奴隷船の世界史:布留川 正弘 の読書感想文
「奴隷船の世界史」あまり楽しそうな題名ではない。あえて選んで読もうとは思わないでしょう。
奴隷制などは悪であり、悲惨なものであり世の中から消えつつある人類の忌むべき記憶と感じる人もいるでしょう。
しかし個人的にはトップクラスに面白い本でした。題名に惑わされず多くの人に読んでほしいと思います。
ではなぜ私がこの本を手に取ったのか。
まず、歴史の学び直しでアヘン戦争に興味を持ったからです。
清に武力を用いてアヘンを売りつけ、アヘン規制を行ったことを口実に清を侵略したイギリスってえげつないな、なぜそんな仕組みをイギリスは思いついたのだろうか?
アヘンとか奴隷ですよ、三角貿易って悪の権化じゃないですか?
ここで三角貿易に興味が湧いたのですね。自分の興味の赴くままに歴史を散策していると対象が無限に広がってしまいます。
この本は「奴隷制度」でなく、「奴隷船、奴隷貿易」が中心なので奴隷制度については深く触れませんが、奴隷制度はギリシャローマ時代から世界中で発展したものであり、
イギリスが考えた物ではありません。14世紀にペストの流行により人口が激減したフィレンツェ当局は外部からの奴隷流入を無制限とすることを許可するなど公的に推奨され、10年間で1万人以上の奴隷が取引されている。
私の印象では、ポルトガルは鉄砲をもっていて、アフリカの土着民は槍とかしかなくて、戦って捕虜を奴隷にしていたのだと思っていた。
しかし、いくら武器が優秀でも戦闘による捕虜の確保は犠牲も大きく、実はほとんどが平和的な取引によって奴隷を確保していたそうだ。
セネガル王国は隣国との戦争の捕虜を昔から奴隷として使っていた。その奴隷をポルトガルに売り飛ばして、代わりにビーズや綿製品を購入した。
奴隷港のあったリスボンでは、王室が奴隷貿易を独占し、リスボン奴隷局が奴隷商人に対して貿易許可状を発行し、奴隷の競りや販売数を管理していた。
奴隷貿易は重要な国家事業だった。ちょっと前なら国鉄とかタバコ専売公社みたいなイメージでしょうか。
中国の人権侵害を非難する西洋諸国も500年間には奴隷貿易を国家事業にしていたのですからこれも皮肉を感じます。
三角貿易とは次の順番で取引きされます。
①西洋→西アフリカ(綿製品、鉄製品、馬、小麦) ②西アフリカ→アメリカ大陸や西インド諸島(奴隷) ③アメリカ大陸や西インド諸島→西洋(砂糖、コーヒー)
15世紀にポルトガル商人によって①の貿易港が開拓されます。ポルトガルは西洋の西端にあり、陸路で海外と貿易する事ができなかった。陸路だとスペインやイスラム教徒の国を通過する事ができなかった。
また、地中海貿易はイタリアなどに抑えられていたのでアフリカ大陸を回る海路に活路を見出したのですね。
次にオランダ、17世紀後半から英蘭が奴隷貿易に参入した。
本の冒頭に世界地図が掲載されており、西洋→アフリカ西海岸→西インド諸島、アメリカ大陸の奴隷の港や途中経由都市が掲載されているが、グローバリズムの芽生えを感じさせる。
約400年間に渡り1000万人の奴隷が大西洋を渡った。
奴隷船とはアフリカ大陸から新世界にできるだけ多くの奴隷を、早く、死なさずに輸送する専用船であり、「移動する監獄」と呼ばれている。
奴隷商人は西洋各地の奴隷貿易港に存在し、貿易全体を統括し、投資した資本家であり、裕福な地元の名士であった。
奴隷船は難破、海賊の襲撃、奴隷の反乱などのリスクが大きいため、英国でロイズ保険が誕生し、アメリカ大陸で奴隷を売却した代金は為替で英国に持ち帰って換金されたため為替制度が発達した。
奴隷貿易で蓄積された資本によって産業革命の資金が賄われたという学説もある。そして、産業革命によって製造された綿製品がアフリカで売られ、工場労働者への簡易な栄養としての砂糖の原料となるサトウキビのプランテーションが西インド諸島やブラジルで発展した。産業資本主義の発展には奴隷貿易が欠かせなかった。
現代において共産主義国や強権国家と対比される自由資本主義社会は奴隷貿易によって発展したならば皮肉と言える。
インターネットを使って世界の研究者が共同研究した成果として、約35千件の奴隷貿易記録がデータ化されている。
