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複合戦争と総力戦の断層:山室信一

 

複合戦争と総力戦の断層:山室信一 。  読書感想

東洋経済の学び直し近代史60冊の中の1冊。

私の知識としてWW1とは、欧州が中心であり、欧州列強のの植民地である中国にも波及した事で日本に影響したという事。

日本は欧州列強が戦乱でひっ迫した隙に中国の青島を占拠した写真を記憶している。

そしてドイツへの戦後賠償が厳しすぎてヒットラーの台頭を許したという程度だ。

 

高校の日本史の教科書を見ると、WW1についておおよそ4ページ使っているが、本書は160ページを使っている。

本書は京都大学の共同研究として授業で使われる事も視野に編集されているため教科書的な分かり易さ、客観性、紙数の少なさ、写真を多用していて読みやすい。

その一方、本書の目的からして日本に関係のある政治家や軍人の外交に多くの紙数を使っているため、経済や国民生活への影響という視点は少ない。

例えば本書では、日本人にとってWW1は遠い欧州が主戦場であり、日本が攻められるリスクがなく、参戦を迫られる状況でなかったため一部の政治家と軍人によって参戦が決められたと記載されているが、教科書を読んでいると、日清戦争の勝利を契機に思想界は対外膨張主義や大陸進出論一色になっていたことが記載されている。

明治23年までの3年間に日本の雑誌新聞の発行量が3倍に増加し、雑誌「日本人」「国民の友」などで言論人が盛んに大陸進出論論争を繰り広げていたと記載されている。

つまり一部の政治家が参戦を決めたにせよ国民全体が賛成していたことを窺わせる。

また桂園内閣やシーメンス事件で民衆の抗議が高まったため、国民や言論界で人気の大隈が第二次内閣を組成したが、国民に人気のあった大隈がWW1を承認した首相であることも参戦に民意があった事を現わしているのではないでしょうか。

そして大隈は現在も早稲田大学の創業者として人気を維持している。

因みに大隈は「国家膨張は開国進取の現れである」と主張しており、明治維新から日清日露戦争の成功につながった開国と膨張主義は国全体として正義だったのだろう。

戦後教育を受けて令和に生きる私からみれば日本の軍国主義帝国主義、大陸進出は下品で野蛮で価値観に反するが、当時世界の先進国はどこも大陸進出にしのぎを削っており、日本が侵略しなければ欧米が侵略するだけで、弱肉強食の世界の理論だろう。

東アジアに植民地利権をもつ欧米は日本と競合しているので日本を批判するは当然だが、日本をけん制しておいて自分たちの権益は広げようとしていただけだった。

また、大陸が欧米に植民地化されてしまうと、大陸に近い日本の安全保障が脅かされるし、資源のない日本が生き延びるには資源確保の大陸進出を目指すの正義だろう。

しかし、侵略する側に立てば正当な理屈だが、侵略される側に立てば日本の理屈には全く正当性はなく、侵略に際しての虐殺、略奪、主権侵害の悲惨さを記載することも重要ではないか。

ウクライナ戦争において死体の映像を流す理由は侵略の悲惨さを伝えるためだろうし、侵略される側の悲惨な状況を伝える事で侵略を抑止する教育が必要だろう。

 

教科書の記載の戻ると。開戦時には「日本は日英同盟と日露協約の関係で三国協商側に立った。第二次大隈内閣は加藤外相の主導のもと日英同盟を理由に参戦。」としか記載されていない。

本書では当時の内閣や野党、元老などの発言を詳細に記載しているが、WW1が始まる前からどのように中国利権を維持拡大するかが常に検討されており、絶好の好機と考えられていたことがわかる。

日英同盟がなくとも日本は何とか理由をつけて大陸進出をしていただろう。

一方、同盟国の英国を見ると、戦況が不利になると日本の参戦を要請し、戦況が有利になると日本の進出を防ぐために参戦を制限することを繰り返している。

英国側も自己の利益しか考えていない。節操がなく2枚舌外交であることは日米同じだったようだ。

参戦の目的は対華21か条要求に込められているので詳しく見てみる。

第一号:山東省におけるドイツ権益の譲渡。私が学生時代に学んだ時の感想は、他の列強に比べて遅くに進出したドイツがもつ山東省は面積も狭いし、大した価値無いのではというものだった。

しかし本書を読めば、膠州湾は中国第二の港であり、山東鉄道は沿線に炭鉱があって内陸部の消費市場にアクセスするための重要なインフラや資源であることが理解できた。

第二号:南満州と東蒙古の権益延長。学生時の感想は、既に日本が租借している満州の租借延長など簡単で大したことではないだろう。

しかし満州鉄道は39年には中国の買取に応じる必要があり、遼東半島は23年に返還義務があった。参戦した14年から見れば10年以内に返還が必要だった。

日露戦争後は20万人の日本人がこの権益を使って中国で活動しており、大陸拠点を失うわけにはいかなかった。

教科書では列強の対中投資比率が円グラフで載っている。14年→31年で見ると。日本は13%→35%であり、英おっくの37%に次いで2位になっていた。

日本の対中投資がいかに巨額か。そして投資したからには権益を維持する必要があるかが理解できる。こういった経済面からの解説はさすが教科書。

一方。中国でも官民を挙げて国益回復の要望が高まっていたため、日本もイギリスが香港を99年租借した事に習って、長期租借に切り替える事で中国との紛争を解決する事が目的だった。

第三号:教科書では省略されているが、漢冶ひょう公司の日中共同経営。私の感想は、なぜここに一公司の共同経営といった小さな要求が記載されているだろうか?というものだ。

この公司八幡製鉄所への鉄鋼供給に重要であり、日本の対中投資の大半を占めていた。

八幡製鉄所は戦略物資の生産に欠かせない最重要施設であり、先ほど触れた対中投資の激増の大半はこの公司に対するのであれば理解できる。

第四号:福建省の港湾利用 これは日本の植民地である台湾が対岸にあるため、台湾に対する軍事的経済的安全保障として必要だった。

第五号:日本人軍事顧問の雇用、日本人学校や寺院の土地所有、日本人警察官の雇用、揚子江中流の鉄道施設。これは中国主権の侵害であり中国は交渉さえ拒否した。

加藤外相は四号を取引材料であり取り下げる予定だったと説明している。

この21か条の要求は、あからさまに経済権益の確保や中国の朝鮮半島化を目指しており、中国主権を無視している事、欧米列強の植民地政策とも抵触するものであった。

そして第五号を隠して欧米に公開するなど後ろめたい事をしている。第一号の山東省はドイツから日本が譲渡を受けて中国に返還する条約だが、そもそもドイツから中国に直接返還の話し合いもされており日本が中間に入るのは日本の租借延長を将来目標にしていると思われた。

また、日本の対外公使館に対しても2条~5条の存在を開示しておらず、その状態で欧米の新聞に開示したため、日本公使館は1条のみを現地に説明していたため海外の信頼を低下させた。

21か条に署名した袁世凱は「日本は欧米戦争の間隙に乗じて、わが国力の弱体につけこみ、主権侵害、内政干渉となる条約をつきつけた。兵力では対抗できないためやむを得ず要求を受け入れざるを得ない事は最大の恥辱であり臥薪嘗胆の精神で奮闘してもらいたい」と訴えていた。

現在の中国の躍進を見れば、100年の時を経て中国が日本に臥薪嘗胆の仕返しの気持ちを持つ事は理解できる。

 

教科書ではアメリカの記載は5行だけ。

「石井ランシング協定により、①中国領土の保全と門戸開放②地理的事情により日本は中国に特殊利益をもつ事が合意された。」

しかし本書を読めば、太平洋を挟んで新興国であるアメリカと日本は覇権を争っており、大戦の期間を通じて日本が目的とする行動にアメリカが介入して大きな影響を与えていたことがわかるが、教科書の記載ではそれはわからない。

また、中国からすれば、自分を抜きにして日米で中国の領土、主権に関して決定する事は中国の主権を無視しており話にならない。

もし日本の鉄道や港湾の利用権を日本抜きに中ソが合意したら我々はどう感じるだろうか。

過去にイギリスやフランスがおこなったのは軍事的威嚇による侵略だが、遅れてきたアメリカは武力でなく、投資による経済的侵略を行っており。国民主権を尊重し、自由で開かれた中国を目指していた。

