある。
時と場合によってこのどれかを選択して分別している。
娘が父として接しても、父は弟子として接している場合、無礼だという事になる。
これが国家間で発生する文脈の読み間違いとなりナショナリズムが対立すると定義している。
2010年に尖閣諸島で発生した中国漁船と日本の警備艇の接触事故については、日本からすれば「領海侵犯」だが、かって日本に侵略された中国からすれば
また日本海軍に乱暴されたと受け止めている。
戦後中国は共産国家となり、日本からすれば竹のカーテンの向こうに消えた国。その間、日本は戦後復興やアメリカに追いつく事に必死で中国の事は記憶から消えた。
そして、戦後世代となり実際に中国を侵略した世代がいなくなった現代になってから中国から侵略を責められてももはや記憶も経験もない話。
しかし、日本人は親から経済的発展を相続しており、親から中国侵略の責任も相続する必要があると著者は述べる。
一方、中国共産党は戦後教育で抗日をアイデンティティーとして教えており、戦後世代となっても反日が記憶として受け継がれているため歴史認識が異なっており、
それが現在の日中関係の冷却に繋がっていると説く。
抗日戦争で庶民を動員する必要があり、中国共産党はナショナリズムや愛国を使った。
つまり中国共産党の存在意義は「抗日」であるため、共産党中国と日本の友好は基本的に難しいとの事。
中央集権国家である清より、大名による分権国家である日本の方がなぜ早くナショナリズムが発生したのか。
江戸時代に藩を超えた日本全体の流通市場が形成された。京都、大坂、江戸と街道と港に限定されていたが米や海産物や商品の流通と市場が成立。
大坂は当時の世界屈指のマーケットだった。
日清戦争の頃まで中国にナショナリズムは存在しなかった。清の天帝は世界全体を覆う秩序であり、人類は皆天帝の恩恵と皇帝の徳治により暮らしている。
周辺国は中国にぶら下がる存在であり、中国と外国の境界はおぼろげであり、朝貢などによる曖昧な統治を行った。皇帝のお膝元から遠ざかるほど野蛮人が住んでいると理解している。
清は人類普遍の道徳、倫理、公平を体現しており、朱子学の試験である科挙は公正であり、統一された宗教による統治がされていると考えていた。
科挙により選抜された優秀な官僚が一定期間全国に赴き均質に統治することを900年近く維持してきたという自信があった。
そして中国は巨大ゆえに歴史的には対外問題より、国内問題を重視する傾向があった。
それが、日清戦争で負けた事により、中国は外国諸国と対等で競合する国に過ぎないとの認識になったときにナショナリズムが発生した。
ナショナリズムは外国との関係性であるため、競合する外国が認識されて初めてナショナリズムが発生するという。
中国のエリートや軍閥は明確な国境と均質な強い統治をめざした。
中国を完全に一体性のある国にしようとした。そのため、ウイグル、香港、台湾は不可分な領土であるとの主張は国のアイデンティティーである。
移民とナショナリズムについて。
中国から西海岸への移民が禁止されたときにナショナリズムが強まった。後に日本の移民が禁止され、人種差別により反米感情が高まり第二次世界大戦の理由の一つにもなった。
英国植民地の間で移民交流が盛んだったが、ガンジーは南アで働き、そこで差別された事で独立運動に参加している。
因みに韓国においても秀吉の朝鮮出兵時の現地での残虐行為が歴史教育で受け継がれている。
そのうえで日韓併合の歴史もあるため、韓国にとって最大の侵略脅威国は日本である。
革命について
司馬遼太郎が「明治という国家」において、維新で一番偉いのは慶喜だと述べている。
理由は維新で犠牲が少なかったのは、権力を自ら手放したから。
フランス革命の死者は60万人。明治維新の死者は3万人。政府が倒れ、武士階級が消滅する大革命を、武士のトップである将軍自らが行った。
明治維新で流血が少なかった理由は「間接経路」だとする。
一度に革命により民主化すると障害が大きいため、少しずつステップを踏んだ、人材開発→攘夷公儀→王政復古→廃藩置県→家禄処分。
江戸末期は藩単位の統治機構がテクノクラートとして育っていた。大名が知事になり藩が県に置き換わっただけで統治機構は残った。
一方中国は中央集権で直接支配していたため現地の統治機構が無かったため混乱した。
