teinenchallenge’s blog

普通のサラリーマンが充実した定年後を目指します

100年の孤独

宮崎に数年住んでいた私にとって「百年の孤独」はプレミアムな焼酎であり、生産量が少なく徳仁天皇が愛飲している皇室御用達焼酎という事で当時は定価では入手困難な幻の焼酎だった。

23年の通販価格でも720MLで6千円程度している。

当時宮崎市内で一般的に飲まれる焼酎は白霧島を筆頭にした20度の芋焼酎であり、900ML900円程度が相場であり100年の孤独など定価でも高いと感じる物であった。

麦を主体してウィスキーの要領で樽の香りをつけたものと、工場の金属タンクで大量生産生産される芋焼酎を値段で比較しても意味はない。個人的にはお湯割りにして沢山のめて芋の香りが楽しめる芋焼酎の方が美味しい。

宮崎県人に聞いても芋焼酎の方が美味しいという人が多く、百年の孤独は自分では飲まずに県外の人への贈答品、観光土産品だという人が多い。

さて、先日とある書評に目が留まった。コロンビア出身のノーベル賞受賞作家作の百年の孤独という本があり、家族がいても、出世しても孤独を感じる人におすすめしていた。

コロンビア?ノーベル賞?ちょっとウンチクのネタになるかもしれない。孤独?日本の中年男性は世界で一番孤独だとか、東京の孤独死は年間4200人で毎年増え続けているという記事を見れば自分事だしな。そんな打算で読み始めて後悔した。

 

まず登場人物の名前が覚えられない。「ホセ・アルカデディオ・ブエンディア」「アウレリャノ・ブエンディア」等、ミドルネームがあり長い。そもそも作者のフルネームは「ガブリエル・ホセ・デ・ラ・コンコルディアガルシア・マルケス」。落語の寿限無か?。日本人には発音し難いし一族の物語なので名前が似ている。

例えば、NHKの光る君に出てくる藤原氏。義務教育で全国民が暗記を求められる藤原道長が登場するが、登場人物の多くが藤原姓であり、親から1字貰うため同じような名前が多く家系図がないと理解できないとネットで話題になっているほどだ。ならば中南米の100年に渡る一族の名前など誰しも混乱するだろう。

物語では先祖のライフイベントを回顧するためいきなり先祖の名前が出てきて時系列でも混乱する。自分で家系図をメモしながらでないと読めない。

ふと見ると本の冒頭に家系図が掲載されているではないか。

次に、日本人に馴染みのない歴史上の人名や地名が多い「ユダヤ婦人ソマリア」「リオアチャ」「ネールランディア協定」などスペイン語圏の人ならしっている単語だが、私は注釈を参照しないと理解できない。

光る君をコロンビア人が見れば「陰陽師安倍晴明」「筑前守」など前提知識がなければ楽しみが削がれるだろう。

そして、空飛ぶ絨毯や130歳まで生きる人や半分人間の顔をしたクジラなどファンタジーが満載されていて理解に苦しむ事。

SF小説なら知的好奇心が満たせるし、魔法物の映画なら映像で楽しめるが、この手のファンタジーをテキストでは楽しめない。脳内で映像を想像できないほど独創的なのだ。                                                                                                                                          

このファンタジーは作者が、祖母から聞かされた迷信や伝奇寓話が面白かった経験からその寓話に基づいて書かれたために、この作品の不可欠の要素な訳だが、それが分かり難いとなると根幹にかかわる。

魔術的リアリズムとして他の作家に多大な影響を与えたそうだが、日本人にとっては感覚的に馴染みにくい寓話ではないか?