日本も遅れてきた帝国主義国だが、逆に軍事的威嚇を極端に使ったため時代遅れの侵略手法であり、中国や世界からの反発と不信を買ってしまった。

しかし、アメリカと違って日本には資本力も資源力もないため投資による経済侵略はできなかった。

高度成長期の日本がNYの土地や不動産を買収した時に、第二の真珠湾攻撃と言われたが、もし中国に投資可能だったら第二の国恥と言われたのだろうか。

WW1は、日英同盟を根拠に英国の要望をきっかけにドイツと戦う事が建前であった。

実際には英国は日本の中国進出を恐れて参戦を制限していたし、英国が参戦する前から日本の英国大使は英国外相に参戦の打診をしていたくらいだ。

軍事的にはドイツが占領していた青島より先に、ドイツ軍がいない内陸部の山東鉄道の占領を行うなどドイツ軍との戦闘よりは中国内の鉄道や港湾占領に時間をかけていた。

実態は中国侵略を目標としていたことがあからさまである。

世界は大戦が3カ月ほどで終わると予測していた。そのため日本は無理やり早期に参戦して素早く中国権益の確保を締結しようと焦っていたため拙速だった。

一方、中国は中国権益を持った欧米列強が大戦により欧州に向かう事で、中国の主権回復を期待していたが、間隙をついて侵略した日本に反動として大きな失望を持った。

 

教科書のシベリア出兵は僅か1行。「ロシア革命により社会主義国家の誕生を恐れた英仏連合軍は日米にシベリア出兵を促した。」「アメリカはシベリアのチェコスロバキア軍救援を名目に寺内内閣に共同出兵を持ちかけた」

「列強が18年の大戦終了後撤退したが日本の駐兵は22年まで続いた。」これだけでは出兵の本当の理由は伝わらない。

一方で、注釈では戦費が10億円と記載されており、日本経済がWW1で11億の債務国から27億の債権国になった事が記載されておりシベリア出兵の巨額さが理解できる。

その巨額な出費に対して、目的や成果がほとんどなく、出兵をあてにした米の買い占めにより米価が高騰したくらいであるため歴史に埋もれている。

本書ではシベリア出兵について。公にされた目的はチェコ軍救援であり、ロシアの領土不変更と内政不干渉であったが、真の目的は東清鉄道と樺太油田の権益確保としている。

戦艦の燃料が重油となったため、日本海軍としては地理的に近くて良質な樺太油田は生命線とされた。

また満州や蒙古の権益を強化する事や、ウラジオストクにある63トンの武器やドイツ軍がシベリア鉄道で東アジアに来て山東省権益を奪取することを防ぐためにも東清鉄道の確保は重要だった。

ロシアの消滅は、ロシアが持つハルビン自治区権益の消滅となり、そこにドイツが来ることを防ぐのは中国の利益にもなるためドイツに対する日華共同防敵軍事協定を結び、中国参戦軍と共同する事で日本軍は中国内を自由に移動する事や、満州からシベリア出兵が国際法上可能となった。

中国はWW1参戦のために日本軍の指導のもと3個師団を組成したがこれが中国参戦軍。

陸軍の田中義一参謀次長はシベリアに傀儡政権を作ってシベリア資源の確保を主張し、小磯国昭にシベリア資源の調査を命令している。

日本はソ連に宣戦布告していないため、直接ソ連の権益を奪取できない、そのため傀儡政権が必要であり、複数の傀儡政権候補を支援したがいずれも失敗した。

たしかにアメリカもシベリア鉄道の利権獲得を目指しており、日本はそれを阻止するために単独派兵まで視野にいれていた。

日本国内においては、日露戦争から10年が経過しており、国内の軍国主義路線を復活させるために戦争が必要であると山県元老や後藤外相、田逓信相が主張した。

労使紛争や米騒動など国内の不満を挙国一致の戦争により収拾させる目的もあった。

ドイツの休戦やチェコ軍救援の完了により列挙区が撤退する中で日本軍のみが駐兵を続ける理由がなく、朝鮮半島満州への脅威の除去としてパルチザン鎮圧という住民全体を仮想敵とする泥沼にはまった。

結局、国内と国際世論の批判にさらされて膨大な損失と成果がないまま撤兵した。

加藤外相の対華21か条の要求を、国際世論の反感を買っただけの愚策と批判した寺内は、逆にシベリア出兵により加藤から、天下の愚策と批判された。

加藤と寺内の批判が正しいとすれば、日本の山東省とシベリアへの出兵両方が天下の愚策であり、WW1への参戦自体が天下の愚策という事になると本書は皮肉に締めている。

 

さて、現在ウクライナ進攻しているプーチンの主張は「ナチスの撲滅」「迫害されている親ロシア住民の保護」「ロシア国境のウクライナへのNATOの武器配備によるロシアへの軍事的脅威」といった主張はWW1で日本が主張していた「山東半島のドイツから中国への返還」「中国での門戸開放」「日本や台湾、朝鮮へお軍事的脅威の除去」「ロシア内のチェコ軍救援」など似ている。

現在日本人は、よくプーチンは平気であんな嘘をつけるなと思うなら、WW1で日本が進攻の理由としていたことは世界から見れて同じように映っていたのだろう。

アメリカがイラク大量破壊兵器の脅威を理由に進攻したが、大量破壊兵器は存在しなかった事を見れば、旧帝国日本や、現在のロシアと言った全体主義国家に限らず、強国が弱い国を侵略するときの建前は100年前から現在まで同じ構造だと感じてしまいました。

日本占領史 1945-1952

日本占領史 1945-1952  福永 文夫  中公新書

 

東洋経済「世界と日本の近代史」60冊

                                                                                                                      

教は沖縄本土復帰50年のニュースが流れている。

沖縄戦では県民の25%が死亡し、占領により住民は収容所に送られ、住居が米軍基地のため壊された。

本土が独立後も占領が続き、本土復帰は72年までかかった。

米軍基地がある事で、騒音、墜落事故や米兵暴行事件ばかりが報道されている。

誰もがわかり易い基本的人権に関する問題であるし最も重要な問題ではあるが、その背景や歴史を世界史的観点で報道していない。

若者にとっては生まれた時から沖縄は本土復帰しており、憧れの観光地である印象が強いだろう。

沖縄から東京に行くのに復帰前は、日本渡航証明書(パスポート)が必用で、船で3泊。ドルが通貨として使われた。                                                                                                                                          

復帰前は新日本憲法の施行対象ではなかった。日本ではないという事ですね。

少し前の香港のイメージ。香港ドルが使われ、共産党批判も許されていた。

 

日本占領史は高校の教科書では14ページだが、本書では345ページを使っている。

本書は読んでいて驚くような発見はないが、史実に忠実であり信頼して読める。

占領史なので占領者の主導のもと政策が決定されてゆくが、その過程を被占領者の目線から描いている。

古い歴史は被占領者の目線で描かれた記録は残っておらず、その点では近代史独特の目線だろう。

教科書との対比で目立ったことを中心に感想を書きます。

当時マッカーサーと相対していた昭和天皇や幣原、吉田など歴代首相の手記ではどうしてもマッカーサー記載が多くなる。

そして、史実を調べた本書でもマッカーサー考え方が重要になってくるのだろう。

アメリカの対日占領は講和条約による国際社会の復帰で完成する。マッカーサーは48年の大統領選への出馬を目指しており、成果を焦ったマッカーサーは47年にワシントンや連合国に無断で日本で早期対日講和声明を出した。

しかし、結局米ソ冷戦や朝鮮戦争の勃発により日本の占領方針が変更となり講和条約は延長された。

ワシントンとGHQが反目していた事。更には連合国とも意見が相違していたことが詳細に書かれており、その原因はマッカーサーの思想にもある事が理解できる。

  • ポツダム宣言受諾後に日本の占領が始まった。連合国(主にアメリカ)による占領。しかし、沖縄は交戦中の占領であり、ハーグ陸戦規定によるものであるため本土の占領とは全く切り離されていた事で本土復帰が遅れた。

本土は建前では連合国(GHQ)による占領であり、ワシントンから基本的方針が指示されていたが、沖縄は軍政が続いたため米軍が自由に動ける基地優先が続いた。

 

  • 教科書にも書いてある事だが、日本国憲法が作られたころのアメリカの対日方針は日本が二度と戦争しないための非軍事化であり、防衛のための交戦権を排除していた。

憲法解釈にも規定された。国会答弁でも、正当防衛であっても交戦権を認めれば、偶発的戦争を招くのでこれを認めないと答弁している。

安保に対する政権の考えは一貫しており、安全保障は国連と米軍に委ねるというもの。現代においては危険で稀な考え方。

米ソ冷戦によりアチソン国務長官は何度も吉田首相に再軍備を迫っている。経済面の貢献だけでなく、陸軍の創設により直接軍の貢献を期待していた。

吉田首相は講和条約交渉の過程で、再軍備しないかわりに基地の費用負担などお金に関する事は何でもすると伝えていた。

それが沖縄基地問題、横田空域問題、思いやり予算問題、日米行政協定による米国の自由な基地設置に繋がっているのだろう。

(安保改定も含む)

