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ジダネルとマルタン展

ジダネルとマルタン

 

ジダネルとマルタン

 

ジダネルとマルタン展最後の印象派展を見にSOMPO美術館に行きました。

コロナ禍で2年ほど行きにくかった美術展に月1回のペースに戻りました。

若い頃は絵画に全く興味がなく、30歳を過ぎたころになぜかゴッホの絵に惹かれてポケットタイプの画集を買った記憶があります。

美術に興味がないのになぜ美術展に行くのか?

卒業ヨーロッパ旅行で貴重な数日を大英博物館で過ごした経験から、誰もが知っているミーハーな絵の実物を見るには海外の美術館に行く必要があり、それには数十万円が必要だと実感しました。

ましてや、一人の画家の生涯の作品をトレースしようと思えばヨーロッパ中の美術館を訪問しなければなりません。

所蔵していても公開されているとは限りませんし、個人所蔵の作品もあるので作家単位の作品をミーハーがトレースするのは難しい。

そして現地の美術館の解説は外国語なので、日本語の解説書を持参するか、事前に勉強しないと絵の見方や時代背景を理解できません。

画家個人や当時の時代背景の理解がある事で絵を見る楽しさは何倍にもなります。

例えば今回の作品は第一次世界大戦の頃に製作されています。世紀末で大戦が行われる不安な時代、旅行もできずアトリエで過去の記憶を再構築して描かれた作品もありました。

今も世界中で格差社会、社会の分断、パンデミックの発生、ウクライナ戦争など不安を感じる要素が多いですが、当時も似たような時代だったのか想像しながら見る事で感情移入できます。

僅か1700円ほどで有名絵画の実物を見る事が出来るのは本来の数十分の一の費用で済むという事です。

特に今回の展覧会では個人所有とされている作品が多く目についた。個人所有と言ってもどこかの美術館に委託保存されており一般公開されているだろうが、貸し出しには面倒な手続きが必要だろう。

ジダネルの作品の中にはアランドロンが所有していたという絵もあり、寡聞にして知らない画家であったがフランスでは二人のアンリは約100年前にフランスで活躍し、フランス学士院に選ばれた有名な画家です。

どの画家も同じですが、若い頃は基礎スキルを固める時期なので写実的で面白みに欠け、灰色や肌色を中心とした地味な作品が多いような気がします。

初期のマルタンは近距離の人物画ですが、目や口が不明瞭です。人は人の目や口で相手の感情や意図を読み取ろうとする動物なので、それが不明瞭だと相手の感情が読み取れずに不安な気持ちにさせられて好きになれません。「腰掛ける少女」

中期には風景や静物画に移行しますが素人が見れば特に記憶に残る画ではありません。「砂地の上」

初期のジダネルも色彩は控えめで暗く、メランコリック、抒情的、耽美な雰囲気であり、私の好みではありません。「月夜」因みに初期の作品ではありませんが。

画の好みは別にして、ジダネルはベルサイユに住み、宮殿の散歩を日課にしており、夜の逍遥で「月夜」を描いたそうだ。

私も日中の公園の散歩を日課にしているが夜は寂しくて風景も見えないため刺激がなく散歩する気にはなれない。夜のベルサイユの庭園で絵を描くのは寒く寂しくはないだろうか。

マルタンは後期になるとパリの国務院の壁画を作成するが、その下書きの絵は色彩豊かで労働という躍動的な題材もあり好きな作品だ。

国務院は一般人が入る事ができないため、実物の壁画は見る事ができず、その習作を見る事が出来るのみだが、習作であっても素晴らしい作品だ。

習作であるが故に代表的な油絵作品として扱われていないが、個人的には最も見ていたい。

展覧会では関連地図が配られている。欧州の多くの画家がそうであるように、この画家たちも仏国内はもとより、ベルギー、イギリス、イタリアに滞在している。

欧州は一つなのだと実感します。果たし日本の芸術家のどれだけが中国や東アジアに滞在したことがあるだろうか。

そして、多くの画家がイタリアでルネッサンスから影響を受けています。

古代文明が栄えた中国やインドに啓発される日本人画家がどれだけいるでしょうか。

モネの水連のように田舎に複数の家をもってそこに自分の庭を造り、題材にしている。画家たちが住んだフランスの田舎町は、フランス人が選ぶ綺麗な田舎の1位~3位になっている。

そんな綺麗なフランスの田舎に別荘があるのは幸せだろう。

現代の日本では、田舎は仕事や刺激がなく、美術館や図書館もなく、買い物や通院が不便だが物価が安く、自然が多くて心癒される場所とされるが、多くの風景画家にとって仕事場所は田舎でも問題ないのだろうし、別荘のような感覚で都会と行き来していたのだろう。

自分に置き換えれば、八ヶ岳や房総半島に住めれば広い家や庭、自然があるのは羨ましいが、何のとりえもない初老の男が、仕事や刺激のない田舎に住んでも幸せだろうか。

一度は他人に譲った作品に、再度手を加えた「関税」。例えばパソコンのメーカーは製品にして売ってしまえば保証期間が過ぎた」製品に愛着も興味もないだろう。

画家にとっては、他人に譲った後でもずっと気になる作品があるという事を知り、そんな「仕事」ができる芸術家が少し羨ましい。

私は自分がやってきた仕事を後で確認する事はできない。

因みにアンリマルタンというバラの種類があります。ジェルブロアに家を買ったジダネルは自分の庭をバラだらけにします。それを見たジェルブロアの村人たちもバラを育て始めました。

そして今ではバラの町として有名になっています。バラと言えばジダネルなのにマルタンというバラの品種があるのはなぜだろうか。