明治政府は「義務教育」で言葉や歴史認識を共通化し、教育の平等により支配階級をなくした。「徴兵制」により武士階級を消滅させ、暴力装置を政府に集中させた。
「憲法」による統治で全国統一のルールを設定した。この3つが民主化とナショナリズムの装置だとする。
江戸時代は現状維持を目指した政権。「新儀停止」により新しい事は禁止され、先例を引用した事しかやってはいけなかった。
だから王政復古は復古であり慶喜は幕府として禁止されていないことをした。
家茂は今の幕府は姑息で目先の事しか見ておらず、武家の士風を失っている。だから家康の創業に復古して大局を考えて、質実で使える軍備を充実すると宣言した。
明治天皇は王政復古について、武士どころか公家の摂関政治も廃止し、神武天皇の創業に復古し挙国一致を宣言した。
明治維新における王政復古は幕府、朝廷、有力大名それぞれが自分に都合の良い過去に復古しようとした同床異夢である。
因みにフランス革命でナポレオンが理想としたのは古代ローマへの復古であり、革命とは理想の過去に立ち返る事を目指すケースも多いとする」
民主化について
日本は外国から押し付けられる事なく、明治維新で70年かけて自分達で民主化や立憲政治を身に着けた。
その実例を解説するとともに、強烈なナショナリズムがなければ成し遂げられないとしている。
江戸時代の素地として、江戸幕府は強権政治だと思われているかもしれないが、実態は実務担当者や一般の家臣が起案→重役が決定→君主が決済していた。
このステップを経ないと正当な決定と見なされない。現代の日本企業の決済のルーツと言われるとわかり易い。
1人で物事を決められない。ボトムアップ。これは民主主義の下地になった。
そして、手続を守る体制は、法律を守る体制に馴染みやすく、立憲民主に馴染みやすい。
中国や韓国が法律でなく人治主義であるのとは異質である。
江戸時代は私塾が全国にあった。私塾は身分、年齢、学歴をみない。成績だけで席順が決まる。
塾の留学による全国ネットワーク。
能力主義=民主主義。
フィクサー(斉昭)による茶会で鍋島成正、伊達宗城、川路聖などのネットワークと討論。
天皇を無視して条約調印、アメリカへの弱腰、公論を盾にした幕府批判や武士階級の廃止。
江戸幕府は譜代大名と中小大名は参政権がある。知識、能力や財力がある大大名や親藩は参加できない。
大大名や親藩の推薦した慶喜が最後に老中に味方したため、大大名が離反した。
当初は王政復古したあとで、大大名の合議制に移行し、そこに徳川家が入るかどうかの構想だった。
明治政府が出来てからの民主化。この辺は学校で習っていない。初耳で面白い部分。
五箇条の御誓文の第一条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」。
明治政府が本音で理想とした文章。公論とは公儀、国体と同じ。
ナショナリズムとは公共問題への関心。今ここに住んでいる人の共通の問題を解決する。
公論があれば政権を批判できる。公論を実現するために民間の意見を聞く制度や、議会の透明性を高めていた。
明治6年の民選議院の建白書が新聞に掲載された。左院のリーク。当時は小さな新聞社がたくさんできた。
色んな人が色んな意見を新聞で表明できるようになった。
新聞では反対・賛成・角度の異なる意見・を載せるルールだった。
地方から新聞に当初するのに郵便料は無料だった。
当時は演説会が娯楽として楽しまれた、地方でも。官憲との乱闘騒ぎもプロレス感覚。
福沢諭吉の三田演説会が先導した。
民権運動を支えたのは地方のお金持ち。地主と商工業を生業としている。
時間とお金があって向上心があるので新聞や翻訳書を取り寄せて新知識を吸収した。
内乱を好まないため武力でなく言論を行い立憲君主政に関わった。
著者は最近の新聞やTVが一方的な情報伝達であり双方向性も無い事を問題視しており、
解決手段として研修者が介入する質の高いブログで質の高い公論を形成することを提案している。
現在ネットの情報はブログからYouTubeに完全に移行したが、どの番組も特定の意見を持った有名人や言論人が
相手の意見を強引に論破し、自分の意見の正当性を伝える手段になっており、冷静な議論で質を高める方向に向かっていない事は残念だ。