何と言っても日本は敗戦国であり、当時の国際政治の状況からすればやむを得ない部分はあったのだろう。

吉田首相は当時、社会党再軍備反対運動を依頼し、アチソンの安保再軍備へのカードにした。岸田首相が野党に再軍備反対運動を依頼するようなものであり、隔世の感がある。

ところがその後、米ソ冷戦により、アメリカの対日方針は再軍備化へ転換し、憲法9条は矛盾が発生した。

ここが戦後日本史の分かり難い所だ。占領初期は軍備撤廃で、その後に再軍備に向かう米国と、最初は軍備維持で、その後再軍備反対になる日本政府。

アメリカは講和条約の条件として日本の再軍備を強く求めたし、陸軍による反共戦線への協力も求めていた。やむなく吉田は自衛隊を作った。

当時から既に軍事における国際協力を期待されていたのですね、湾岸戦争でショウザフラッグとか、ブーツオンザグラウンドと言われたのと同じ。

ウクライナによる自由を守る戦いについて資金援助しているのに武器供与していないため日本は感謝されなかったのと同じ。

やはりお金だけでなくもっと直接的な戦力貢献が求められているのだろう。

アメリカによる日本国憲法草案は9日で作られた。当時の日本政権が作った憲法案は全否定されたため、政権からすれば押し付け憲法だった。

しかしGHQ案は当時盛んに行われた日本の学者における憲法案提言の一つを参考にしていたので国民の意向とすれば押し付け憲法と断定できない。

本書は憲法についての記載は多い。GHQは日本国民が将来に渡って長く支持されるためには押し付けの憲法でなく、日本が自ら草案したものが好ましいと考えていた。

GHQが日本の民主化や新憲法を重要視していたという事だろう。

重視はしていたが、英国連邦や東アジア、あるいはワシントンの一部で天皇制廃止の意見が大きくなっており、早期に天皇制を維持した憲法の発布に迫られて9日で作ってしまった。

当時は9条に反対する勢力はなく、天皇制の維持、主権が誰にあるかが議論の対象だった。

最近の女系天皇論議や皇族スキャンダルにより天皇制の必要性に対する国民の関心を見ると、昔の日本が必死になって守ろうとした天皇制の価値を今の日本人がどれほど感じているのだろう。                                                                                                                                 

教科書では天皇に関する記載が人間宣言のみであったが、本書では人間宣言の冒頭に五箇条の御誓文を引用した天皇の意図が、旧憲法の趣旨は民主主義であることを表現したと言っており、

欽定憲法でも国民の意図を汲み取った民主的憲法であるという主張が理解できる。

吉田は「赤色革命を奨励する如き」と書き残している。

しかし、冷戦勃発により今度はレッド・パージにより共産党関係者が政界から追放される。当時共産党は連合国を解放軍と呼んでおり、日比谷のGHQの前で、「占領軍万歳」を叫んでいた。

また、占領初期には二度と戦争できないように財閥解体造船業の解体、重工業産業の解体など経済力の弱体化が行われた。

しかし、冷戦勃発により、アメリカの日本支援の負担軽減を目指して財閥解体の解除、重工業の振興が行われた。当時アジアで重工業を振興できる国は日本しかなく、朝鮮へ物資供給や、中国共産党への防波堤としての日本の地政学的立場もあった。

農地解放により1Ha以上の農地は国が強制買収し、小作農に売約した。これは寄生地主をなくし、所得格差をなくし。農家を平等にして困窮を無くすことが目的だったが、今となっては小規模農家が多く生産性の低い問題が残ってしまった。

大規模農業へ転換し農業の生産性を向上させ、補助金財政負担を無くし、自給率を上げるべきだろうが、自民党政権が続く限りは難しいだろう。

 

昨今の米中冷戦やウクライナ戦争を見れば、戦後70年を経ても同じ構造的問題が残っていて愕然とする。

アチソンが推進。日本は独立ばかり要求するが、自由世界の強化にどう貢献するのか。暗に再軍備を求めた。

 アメリカの前提  1,日本の安全保障は国連に委ねる  2,太平洋地域におけるアメリカの圧倒的優位 3,沖縄はアメリカの信託統治とする

 当時天皇は沖縄米軍基地継続をお願いしていた。25~50年の信託統治案など。香港みたいなもの。

 マッカーサー民主化強化を妨げない範囲での経済強化」→二度と戦争を起こさせない。

 ワシントン、経済安定を妨げない範囲での民主化 →欧州のマーシャルプランによるアメリカ財政悪化。日本の経済不安定は共産主義の拡大を招く。経済自立して中ソの防波堤になって欲しい。

アチソンの講和条約推進:4つのハードル。 1,ソ連北方領土問題で講和に反対   2,国防省は日本の基地を維持したいため反対  3,オーストラリアなど英連邦が侵略経験から反対

最近の中国の軍事化、領土拡大、全体主義化。ロシアのウクライナ領土拡大。台湾問題。北朝鮮の核開発。これらを見れば、日本の基地化はすますその重要性が高まっているのではないか。

だから米軍は日本の基地を維持したいはずだが、トランプを始めワシントンは自国優先主義になっており、自国にメリットがなければ基地縮小になるし、いざ日本が攻撃されても米軍が本格的に日本を守るとは私は思えない。

 昔も今も、日米政府は再軍備賛成、日本国民や東アジア諸国は反対だったが、昨今の東アジア情勢やウクライナ戦争を見れば、日本国民の再軍備賛成は増えるだろう。

映画北斎

 

映画 北斎

 

私の期待からは外れていた。

北斎と言えば①作品 ②破天荒な人生  の2つが話題ですが、この映画では①の作品はあまり出てこない。

そうすると②であったり、作品が生まれる背景を表現したかったのかと思いますが、それも伝わらない。

北斎は7歳から90歳まで絵を描き、その版画は膨大な量であり、海外でも人気がるのだから、作品を前面に押し出した映画にしても良かったのではないか。

絵そのものの著作権は切れていると思いますが、その写真自体に著作権があるといった理由でもあるのだろうか。

絵を中心にした場合は、北斎の人生やトピックは薄まってしまい、ドラマ性がなく退屈な解説映画になってしまうのでしょうか。

作品が生まれた背景をその生き方から見せようとしたのか。

それにしてももう少し解説を入れないと、前提の知識がないと映画ではサラッと流れてしまう気がします。

例えば映画では100物語の最中に歌麿が逮捕される話がありますが、どうせなら当時の江戸の100物語がどんな風習だったか、そして北斎のこはだ小平次くらいは映してくれても良かったと思う。

第一部で人物画では同時代に写楽歌麿がいたため勝てなかった事は有名ですが、それは伝わったのでしょうか?売れる絵ではなく、描きたい絵を描くという表現で終わっている。

北斎が旅の途中で大木の大きさを図るために木に抱き着くシーンがありますが、あれは「甲州三島越」ですよね、だったら絵を映そうよ。

できれば当時歌舞伎が流行していて千両役者などは今で言う年棒数億円のプロ野球選手のポスターのようなものだった。

そして吉原は風俗街というだけではなく、当時の原宿のようなファッションと文化の発信地であり、花魁はスターモデルだった事。

だから役者や花魁の魅力をデフォルメした絵が売れたという事。

だから人物画では歌舞伎の見栄や花魁の着物をでふぉるめしているし、風景画ならその土地の名所をデフォルメするので写実的ではなく変わった構図になっている事。

人物画を諦めて山野を彷徨い風景画を描くことに行きつく過程はちょっと伝わらない。北斎が子供の頃に描いた富士山を見たことがあるが、そもそも原体験として風景画があったのではないでしょうか?

脳卒中になって復活する過程が書かれていない。旅にでるのはわかったが、自分で作った薬で治り、その薬を販売した逸話などを入れると面白いのではないか。

富嶽三十六景の頃には一番の人気画家だったのだから、その人気ぶりを描いてほしい。旅行ガイドブックや江戸土産として人気であった事を描いてほしかった。

当時画家の取り分は初版のみで著作権は版元にあったので、重版しても画家には一文も実入りが無いため、人気画家でも富豪にはなれない事とか、お金に無頓着で掛けで買った支払いは中身も見ずにそのまま版元から貰った袋を渡していた事など。

当時浮世絵は500円くらいで明治維新で歴史から姿を消したが、明治以降、日本から欧州に輸出した陶器の緩衝材として入っていた浮世絵を見た欧州で人気が出た事なども挟んでもよかたのでは?

北斎の作品と逸話は膨大過ぎて映画に入れ込むトピックスに限界があるとは思いますが、北斎が世界に与えた影響、なぜ北斎は死ぬまで絵のスキルを向上し続けたのか、当時の江戸の風俗、浮世絵は芸術としてではなくブロマイド、ポスター、挿絵といった物であった事。プルシアンブルーをなぜ使ったのか。浮世絵は彫師や摺師との共同作業であり、精巧な技術が必用だった事などもっと知識として残る内容を期待していた。

ちなみに文書を描いた後でネタバレをググったら私と同じような感想が並んでいたので私が辛口というわけではなさそうです。

ジダネルとマルタン展

ジダネルとマルタン

 

ジダネルとマルタン

 

ジダネルとマルタン展最後の印象派展を見にSOMPO美術館に行きました。

コロナ禍で2年ほど行きにくかった美術展に月1回のペースに戻りました。

若い頃は絵画に全く興味がなく、30歳を過ぎたころになぜかゴッホの絵に惹かれてポケットタイプの画集を買った記憶があります。

美術に興味がないのになぜ美術展に行くのか?