日本を代表する村上春樹氏の「1Q84」に登場する小人が紡ぐ繭や、高速道路の非常階段を降りると異次元に入り込むファンタジーさえも私には馴染みにくいのだから、中南米熱帯雨林を舞台にしたファンタジーは尚更だ。

ストーリとしては、登場人物の多くは精力絶倫で近親相姦で精神病になるなど暗いものが多い。軽い文体でファンタジー風のためそこまで読者を落ち込ませないが内容としては暗い。500ページ近い長編だが、章が分かれておらず、起承転結が明確でない。日本の寓話なら勧善懲悪や長幼の序をとくなど意図が明確だが、この本の寓話は何を意図しているのかが分かり難い。

物語のラストは、100年前に主人公の一族の始祖の村に巡業していたメルキアデスというジプシーが残した暗号文が、その後100年間の一族の歴史を預言しており、その歴を解読した瞬間に一族の最後の登場人物や町が滅びる事を予感させて終わるのだが、落ちとしては少し物足りない。

「幻想を組み込んで、一つの大陸の生と葛藤の実相を反映する豊かな創造の世界を表現した」がノーベル賞受賞理由だそうだ。確かには生きるとは何か?を考えさせられる豊かな幻想世界が広がっている事は感じた。

しかし、私には題名に込められた孤独について新しい発見はできなかった。確かに精神疾患や空想癖のある登場人物が多く、大家族なのに家族に無関心で孤独な登場人物が多いが、共感できない。

この本はスペイン語圏では爆発的に売れて、日本では60年代のラテンアメリカブームで大江健三郎筒井康隆池澤夏樹寺山修司など知識人なら読んでいないと恥と言われたらしい。

そんな本作品を面白くないと感じ、もう一度読むか?と言われればNOだ。自分には知識人や文学を楽しむ素養の欠片も無い事を改めて認識させる残念な作品だった。

 

話は全く違うが、小津安二郎東京物語」を見て面白かった。                             

これも家族の問題や孤独について扱っているが、ファンタジーは一切なく、ありふれた日常を淡々と描いている。この映画は昭和を生きた日本人シニアなら多くが共感できるのではないだろうか。

もし私が20代や30代であれば寝てしまっただろうが、定年を間近にして異郷に暮らすシニア男性になった現在の自分にはとても面白く2回も見てしまった。

ブルターニュ展

 

国立西洋美術館の「憧憬の地ブルターニュ」展がGWのためチケットが取れず、ひとまずSOMPO美術館の「ブルターニュの光と風」展に行きました。

美術に疎いためなぜブルターニュがテーマになるのか調べようと思いましたが、近所の区立図書館でブルターニュと検索しても1冊もヒットしません。

ネット検索しても日本人には馴染みのない場所で観光情報もほとんどヒットしません。

1500年代にフランスに併合されるまで英国から渡ったケルト人のブルターニュ公国として独自の文化を持っていた。

フランス革命の頃まではパリから遠く、大西洋に突き出た半島で野蛮で原始的で土着宗教信仰の残るフランスの異郷の地だったそうだ。

海に突き出た断崖絶壁、花崗岩が突き出た風景、独自の服装や祭祀をテーマにしようと多くの芸術家が集まり、特にポン=タヴァン派が知られたそうだ。

有名な画家としてゴーギャンが挙がっていたのでゴーギャンを調べる事にした。

ここからは木村泰司さんの「ゴッホとゴーキャン」から9割以上コピペしています。

ゴーギャンは1848年革命さなかのパリで生まれる。

反革命派の新聞記者であった父の立場が悪化したため、妻の親戚を頼って一家でペルーへ向かう途中病死する。

7歳の時一家はパリに戻る。

17歳から23歳まで船員として世界の海を旅する。ここまでの多感な時期で異国を流浪する生活を好むようになったのだろう。

23歳から株式仲買人として成功し年収3万フラン、絵画取引でも3万フランを稼いでいた。結婚、5人の子供に恵まれる。

休日は画を描き、サロンにも入賞し、ピサロドガなど印象派の絵を収集した。

家庭生活や経済面ではここが絶頂期。

34歳の時金融恐慌が発生し、株式仲買人を辞めて画家として生きる事を決めるが、ここからは家庭も経済面も悪化する一方になる。

この頃妻が3人の子供を連れて母国のデンマークへ帰国。残された2人の子供を抱えパリで画家として生活する事は難しく、ゴーギャンデンマーク印象派を啓蒙するという大義名分のもと、布の販売代理人となる。

