日本占領史 1945-1952 福永 文夫 中公新書
東洋経済「世界と日本の近代史」60冊
教は沖縄本土復帰50年のニュースが流れている。
沖縄戦では県民の25%が死亡し、占領により住民は収容所に送られ、住居が米軍基地のため壊された。
本土が独立後も占領が続き、本土復帰は72年までかかった。
米軍基地がある事で、騒音、墜落事故や米兵暴行事件ばかりが報道されている。
誰もがわかり易い基本的人権に関する問題であるし最も重要な問題ではあるが、その背景や歴史を世界史的観点で報道していない。
若者にとっては生まれた時から沖縄は本土復帰しており、憧れの観光地である印象が強いだろう。
沖縄から東京に行くのに復帰前は、日本渡航証明書(パスポート)が必用で、船で3泊。ドルが通貨として使われた。
復帰前は新日本憲法の施行対象ではなかった。日本ではないという事ですね。
少し前の香港のイメージ。香港ドルが使われ、共産党批判も許されていた。
日本占領史は高校の教科書では14ページだが、本書では345ページを使っている。
本書は読んでいて驚くような発見はないが、史実に忠実であり信頼して読める。
占領史なので占領者の主導のもと政策が決定されてゆくが、その過程を被占領者の目線から描いている。
古い歴史は被占領者の目線で描かれた記録は残っておらず、その点では近代史独特の目線だろう。
教科書との対比で目立ったことを中心に感想を書きます。
当時マッカーサーと相対していた昭和天皇や幣原、吉田など歴代首相の手記ではどうしてもマッカーサー記載が多くなる。
そして、史実を調べた本書でもマッカーサー考え方が重要になってくるのだろう。
アメリカの対日占領は講和条約による国際社会の復帰で完成する。マッカーサーは48年の大統領選への出馬を目指しており、成果を焦ったマッカーサーは47年にワシントンや連合国に無断で日本で早期対日講和声明を出した。
しかし、結局米ソ冷戦や朝鮮戦争の勃発により日本の占領方針が変更となり講和条約は延長された。
ワシントンとGHQが反目していた事。更には連合国とも意見が相違していたことが詳細に書かれており、その原因はマッカーサーの思想にもある事が理解できる。
- ポツダム宣言受諾後に日本の占領が始まった。連合国(主にアメリカ)による占領。しかし、沖縄は交戦中の占領であり、ハーグ陸戦規定によるものであるため本土の占領とは全く切り離されていた事で本土復帰が遅れた。
本土は建前では連合国(GHQ)による占領であり、ワシントンから基本的方針が指示されていたが、沖縄は軍政が続いたため米軍が自由に動ける基地優先が続いた。
憲法解釈にも規定された。国会答弁でも、正当防衛であっても交戦権を認めれば、偶発的戦争を招くのでこれを認めないと答弁している。
安保に対する政権の考えは一貫しており、安全保障は国連と米軍に委ねるというもの。現代においては危険で稀な考え方。
米ソ冷戦によりアチソン国務長官は何度も吉田首相に再軍備を迫っている。経済面の貢献だけでなく、陸軍の創設により直接軍の貢献を期待していた。
吉田首相は講和条約交渉の過程で、再軍備しないかわりに基地の費用負担などお金に関する事は何でもすると伝えていた。
それが沖縄基地問題、横田空域問題、思いやり予算問題、日米行政協定による米国の自由な基地設置に繋がっているのだろう。
(安保改定も含む)
何と言っても日本は敗戦国であり、当時の国際政治の状況からすればやむを得ない部分はあったのだろう。
吉田首相は当時、社会党に再軍備反対運動を依頼し、アチソンの安保再軍備へのカードにした。岸田首相が野党に再軍備反対運動を依頼するようなものであり、隔世の感がある。
ところがその後、米ソ冷戦により、アメリカの対日方針は再軍備化へ転換し、憲法9条は矛盾が発生した。
ここが戦後日本史の分かり難い所だ。占領初期は軍備撤廃で、その後に再軍備に向かう米国と、最初は軍備維持で、その後再軍備反対になる日本政府。
アメリカは講和条約の条件として日本の再軍備を強く求めたし、陸軍による反共戦線への協力も求めていた。やむなく吉田は自衛隊を作った。
当時から既に軍事における国際協力を期待されていたのですね、湾岸戦争でショウザフラッグとか、ブーツオンザグラウンドと言われたのと同じ。