卒業ヨーロッパ旅行で貴重な数日を大英博物館で過ごした経験から、誰もが知っているミーハーな絵の実物を見るには海外の美術館に行く必要があり、それには数十万円が必要だと実感しました。

ましてや、一人の画家の生涯の作品をトレースしようと思えばヨーロッパ中の美術館を訪問しなければなりません。

所蔵していても公開されているとは限りませんし、個人所蔵の作品もあるので作家単位の作品をミーハーがトレースするのは難しい。

そして現地の美術館の解説は外国語なので、日本語の解説書を持参するか、事前に勉強しないと絵の見方や時代背景を理解できません。

画家個人や当時の時代背景の理解がある事で絵を見る楽しさは何倍にもなります。

例えば今回の作品は第一次世界大戦の頃に製作されています。世紀末で大戦が行われる不安な時代、旅行もできずアトリエで過去の記憶を再構築して描かれた作品もありました。

今も世界中で格差社会、社会の分断、パンデミックの発生、ウクライナ戦争など不安を感じる要素が多いですが、当時も似たような時代だったのか想像しながら見る事で感情移入できます。

僅か1700円ほどで有名絵画の実物を見る事が出来るのは本来の数十分の一の費用で済むという事です。

特に今回の展覧会では個人所有とされている作品が多く目についた。個人所有と言ってもどこかの美術館に委託保存されており一般公開されているだろうが、貸し出しには面倒な手続きが必要だろう。

ジダネルの作品の中にはアランドロンが所有していたという絵もあり、寡聞にして知らない画家であったがフランスでは二人のアンリは約100年前にフランスで活躍し、フランス学士院に選ばれた有名な画家です。

どの画家も同じですが、若い頃は基礎スキルを固める時期なので写実的で面白みに欠け、灰色や肌色を中心とした地味な作品が多いような気がします。

初期のマルタンは近距離の人物画ですが、目や口が不明瞭です。人は人の目や口で相手の感情や意図を読み取ろうとする動物なので、それが不明瞭だと相手の感情が読み取れずに不安な気持ちにさせられて好きになれません。「腰掛ける少女」

中期には風景や静物画に移行しますが素人が見れば特に記憶に残る画ではありません。「砂地の上」

初期のジダネルも色彩は控えめで暗く、メランコリック、抒情的、耽美な雰囲気であり、私の好みではありません。「月夜」因みに初期の作品ではありませんが。

画の好みは別にして、ジダネルはベルサイユに住み、宮殿の散歩を日課にしており、夜の逍遥で「月夜」を描いたそうだ。

私も日中の公園の散歩を日課にしているが夜は寂しくて風景も見えないため刺激がなく散歩する気にはなれない。夜のベルサイユの庭園で絵を描くのは寒く寂しくはないだろうか。

マルタンは後期になるとパリの国務院の壁画を作成するが、その下書きの絵は色彩豊かで労働という躍動的な題材もあり好きな作品だ。

国務院は一般人が入る事ができないため、実物の壁画は見る事ができず、その習作を見る事が出来るのみだが、習作であっても素晴らしい作品だ。

習作であるが故に代表的な油絵作品として扱われていないが、個人的には最も見ていたい。

展覧会では関連地図が配られている。欧州の多くの画家がそうであるように、この画家たちも仏国内はもとより、ベルギー、イギリス、イタリアに滞在している。

欧州は一つなのだと実感します。果たし日本の芸術家のどれだけが中国や東アジアに滞在したことがあるだろうか。

そして、多くの画家がイタリアでルネッサンスから影響を受けています。

古代文明が栄えた中国やインドに啓発される日本人画家がどれだけいるでしょうか。

モネの水連のように田舎に複数の家をもってそこに自分の庭を造り、題材にしている。画家たちが住んだフランスの田舎町は、フランス人が選ぶ綺麗な田舎の1位~3位になっている。

そんな綺麗なフランスの田舎に別荘があるのは幸せだろう。

現代の日本では、田舎は仕事や刺激がなく、美術館や図書館もなく、買い物や通院が不便だが物価が安く、自然が多くて心癒される場所とされるが、多くの風景画家にとって仕事場所は田舎でも問題ないのだろうし、別荘のような感覚で都会と行き来していたのだろう。

自分に置き換えれば、八ヶ岳や房総半島に住めれば広い家や庭、自然があるのは羨ましいが、何のとりえもない初老の男が、仕事や刺激のない田舎に住んでも幸せだろうか。

一度は他人に譲った作品に、再度手を加えた「関税」。例えばパソコンのメーカーは製品にして売ってしまえば保証期間が過ぎた」製品に愛着も興味もないだろう。

画家にとっては、他人に譲った後でもずっと気になる作品があるという事を知り、そんな「仕事」ができる芸術家が少し羨ましい。

私は自分がやってきた仕事を後で確認する事はできない。

因みにアンリマルタンというバラの種類があります。ジェルブロアに家を買ったジダネルは自分の庭をバラだらけにします。それを見たジェルブロアの村人たちもバラを育て始めました。

そして今ではバラの町として有名になっています。バラと言えばジダネルなのにマルタンというバラの品種があるのはなぜだろうか。

愛国革命民主

愛国革命民主

東洋経済「世界と日本の近現代史がわかる60冊」

愛国・革命・民主を明治維新の日本と、中国や西洋との比較において理解しようとする本ですが、いずれも私の興味の薄い分野である。

市民講座を書き直しているため、文章は平易だが説明がざっくりしている。

そして引用される歴史が多岐に渡るため、前提となる世界史をしっていなければ十分な理解は得られない。

また、「経路依存性」「ローレンツの水車」「気象予測と歴史の因果関係」「カオス理論による歴史決定論」「万能細胞の分化」「マルクス主義」の説明に紙数を割いている。

従って私には重荷な本となった。2~3回読み直したが簡単に解説できず、最後の章は疲れて読み飛ばした。

日本は言語、宗教、外見がほぼ同じで人口が1億人を超える単一民族である。

一方世界標準では宗教や人種が異なる民族が複数存在している。

だから日本人が世界標準のナショナリズムを理解するのは難しいという。

ナショナルズムとは何か。人種や宗教ではなく、国家単位で「我々〇人」と「あなた達△人」を分ける物だという。

ちなみに個人では自分とあなたを分ける物はアイデンティティーと定義する。

ベネディクト・アンダーソンの「理想の共同体」やアントニースミスが定義しているらしい。

アイデンティティーは複数存在し。例えば山田太郎山田花子の関係は、男と女、父と娘、師匠と弟子という複数の関係がある。

時と場合によってこのどれかを選択して分別している。

娘が父として接しても、父は弟子として接している場合、無礼だという事になる。

これが国家間で発生する文脈の読み間違いとなりナショナリズムが対立すると定義している。

2010年に尖閣諸島で発生した中国漁船と日本の警備艇接触事故については、日本からすれば「領海侵犯」だが、かって日本に侵略された中国からすれば

また日本海軍に乱暴されたと受け止めている。

戦後中国は共産国家となり、日本からすれば竹のカーテンの向こうに消えた国。その間、日本は戦後復興やアメリカに追いつく事に必死で中国の事は記憶から消えた。

そして、戦後世代となり実際に中国を侵略した世代がいなくなった現代になってから中国から侵略を責められてももはや記憶も経験もない話。

しかし、日本人は親から経済的発展を相続しており、親から中国侵略の責任も相続する必要があると著者は述べる。

一方、中国共産党は戦後教育で抗日をアイデンティティーとして教えており、戦後世代となっても反日が記憶として受け継がれているため歴史認識が異なっており、

それが現在の日中関係の冷却に繋がっていると説く。

抗日戦争で庶民を動員する必要があり、中国共産党ナショナリズムや愛国を使った。

つまり中国共産党の存在意義は「抗日」であるため、共産党中国と日本の友好は基本的に難しいとの事。

中央集権国家である清より、大名による分権国家である日本の方がなぜ早くナショナリズムが発生したのか。

江戸時代に藩を超えた日本全体の流通市場が形成された。京都、大坂、江戸と街道と港に限定されていたが米や海産物や商品の流通と市場が成立。

大坂は当時の世界屈指のマーケットだった。

日清戦争の頃まで中国にナショナリズムは存在しなかった。清の天帝は世界全体を覆う秩序であり、人類は皆天帝の恩恵と皇帝の徳治により暮らしている。

周辺国は中国にぶら下がる存在であり、中国と外国の境界はおぼろげであり、朝貢などによる曖昧な統治を行った。皇帝のお膝元から遠ざかるほど野蛮人が住んでいると理解している。