船、船長の名前、トン数、船籍、出港日、奴隷数、男女比、死亡者数などとても面白い。
一つの具体例、英国籍のローレンス号、300トン、砲数14,400トン、南海株式会社所有、ロンドン出港、アフリカのロアンゴで奴隷を集めて、ブエノスアイレスで売却。
航海は1年半。乗船員50名、積込奴隷453人、荷揚げ奴隷394人。(死亡率13%)
アフリカで奴隷を集めるのに3カ月かかっているそうです。イギリス南海会社は毎年4800人の奴隷を貿易する事がユトレヒト条約で認められた国策会社です。
奴隷貿易には保険が掛けられており、貿易許可状により貿易数が管理され、株主への配当金計算の必要もあるため記録されていたようです。
このような記録を見ると、奴隷貿易は悪の密貿易ではなく、西洋では広く認められた主要貿易品であることがよくわかります。
コロンブスが新大陸を発見し、スペインが伝染病を持ち込んだり、現地の文化や産業構造を破壊した事で貧困化が進み、労働搾取や征服戦争により原住民が激減した。
例えばキューバは1万4千人の人口が30年で千人に激減、エスパニョーラ島は30万人が6万人に減少。アステカ王国は2500万人が100万人まで減少。
そのため、銀の採掘やサトウキビのプランテーションのための労働力を穴埋め補充する必要があり、アフリカ大陸から奴隷を運んできた。
いやースペイン鬼畜艦隊ですね。歴史上これほどの民族迫害があるでしょうか・・・
本書には奴隷船の構造図が掲載されていますが、最初に見た時に奇妙な感覚に襲われる。遠目に見ると船室に黒くて細い蟻のような棒が沢山書かれている。
よく見ると人間が隙間なく寝かされている図。できるだけ多くの奴隷を運ぶ必要があったのだ。
また反乱や自殺を防ぐため二人一組で手枷拘束具をつけられて1日16時間板に寝かされて2カ月間の航海をさせられた。便器も不足し、垂れ流し。空調もなく暑くて悪臭がする。
1日1回甲板で運動のために踊らされる。伝染病予防のため塩水、酢、煙草で洗われる。荷揚げ地が近づくと食事量を増やし、オイルを体に塗って、髭をそって健康そうに見せた。
まさに家畜のように運ばれて売買されたのですね。
奴隷貿易は成功すれば1年半で投資額が2倍になり、失敗すれば他国に拿捕されてゼロになる商売だったようです。
奴隷貿易には元手が必要なため、商人の父親は、富裕商人、奴隷船長、船大工など関係のある職業についており、平均的な奴隷商人はワインセラーや図書館のある邸宅にすむていどの財産を形成した。
その息子はオクスフォードやケンブリッジ大学に進学し、商人、聖職者、海軍将校、法律家になった。
奴隷貿易で成功する事でイギリス社会の地位を向上させていったそうです。今で言えば憧れのIT長者といったところ。奴隷貿易には相場や奴隷、航海、関税の知識が必要であったろう。
さて第三章以降は奴隷貿易廃止への動きが書かれている。
例えば、イギリスでは農奴が開放されて以降、奴隷は存在しない事になっていたため、イギリスに入国した奴隷を売却する事が出来ない事を争うサマーセット裁判であるとか、航海の途中で死んでから海に捨てた奴隷は海上保険で補償されないが、生きて脱走した奴隷は保険で補償されることから、航海の途中で230人の奴隷を生きたまま海に捨てた保険金の支払いを拒否したゾング号裁判などの判例が積み重なっていった。
当時の英国ではコーヒー、紅茶、ココアに砂糖を入れ、菓子にも沢山砂糖をいれていた。
英国の政治家、奴隷反対派は、「21か月間砂糖を使わない家庭は植民地のプランテーションで働く奴隷一人を殺人から救う事ができる。
1ポンドの砂糖を消費するのは奴隷2オンスの人肉を食べているのと同じだ。」といった小冊子を販売して砂糖不買運動を展開し奴隷制度廃止の啓蒙がすすんだ。
本書では砂糖の入れ物に「東インド産、奴隷生産にあらず」とかかれた写真が掲載されており、不買運動の成果が窺える。
ポルトガル奴隷船アミスタット号の反乱について、首謀者の裁判が拿捕されたアメリカで行われたのがアミスタット号事件。
裁判では奴隷の反乱が合法とされ解放された。スピルバーグが映画化しているとの事で一度見てみたい。