ウクライナによる自由を守る戦いについて資金援助しているのに武器供与していないため日本は感謝されなかったのと同じ。
やはりお金だけでなくもっと直接的な戦力貢献が求められているのだろう。
アメリカによる日本国憲法草案は9日で作られた。当時の日本政権が作った憲法案は全否定されたため、政権からすれば押し付け憲法だった。
しかしGHQ案は当時盛んに行われた日本の学者における憲法案提言の一つを参考にしていたので国民の意向とすれば押し付け憲法と断定できない。
本書は憲法についての記載は多い。GHQは日本国民が将来に渡って長く支持されるためには押し付けの憲法でなく、日本が自ら草案したものが好ましいと考えていた。
GHQが日本の民主化や新憲法を重要視していたという事だろう。
重視はしていたが、英国連邦や東アジア、あるいはワシントンの一部で天皇制廃止の意見が大きくなっており、早期に天皇制を維持した憲法の発布に迫られて9日で作ってしまった。
当時は9条に反対する勢力はなく、天皇制の維持、主権が誰にあるかが議論の対象だった。
最近の女系天皇論議や皇族スキャンダルにより天皇制の必要性に対する国民の関心を見ると、昔の日本が必死になって守ろうとした天皇制の価値を今の日本人がどれほど感じているのだろう。
教科書では天皇に関する記載が人間宣言のみであったが、本書では人間宣言の冒頭に五箇条の御誓文を引用した天皇の意図が、旧憲法の趣旨は民主主義であることを表現したと言っており、
欽定憲法でも国民の意図を汲み取った民主的憲法であるという主張が理解できる。
吉田は「赤色革命を奨励する如き」と書き残している。
しかし、冷戦勃発により今度はレッド・パージにより共産党関係者が政界から追放される。当時共産党は連合国を解放軍と呼んでおり、日比谷のGHQの前で、「占領軍万歳」を叫んでいた。
また、占領初期には二度と戦争できないように財閥解体や造船業の解体、重工業産業の解体など経済力の弱体化が行われた。
しかし、冷戦勃発により、アメリカの日本支援の負担軽減を目指して財閥解体の解除、重工業の振興が行われた。当時アジアで重工業を振興できる国は日本しかなく、朝鮮へ物資供給や、中国共産党への防波堤としての日本の地政学的立場もあった。
農地解放により1Ha以上の農地は国が強制買収し、小作農に売約した。これは寄生地主をなくし、所得格差をなくし。農家を平等にして困窮を無くすことが目的だったが、今となっては小規模農家が多く生産性の低い問題が残ってしまった。
大規模農業へ転換し農業の生産性を向上させ、補助金財政負担を無くし、自給率を上げるべきだろうが、自民党政権が続く限りは難しいだろう。
昨今の米中冷戦やウクライナ戦争を見れば、戦後70年を経ても同じ構造的問題が残っていて愕然とする。
アチソンが推進。日本は独立ばかり要求するが、自由世界の強化にどう貢献するのか。暗に再軍備を求めた。
アメリカの前提 1,日本の安全保障は国連に委ねる 2,太平洋地域におけるアメリカの圧倒的優位 3,沖縄はアメリカの信託統治とする
当時天皇は沖縄米軍基地継続をお願いしていた。25~50年の信託統治案など。香港みたいなもの。
マッカーサー、民主化強化を妨げない範囲での経済強化」→二度と戦争を起こさせない。
ワシントン、経済安定を妨げない範囲での民主化 →欧州のマーシャルプランによるアメリカ財政悪化。日本の経済不安定は共産主義の拡大を招く。経済自立して中ソの防波堤になって欲しい。
アチソンの講和条約推進:4つのハードル。 1,ソ連は北方領土問題で講和に反対 2,国防省は日本の基地を維持したいため反対 3,オーストラリアなど英連邦が侵略経験から反対
最近の中国の軍事化、領土拡大、全体主義化。ロシアのウクライナ領土拡大。台湾問題。北朝鮮の核開発。これらを見れば、日本の基地化はすますその重要性が高まっているのではないか。
だから米軍は日本の基地を維持したいはずだが、トランプを始めワシントンは自国優先主義になっており、自国にメリットがなければ基地縮小になるし、いざ日本が攻撃されても米軍が本格的に日本を守るとは私は思えない。
昔も今も、日米政府は再軍備賛成、日本国民や東アジア諸国は反対だったが、昨今の東アジア情勢やウクライナ戦争を見れば、日本国民の再軍備賛成は増えるだろう。