清は人類普遍の道徳、倫理、公平を体現しており、朱子学の試験である科挙は公正であり、統一された宗教による統治がされていると考えていた。

科挙により選抜された優秀な官僚が一定期間全国に赴き均質に統治することを900年近く維持してきたという自信があった。

そして中国は巨大ゆえに歴史的には対外問題より、国内問題を重視する傾向があった。

それが、日清戦争で負けた事により、中国は外国諸国と対等で競合する国に過ぎないとの認識になったときにナショナリズムが発生した。

ナショナリズムは外国との関係性であるため、競合する外国が認識されて初めてナショナリズムが発生するという。

中国のエリートや軍閥は明確な国境と均質な強い統治をめざした。

中国を完全に一体性のある国にしようとした。そのため、ウイグル、香港、台湾は不可分な領土であるとの主張は国のアイデンティティーである。

移民とナショナリズムについて。

中国から西海岸への移民が禁止されたときにナショナリズムが強まった。後に日本の移民が禁止され、人種差別により反米感情が高まり第二次世界大戦の理由の一つにもなった。

英国植民地の間で移民交流が盛んだったが、ガンジーは南アで働き、そこで差別された事で独立運動に参加している。

因みに韓国においても秀吉の朝鮮出兵時の現地での残虐行為が歴史教育で受け継がれている。

そのうえで日韓併合の歴史もあるため、韓国にとって最大の侵略脅威国は日本である。

革命について

司馬遼太郎が「明治という国家」において、維新で一番偉いのは慶喜だと述べている。

理由は維新で犠牲が少なかったのは、権力を自ら手放したから。

フランス革命の死者は60万人。明治維新の死者は3万人。政府が倒れ、武士階級が消滅する大革命を、武士のトップである将軍自らが行った。

明治維新で流血が少なかった理由は「間接経路」だとする。

一度に革命により民主化すると障害が大きいため、少しずつステップを踏んだ、人材開発→攘夷公儀→王政復古→廃藩置県→家禄処分。

江戸末期は藩単位の統治機構テクノクラートとして育っていた。大名が知事になり藩が県に置き換わっただけで統治機構は残った。

一方中国は中央集権で直接支配していたため現地の統治機構が無かったため混乱した。

明治政府は「義務教育」で言葉や歴史認識を共通化し、教育の平等により支配階級をなくした。「徴兵制」により武士階級を消滅させ、暴力装置を政府に集中させた。

憲法」による統治で全国統一のルールを設定した。この3つが民主化ナショナリズムの装置だとする。

江戸時代は現状維持を目指した政権。「新儀停止」により新しい事は禁止され、先例を引用した事しかやってはいけなかった。

だから王政復古は復古であり慶喜は幕府として禁止されていないことをした。

家茂は今の幕府は姑息で目先の事しか見ておらず、武家の士風を失っている。だから家康の創業に復古して大局を考えて、質実で使える軍備を充実すると宣言した。

明治天皇は王政復古について、武士どころか公家の摂関政治も廃止し、神武天皇の創業に復古し挙国一致を宣言した。

明治維新における王政復古は幕府、朝廷、有力大名それぞれが自分に都合の良い過去に復古しようとした同床異夢である。

因みにフランス革命でナポレオンが理想としたのは古代ローマへの復古であり、革命とは理想の過去に立ち返る事を目指すケースも多いとする」

民主化について

日本は外国から押し付けられる事なく、明治維新で70年かけて自分達で民主化や立憲政治を身に着けた。

その実例を解説するとともに、強烈なナショナリズムがなければ成し遂げられないとしている。

江戸時代の素地として、江戸幕府は強権政治だと思われているかもしれないが、実態は実務担当者や一般の家臣が起案→重役が決定→君主が決済していた。

このステップを経ないと正当な決定と見なされない。現代の日本企業の決済のルーツと言われるとわかり易い。

1人で物事を決められない。ボトムアップ。これは民主主義の下地になった。

そして、手続を守る体制は、法律を守る体制に馴染みやすく、立憲民主に馴染みやすい。

中国や韓国が法律でなく人治主義であるのとは異質である。

江戸時代は私塾が全国にあった。私塾は身分、年齢、学歴をみない。成績だけで席順が決まる。

塾の留学による全国ネットワーク。

能力主義=民主主義。
フィクサー(斉昭)による茶会で鍋島成正、伊達宗城、川路聖などのネットワークと討論。

天皇を無視して条約調印、アメリカへの弱腰、公論を盾にした幕府批判や武士階級の廃止。

江戸幕府譜代大名と中小大名は参政権がある。知識、能力や財力がある大大名や親藩は参加できない。

大大名や親藩の推薦した慶喜が最後に老中に味方したため、大大名が離反した。

当初は王政復古したあとで、大大名の合議制に移行し、そこに徳川家が入るかどうかの構想だった。

明治政府が出来てからの民主化。この辺は学校で習っていない。初耳で面白い部分。

五箇条の御誓文の第一条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」。

明治政府が本音で理想とした文章。公論とは公儀、国体と同じ。

ナショナリズムとは公共問題への関心。今ここに住んでいる人の共通の問題を解決する。

公論があれば政権を批判できる。公論を実現するために民間の意見を聞く制度や、議会の透明性を高めていた。

明治6年民選議院の建白書が新聞に掲載された。左院のリーク。当時は小さな新聞社がたくさんできた。

色んな人が色んな意見を新聞で表明できるようになった。

新聞では反対・賛成・角度の異なる意見・を載せるルールだった。

地方から新聞に当初するのに郵便料は無料だった。

当時は演説会が娯楽として楽しまれた、地方でも。官憲との乱闘騒ぎもプロレス感覚。

福沢諭吉の三田演説会が先導した。

民権運動を支えたのは地方のお金持ち。地主と商工業を生業としている。

時間とお金があって向上心があるので新聞や翻訳書を取り寄せて新知識を吸収した。

内乱を好まないため武力でなく言論を行い立憲君主政に関わった。

著者は最近の新聞やTVが一方的な情報伝達であり双方向性も無い事を問題視しており、

解決手段として研修者が介入する質の高いブログで質の高い公論を形成することを提案している。

現在ネットの情報はブログからYouTubeに完全に移行したが、どの番組も特定の意見を持った有名人や言論人が

相手の意見を強引に論破し、自分の意見の正当性を伝える手段になっており、冷静な議論で質を高める方向に向かっていない事は残念だ。

ヒルビリーエレジー

ヒルビリーエレジー

出版が2017年、5年も前。トランプ旋風が吹き荒れたときのベストセラーを今更読む。

感じたポイント

白人であってもアングロサクソン系以外は見えない差別がある。

著者が学んだイエールは多様性を重視し、白人、黒人、イスラム教など人種と宗教に関係なく入学できたが、一つだけ共通していたのは平均以上の所得がる両親がいる家庭で育った子供だという事。

現代のアメリカ社会の格差は人種宗教より、「所得」「離婚」そして「能力主義」だろう。

イエールロースクールの学生の95%はデータでは中流以上、一族を含めれば実態は富裕層。

南部に住んで低学歴一族に生まれると貧困にあえぐ人生を送る。

貧困は、子だくさん、ドラッグ、離婚、DV,逮捕につながる。

著者は非アングロサクソンで、南部ラストベルトに住み、一族で大学を卒業した人はいない。

地域で最低の高校を卒業し、家族や知人の多くは離婚、ドラッグ、貧困に悩んでいる。

そんな中で著者は全米トップのイエールロースクールを卒業し、弁護士、投資家として成功している。

著者は自分の成功を、才能ではなく努力だと判断しているが、海兵隊で広報官に抜擢され、睡眠4時間で

バイトをかけもちしながら肺炎になるまで頑張る。オハイオ大学でもイエールでも優秀な成績を修めゴルフ部を目指す。

名誉ある学校の出版編集チームに入る事ができるなど普通に努力してできるレベルは超えている。

明らかに能力があり、努力するという能力自体も非凡である。

著者は俗にいう「能力主義」である。

白人労働者階級の貧困や無職は、きつい仕事を避け、向上心を持たない労働者自身の問題であると主張する。

日々に流される事なく、目標をもって極限まで努力すれば学歴を得て貧困から抜け出せるのに、自分の限界を知らずにきつい仕事をすぐやめてドラッグに走る。

本当は「努力不足」なのに、自分は「能力不足」だ、遺伝子の問題だと勘違いして、努力しての無駄だと諦めている。

貧困から抜け出すために自分に何が不足しているか冷静に現状を把握もしない。すべてを政府や外国や移民のせいにしている。

1カ月ほど前に読んだ「実力も運のうち」と比較すれば、著者のような能力主義の主張が、貧困は自己責任であり助ける必要はない

という著者の主張も問題があると感じる。

私にはどちらが正しいのかはわからないが、幸せなのは能力主義を信じる事ができ、裕福な生活を送っている人だと感じる。

 

さて、ラストベルトの白人労働者階級の特徴は自分が貧しいのは自分のせいではなく政府や移民や政治のせいであり、自分にはどうする事もできないので誰かが自分を援助する必要があるというものだ。

大衆は国家予算や外交政策に興味はない。マスメディアや政治家は信じられない。というものだ。

アメリカのメディアは日本と違い、真実を報道するのではなく、自分たちの主義主張を広める道具である。自分達は努力しても無駄で、何も変わらない、将来に希望はない。

家族や友人との絆は深く、地元愛と混ざり合って地域から離れるつもりはなく、仕事がなくてもそこにとどまる。フードスタンプは当然の権利であり、働くより楽だと思っている。

これって日本のマイルドヤンキーに似てないか。

家族や地域以外に愛する者はアメリカ合衆国。世界でもっとも豊かで優れた国であり、第二次世界大戦アポロ計画ニューディール計画。

だからトランプの集会では愛国心で高揚する。しかし、その豊かな国で貧しい生活を送っている自分たちは、政府の責任という事になる。

オバマは天災だ」「メキシコはドラッグ、犯罪、レイプ犯を送り込んでいる」「イスラム教徒の入国を禁止する」こういったトランプのメッセージがなぜラスベスの白人労働者に受け入れられたのか。

それは、「おまえたちが貧困にあえぐ責任は。お前たちではなく、政府、政治家、エリート層、海外からの移民、輸入の不公正だ」と言うメッセージがマッチしたからだ。

そして暴力的で汚くて、ワンフレーズの小学生でもわかる言葉を使った事。それこそが学歴の無い暴力的な南部なまりの白人労働者層が日々会話するスタイルだからだ。

ジョンソン首相も同じタイプか。

一方、オバマがしゃべる癖のない綺麗で流暢な言葉は南部では誰も使わない。

オバマはDVをしないし、健康に気を使い、ジャンクフードは食べないが、ヒルビルはDVが多く、でジャンクフードを食べる。

ちなみに著者が赤ちゃんの時に母親が哺乳瓶にペプシを入れていたのを祖母が見ていた。

オバマが白人労働者から受け入れられない理由は、黒人だからではなく、自分たちが話す言葉、食べる物、暴力と全く異なる世界だからだ。

著者の一族はアイルランドから移住したスコティッシュアイリッシュと呼ばれる民族で、貧困は代々伝わる伝統であり、周りにいるのは、

DV、暴力、離婚、ドラッグ、アルコール、逮捕で苦しんでいて、低賃金肉体労働か無色、ビッチとかファックユーといったスラングを常套句にしていた。

先祖は南部の奴隷経済体制で日雇い、その後は小作人、炭鉱労働、そして工場労働者に就いた。ホワイトトラッシュ(白いゴミ)と呼ぶらしい。

黄色い小さな出っ歯猿もムカつくが、白いゴミはひどい。

西部開拓時代の荒々しい生活が残っていて、法律に従うより開拓時代の人間の本能に根差した善悪で行動する。

こうして4世代に渡る家族の自伝を読むと。一族やその地域が独特の価値観を持つ事になるのはとても理解できる。

ヒルビリーのでは男らしさが重要な価値観を持つ一方で、仕事がなく貧困な男が多いため、それが男たちを一層卑屈にしている。

日本のような単一民族で比較的均質で階層差が少ない世界にすんでいると理解できない事が腑に落ちる。

日本なら九州や東北の限界集落のような人の出入りの無さだろう。

許永中の「海峡に立つ」では、在日と同和が住むエリアで育つと、暴力は悪ではなく正義であり、生き残るために必要なツールであることがわかる。

著者の祖父は44口径、祖母は38口径のピストルを常に携帯していたそうだが、まさかスペシャル弾じゃないよね。

同じ北米大陸に住んで、同じ国籍であっても互いに一生交わる事が無いらしい。それはあえて避けているというより生活圏が異なるため出会う事が無いというものらしい。

例えば私は東京北西部にすんでいますが、足立区や荒川区の人と交わる事はない。別に避けている訳ではなく、そこに用事がない。単発的な用心で立ち寄る事があってもそこに住んでいる人と交流する機会がないだけ。

逆に、中央区や港区の人とも交わる事はない。言っておくと私は地方出身者なので、足立区や港区の知人もいないし実態は知らない。本やTVでのまた聞きだ。

狭い都内でも交わらないなら、広いアメリカではより一層交わる事はないだろう。

著者が生まれたのは「血のプレシット郡」だが、私がググると日本人は3人しか住んでいない。日本人がラスベルの最貧部の情報を知る事は難しいだろう、トランプの当選を予測できないのは当然だ。

米国内の分断は、米国と他国の分断異常だとも書いてあるが、広い英語圏で言えばそうかもしれない。

著者の地域では、「勉強する事は女々しい事だ」「努力するのは無駄で恥ずかしい事だ」「エリートは鼻もちならない」という価値観があったそうだ。

私の小学校時代、その地域にも一部このような価値観があり、私もガリベンと言われることを避けようとしていた。

著者はオハイオ州立大学に進学するときの学費が、地元で家が1軒買える金額であることを知り悩む。祖母からそのお金は必要な投資だと説得されて進学するが、理解の無い親なら絶対に進学させないだろう。

アメリカでは低所得者のための奨学金や学費免除があるが、貧困層家庭では親や周囲は興味や経験もなくその情報にアクセスする事がないため利用されない。

「学校の先生」「ネットの情報」「TVの情報」「金持ちの友達」など情報はいくらでもあるのではないかと思ったが、アメリカでは主要メディアを信頼できると回答したのは6%しかいない。

TVや本や政治家のいう事をそもそも信じていない。

NHKを中立だと思っている大多数の日本人にはわからない世界だ。

ネットもフェイクニュースが多くて、自分に役立つ情報ではなく、自分が見たい、信じる情報しか入らない。

父親にイエール入学を連絡したら、父親が「黒人かリベラリストの振りをしたのか?」と言った。

ラスベスの貧困層がイエールに入るには「黒人かリベラリスト」以外は無理だと思っている。

著者はオハイオ州立大学を卒業し、数十社の就職レターを出すが全て断られる。

しかし、イエールロースクールの2年目には、最高裁判所で活躍する弁護士事務所から年収2千万円を提示される立場になる。

自分の人生が1年で激変した経験を、魔法にかかった。何か得体のしれない力が働いていると書いている。

これこそが学歴社会だろう。

就職活動で成績や履歴書は重視されない。イエールというだけで面接までは到達する。

就職課で教えられるのは「飛行機で隣に座っても許せる人」を演じる事。

会社に馴染めるか、一緒に働けるか、社会性や人柄を見られる。

グーグルの採用担当者が一番重視するのは才能でなく、「一緒に働けるかどうか」だと聞いた事がるがそれと一致する。

著者が家族と一緒に行く最高にお気に入りのレストランは、イエールの友人にとっては不健康な油っぽい料理だった。

食べるもの、話す内容、話すスラング、問題の解決手段が暴力か会話か、それらは全て学校や政府が解決する問題ではない。

家族の問題であるというのが著者の結論だ。

植物に例えれば、土壌(家庭)が腐っているのに水(教師の質や学校教育向上)や日光(学費免除)をしても子供は育たない。

著者の高校の先生のコメントに「政府は教師に対して、生徒の羊飼いに馴れというが、オオカミに育てられた生徒の羊飼いにはなれない」

著者の高校では20%が中退する。大学にいく生徒はいない。

著者の親族でケンタッキーに残った4人は貧困なまま。インディアナに移った4名は成功しており、どこに住むかも大きな要素だという。

著者は祖父母がそばにいて愛情を注ぎ、勉強を教えてくれたり、お金を支援してくれたことと、海兵隊で健康的な生活や努力の大切さを学んだことで家庭では学べなかったことを学べたようだ。

 

 

格差は心を壊す

 

この本は名著だが、情報量が多すぎて感想を書くレベルまで読みこなせなかった。

欧米の学者が書く本はボリュームが多くて読みにくい。

また、引用が多く、宗教や欧米の本やニュースを引用することも多いためそれを調べていると時間が足りなくなる。

取り敢えず備忘録としてアップしたが、何度か読み返さないと消化できないだろう。

まずは自分の孤独な老後にどう生かすかの観点で読んでみた。

 

格差が大きい社会は健康に悪影響になる。

・平均寿命が短い。(アメリカの白人)

精神疾患になるリスクが高い

アルコール依存症になりやすい

・加齢により血圧が上がる

これは国別データもあるが、米国内の州単位の格差と健康データでも明らかに相関している。

また、国別で見れば世界でも日本が一番格差が小さく、健康である。

この相関関係は世界中で300を超える論文で実証されているという。

日本に住んでいると気が付かないし、非正規雇用や女性の不利益、学歴、職業格差が広がっているニュースばかり目にする。

そんな日本でも世界でトップクラスの平等社会であることに驚く。

これから日本は格差が広がり、世代を超えて格差が固定化されるという予測を聞くと将来は精神疾患アルコール依存症が増えるだろう。

格差とは、所得、教育、職業、身分など。定年後は貯蓄や知性はカバーでいるが職業と身分はなくなる。

つまり一層不安定になる。

例えば、職場に適応できた人は出世して、不適応な人は所得も身分も低い。しかし適応は先天的な才能かもしれない。

所得や社会的地位は本人の能力次第、努力次第、変動するもの。だから人間の価値を測る指標になると考えられている。

なので所得や社会的地位を気にする。

所得は生活できる金額かどうかは関係ない。その人の価値を図る指標なので、上限はないし、1千万の年収の人は2千万の人より価値が低いと感じる。

また、格差の少ない日本人と、格差が大きいアメリカ人で同じ1千万円の所得なら日本人の方が不安が少ない。つまり日本に生まれただけで不安が少ないという

アドバンテッジがあるのではないか。そうだとすれば、格差が大きい東京でなく地方の方が不安を感じないのではないか。

格差により不安を感じるという理屈は、アドラー心理学による人間は劣等感の生き物であるとの説に繋がる。

著者で早稲田大学教授の橋本健二氏は、東京23区を町丁目にまで細分化して所得水準に着目し、地域格差の実相を明らかにした。

「一人当たりの課税対象所得額で比較すると、格差がはっきりします。所得がもっとも高かったのは港区(平均593.5万円、2015年)で、もっとも低かった足立区(156.8万円、同年)の3.79倍と約4倍に達しています。この差は、都道府県別で見た場合の東京都(1位)と沖縄県(47位)の所得差、2.37倍(同年)より大きい」(橋本教授、以下同)

 1975年の時点では、トップの千代田区と最下位の足立区の所得水準の差は2.3倍だった。だが、2000年代から都心の中央・港区などが大幅な増加に転じ、その一方で、東部の足立・葛飾荒川区で低下が始まり、2008年のリーマンショックで足踏みしたものの、再び格差が広がっている。

 コロナがこうした23区内の格差拡大に拍車をかけることになる。

 橋本教授が今年の1~2月にインターネット調査を実施したところ、2019年と2020年の世帯収入の増減は、「山の手」ではマイナス3.4%に対し、「下町」ではマイナス6%と、約2倍所得が下がったという結果が出た。コロナは下町により大きな打撃を与え、格差拡大を助長したという。

幸福度ランキングは格差が少ない事が理由か?

アメリカでは1950年代の精神病の子供と。1980年代の平均的子供の不安感は同じレベルになっている。

経済成長は空前の物質的豊かさをもたらした。昔の貴族なみの生活をして居る私達。

夏に冷たいビール、アイス、クーラー、冬にお風呂、テレビ、映画。飢える事や寒いことはない。虫歯や眼鏡もある。

しかし不安は昔より増えている。不安の理由は物質ではなく、他社との比較にある。

他者と比べない。

貰っている給料で欲しいものが買えないのではない。必要以上にお金が欲しいのは健康な食事や快適な洋服ではない。

無駄に高価な時計や車、広い家など他人からどう見られたいかという欲望を満たす。

評価社会と能力主義、他人からどう見られるかが、どう評価されるかになり、収入に直結する。

他人の発言に過剰に反応したり、怒りっぽい。人間に対する被害妄想。

友情の価値は1,200万円。人間関係が良好でないと、水膨れの回復が遅く、ウィルスを投与すると

風邪になるリスクが4倍高い。

年収が0円になっても友人が出来れば、実質的に年収はアップ。定年後友人ができれば年収1200万円稼いだと同じ。

貯金が1億2千万円あっても友人のいない10年で損失する。

極めて軽度なストレスでも長年で免疫や循環器疾病、老化が加速する。

村民と同じ食事のシスターは高齢でも血圧が上がらない。仕事場や家庭でストレスを感じない工夫をしよう。

人生の楽しみとして友人としゃべり、冗談を言う事に勝るものはない。私はどこに行けば冗談が言えるか。

友人、社会参加、ボランティアが大きな幸福感になる。どこに行けば「友人」がいるか。

社会参加とは・・ストレスが少ない労働。 ボランティアは、子供や動物の世話。

「他人が信頼できる」「組織に所属している」「アイデンティティがある」

会社をなぜやめたい→

会社を辞めて何をする→

会社を辞めると組織、人間関係、収入、日中は何をする?家にいる?

嫌な会社で継続雇用か、バイトか嫌なものの選択。

都築響一「独居老人スタイル」に出てくる老人の多くはあばら家にすみ、

年生活費200万円程度の人ばかり。

雨漏りがして一部屋しか使えない。床が傾いて下敷きを置いた冷蔵庫。

ビニールを張って冷房を維持、冬は炬燵で寝る。

一部に雑貨店やスナック自営業もいるが収入は知れているだろう。

多くは売れない芸術家。絵描き、流し、舞踊家、写真家、パフォーマーなど。

何十年も独りで売れない絵を描き続けている。他人との接触は少なく、誰かと比較して気に病む環境にはない。

貧乏を嘆く事もなく、若い頃やりたかったことを惰性で進歩もなく同じようにやり続けている。

儲からなくとも自分が何かに満たされるために創作活動を続けている事で不安を消せるなら、

自分もブログやYouTubeで創作活動を続けるのはどうだろうか。

お金はかからないし、発表会を開かなくとも誰かに見て貰える可能性があるのでやる気になれる。

橘玲。高校時代、タバコで停学中に父親のロシア文学全集を読んだ。翻訳でこれほど面白いなら、ロシア語で読めば最も白いだろう。

当時ロシア語学科があったのは早稲田のみだったので早稲田に行った。ところが原文で読んでもさほど面白くない。

就職活動もせず、年が明けて求人広告を見て小さな出版社に入社。宝島30の編集などもやった。

 

自分にとって役立つ情報

P88

ストレスホルモンのコルチゾールの増減でストレスを計測している。

マネジメントは管理対象や直接報告者が増え、権限が増加するほどコルチゾールや不安が低下している。

ラインオフにより社内の序列が低下する事でストレスや不安が増加することが予測される。

また、定年後は社会の中でなにもしないと社会全体の中での序列が低下する事を意味すると思われる。

イギリスの調査では、精神的苦痛、不安に影響するのは所得の高低ではなく、序列だった。

多少所得が多くても、社内で昇進していないとか、社会的に低くみられる職業だと不安や苦痛がある。

アメリカの調査。長期的なうつ病調査。絶対的所得でなく、所得分布のどのランクかが問題。

例えば、日本と中国で同じ年収1千万円の所得がある場合。日本では上から20%目、中国では上から5%目。

そうすると中国の人の方が、精神的苦痛、不安、精神病、加齢が進む、自殺の確率が数分の一になる。

脂質異常、血圧、血糖値にも影響していた。

しかし、上位5%と上位30%の間の格差が大きくなれば比例して全体の満足度が低下する。

何と上位5%の人の満足度まで低下してしまう。

東大で真ん中の成績より、明治で1位になるという事。

上場企業の真ん中でなく、中小企業の社長を目指せ。

HLの課長でなく、老人サークルの会長を目指せ。

子供の精神疾患に及ぼす影響(自尊心、生活満足度)について。①家族の絶対所得 ②地域の相対所得。

②の方が影響が大きい。これは貧乏な地域でも裕福な地域でも関係なく同じ。

ここで矛盾がある。日本は格差が少ないが、子供の自尊心が最低。

うつ病は農村より都市部で多い。格差が多きいため。農村では仕事を比較されることが少ない。

格差が大きい国ではなぜ精神病が増えるのか。研究者は、社会的絆が低下する。社会階層の区別が厳しくなるとしているが

これはちょっと理解できない。具体的にどういう事だろうか。

農村では長い時間をかけて固定化した村民が相互に理解をし、その階層が固定化している。

都市部では価値観が変化し、能力によって階層が入れ替わり、短期間の外見で他人から評価されるため、常に良く知らない他人と生活する

そのため外見や学歴などで評価さえ、失敗すると他人からの評価を下げられる不安がある。

格差が大きい→格差を維持したい、ランクダウンが怖い→他人に負けないよう頑張る→思いやりのない社会。

著者は対策として、共同組合、社員持株会社を提案する。株主や高額な報酬を得る役員に搾取されている事が問題。

役員と工場労働者の年収に100倍の差があれば、工場労働者が自分には1%しか価値がない。と感じる会社になる。

英国OXFの調査。所得格差の大きい国ほど、金持ちも貧乏人も、近所の住民や高齢者、障碍者、病人に手助けしない。

市民活動への参加率も低い(娯楽、政治、宗教、)

不平等が大きいと人々は他者からの評価にストレスを感じるため、参加しなくなる。

「他人から評価されることはストレスだ」

都市ではサラリーマンが多い。サラリーマンは評価される生活。一方、都市生活自体は自由で多様な価値観があり人口も多いので

生活それ自体は評価されない。

山奥にポツンと一軒家で生活すれば、誰からも評価されずにストレスフリーになる。

社会的序列とは、所得、資産、職業、学歴など。

所得や職業は比較的変動し、獲得したり失ったりするものが大きい。

判別が簡単なので、人間の価値を図る明確な指標になっている。

つまり、「お金持ち」=「能力が高い」=「人間の価値が高い」

つまりお金=人間の価値。

★給料に対する満足度について

給料の絶対額ではなく、その給料で欲しいものが十分に購入できるかどうかではなく。

他人と比較して高いか安いかによって決まる。

★他者から疎外されていると感じている人は自信を持つ事はない

★友人の数が多いと気持ち良いし、自信も湧いてくる

★友達とおしゃべりして冗談を言う事に勝る人生はない

★幸福感は友人、家族、社会参加、ボランティアからもたらされる→成長は?

良好な人間関係や信頼感、触れ合いが幸福には必要なのに、先進国では他人と接触するのを

面倒に感じる人が増えているのは不思議だ。原因は他人の評価、比較される事に不安と恐怖などストレスを感じるから。

人間は社会的動物。人は似たような境遇の中から友人を選ぶ。平等で価値観が同じなら安心して付き合える。

貴族は貧民の苦しみに興味がない。大金持ちも貧民の苦しみに興味がない。

一方、現代の営利企業ダイバーシティを重視し、多様な価値観を受け入れようとしている。これは人間の本能に逆らう事か。

3年11か月後に目指す生き方。平等で社会的序列の無い場所、友人が多い、1か所に依存せず数か所に所属する事。

他人から評価されない事。

人類が生きた期間の90%は平等な社会であったと文化人類学者が証拠を示している。逆に、横柄な人は組織的に無視して排斥した。

狩猟能力の高い人は、尊敬はされたが支配は許されなかった。

12世紀ころまではプライバシーは無かった。同じ建物に全員が雑魚寝していた。

都市部では私たちは殆ど初対面の人たちと生活する。

通勤電車の隣の人、スーパーのレジ員、道ですれ違う人、仕事でメールする他部署の職員、マンションの清掃員、

自分の家の新聞配達、宅配便。銀行の窓口どころかデジタルで完了する。

近所の病院の医師。

アイデンティティの変化。昔は長い時間をかけて理解しあった地域住民や、習熟した職業スキルと顧客、文化によってアイデンティティ

形成された。しかし現代は地域社会のアイデンティティを失った。

一時的な気まぐれで激しく入れ替わる価値観に合わせて、その時その時で評価されるよう努力する。そしてそのために稼いだお金の殆どを使う。

実力主義能力主義=学歴。小学生から順位付けされ、刷り込まれる価値観。

フランスの社会学者。ピエール・プルデユーは「distinction」で、自分の地位をアピールするために車、服、家、趣味、書籍、レストランに多くのお金を使っている。

100分で名著

なぜ「格差」や「階級」は生まれ、どのようなメカニズムで機能し続けているのか? この大きな疑問に回答をもたらそうとした名著があります。フランスの社会学者、ピエール・ブルデューの「ディスタンクシオン」。20世紀でもっとも重要な社会学の書10冊にも選ばれた名著です。階級や格差は単に経済的な要因だけから生まれるわけではありません。社会的存在である人間に常に働いている「卓越化(ディスタンクシオン)」によってもたらされる熾烈な闘争の中から必然的に生まれてくるといいます。番組では、この名著を読解することを通して、知られざる階級社会の原因を鋭く見通すとともに、「趣味」と「階級」の意外な関係を明らかにしていきます。

 

フランス南西部で郵便局員の息子として生まれたブルデューは、まさに階級社会の底辺に出自があるといえます。彼は、エリート校に進学した際、周囲に上流階級の子弟が圧倒的に多いことに愕然とします。格差社会の現実を目の当たりにしたのです。彼は自らが直面したこの現実を、いわば「学問の種」にして、フランスという国に深く根を張っている「階級現象」に鋭くメスを入れることを決意しました。その集大成が「ディスタンクシオン」です。

 

ブルデューは自らの理論によって、相続されるのは経済的な財産だけではないことを明らかにしました。私たちは、生み落とされたそのときから、家族の中で、身振りや言葉遣い、趣味、教養といった、体に刻み込まれていく文化能力をも相続していきます。そのように相続されたものを「文化資本」と呼びます。文化資本は、蓄積することで学歴や社会的地位、経済資本へと変換可能になり、大きな利益を生みます。文化資本の多寡は、自らが属する社会的階層によってあらかじめ決定づけられ、格差を生み出していく要因になっていきます。にもかかわらず「努力によって獲得されたもの」と誤認されることで巧妙に隠蔽されます。文化は、人々の行為を規定するものとして、社会の隅々まで力を及ぼしているのです。

 

番組では、ブルデューに大きな影響を受けたという社会学者・岸政彦さんを指南役に招き、難解とされる「ディスタンクシオン」を現代の視点から読解、「趣味」と「階級」がいかに密接につながっているかを明らかにするとともに、私たちが直面している「階級社会」のありようを暴いていきます。

ブルデューによれば、人々は他者よりも少しでも優位に立とうという「卓越化」を目指して無意識裡に闘争し合っているという。いわば、人々は、自分たちの好き嫌いや趣味を互いに押し付けあっているといってもよい。この闘争をブルデューは「象徴闘争」と名付け、そのプロセスを克明に記述していく。その闘争の場を「界」と呼ぶブルデューは、この「界」のメカニズムを明らかにすることで、社会の巧妙なしくみが浮かび上がってくるという。第二回は、「界」のメカニズムを解き明かすことで、私たちが「趣味」を通して何を行っているかを明らかにする。

P136

ポール・ピフの調査。

高級車ほど歩行者や他の車への割り込みや停止しない。

上流階級ほど下層階級に比べて、率直に言って私は他人より優れていると回答する。

しかし著者は、1%の貯金金利でお金を集めて、16%で融資して、その差額の殆どを自分の役員報酬として受け取る金融機関のCEO

が他人より優れているとは言えないと書いている。

また、合理的に考えればいつか紙屑になる住宅再建を他人に売りつけて、損害を保険でカバーするような道義心のないビジネスマンも同じだ。

そして、リーマンショック前のアメリカ産業界の役員報酬の4割は金融機関で占められていた。

他の実験。他人にうそをつく、ゲームでごまかしをする、就職面接でうそをつく、隣の実験室の子供のお菓子を食べるのも

上流階級の方が高い率。

チンパンジーボノボでも、動けない仲間に水を飲ませるなど共感力がある。

仲間が興奮したり恐怖を感じれば、同様に感じる。

しかし人間社会の格差が広がると共感できなくなる。

所得格差は社会を階層化し、分断する。社会的地位のメリットを際立たせる。

出世競争を激しくする。社会全体に広がる地位への執着と軽蔑を生み出す。

(封建国家や独裁国家を除いた民主主義)では所得格差は歴史的水準まで高まっている。

フェデリカ・デュラントの研究。

人はなぜ不平等を見逃すのか。

「金持ちは利己的で卑劣だが、有能で経済発展に貢献している」

「貧困者は能力がなく失敗したが、思いやりがある」

こうしたレッテルにより現状を受け入れている。

平等な国ほど人助けに熱心。高齢者を助けたい!スエーデン85%。イギリス53%

移民支援スエーデン68%、イギリス14%

社会一般の利益や私的利益のためではなく、自分自身の道義的義務感が理由で移民を指示している。

結局合理的判断ではなく、感情で判断している。

共感できるかどうか。私が漁師町や農村で共感を持ったり持たれたれたりできない。

サラリーマン定年者が多く存在するのは都市近郊部だと思う。練馬、所沢、千葉、埼玉あたり。

山手線内部の高級住宅街には普通のサラリーマンはいない。

格差が大きい競争社会を生き抜くには他人への共感を排除して出世競争にまい進する事が

唯一の生き残る方法であるとの強迫観念が形成される。社会的階層を上下する事で軽蔑や羨望が

生まれ、それを感じる事は幸せにマイナスになる。

「共感」は他人との交流や安心、幸福の源だ。

共感があれば人間関係、家庭、近所、国際紛争は解決する。

P152 ブルース・アレクサンダー

市場経済こそが社会の団結を破壊している。

★失業、疎外感、孤立感に適応するため中毒になる

★身の置き場がない、排除されている、良好な社会から切り離されている、自分に満足できない

★経済人とは環境破壊や格差拡大の観点では社会を壊す、反社会的概念だと言う。

市場経済に問題はあるが、市場経済よりマシな体制はみつかってない。

本書で提案される協同組合が資本主義より支持されていると思えない。

現在のG7が享受しているレベルの物質的豊かさは限界に達している。これ物質的に豊かさが増えても幸福度は増えない。

これ以上物質的豊かさを追求すれば、環境破壊や格差拡大のデメリットの方が大きくなる。

格差は心を壊す