しかし、デンマーク語が話せず販売に失敗。印象派の展覧会も失敗。傲慢で不愛想な性格から妻の親戚に拒絶される。

妻は経済的に自立しており子育てに対する方針や価値観の相違からゴーギャンとの関係が悪化、ゴーギャンは失意のうちに病弱な息子一人を連れてパリに戻る。

パリでは日当5フラン(4~5千円)のポスター貼りで困窮し、床で眠る事もあった。数年前の年収6万フラン(現在の価値で約5千万円)つまり約30/1の年収。

生活費の安いブルターニュに移り、カリスマ性と豪快な性格からそこで若手画家のリーダー的存在になる。

ここで生来の傲慢な性格が助長され、人を見下す話し方が身についてしまう。

その後、カリブ海に半年ほど滞在し、そこで明るい色使いや原始的、野性的モチーフを対象とした絵を創作するが、健康を害し、破産した事で国費で帰国する。

パリから再度ブルターニュに移り、「総合主義」を確立した。

ここでやっと美術展のテーマであるブルターニュが出てきます。

「フランス北西部、大西洋に突き出た半島を核とするブルターニュ地方は、古来より特異な歴史文化を紡いできました。断崖の連なる海岸や岩が覆う荒野、内陸部の深い森をはじめとする豊かな自然、各地に残された古代の巨石遺構や中近世のキリスト教モニュメント、そしてケルト系言語たる「ブルトン語」を話す人々の素朴で信心深い生活様式 − このフランスの内なる「異郷」は、ロマン主義の時代を迎えると芸術家たちの注目を集め、美術の領域でも新たな画題を求める者たちがブルターニュを目指しました。」ブルターニュ展より抜粋。

さて、話をゴーギャンに戻します。

ゴーギャンブルターニュで総合主義を確立し、ポン=タヴァン派のリーダーとして境地を開きます。

パリに戻ると一部の画家仲間からは評価を得てゆくが、依然として作品は酷評され、サロンからは評価されず絵が売れない。

折角なので総合主義について説明します。

印象派は現実のあるがままを画家自身の目に映った印象(主観)として表現している。

一方、平面的、装飾的、太い輪郭、単純なフォルムにより見る人に感情を発生させる事を目指したのが総合主義。

総合主義の目的は他者に何かの感情を発生させる事なので、実際に画家の目に写っていないモチーフも描かれている。

「説教の後の幻影」では現実の群衆の中に、聖書の「天使とヤコブの闘い」を挿入する事で、原始的人間がキリスト教に触れて幻想を見るという人間の内面を描いている。

見た目の印象をあるがまま描く印象派に対して、自分の内面の感情を表現する事で印象派から脱皮したゴッポ。

それに加えてゴーギャンは知性を融合させたため見る物に一定の知的プロセスを求めることとなる。

これが原因でゴッホの絵の方が「何となくわかる気がして」人気が高いそうだ。

確かに文明批判、原始的なものへの憧憬といったメッセージを絵から感じる。

ゴーギャンブルターニュと同じ理由で南洋に対する関心も高めてゆきます。

明るく開放的な原色で描かれるタヒチの人物や植物と、灰色で描かれる波、原野、農家のどこに共通点があるのかと

思っていましたが、原始的で素朴な異郷の地が共通点だったのですね。

こういった時代背景、宗教、土地や文化、画家の生涯に対する理解があれば、芸術的感性がなくとも絵画を楽しむことができます。

43歳になったゴーギャンは南洋への憧憬からタヒチへ向かう。

当時のタヒチはフランスの植民地。フランスが持ち込んだアルコールや梅毒により原住民はアル中や梅毒患者が蔓延していた。

現地ではフランス人が権力をふるい、現地人との差別やキリスト教への改宗が進み、ゴーギャンがイメージしていた素朴で原始宗教的、野性的楽園ではなかった。

自分が受け入れられなかったヨーロッパ社会や近代文明を堕落と見なし、原始的なタヒチを美化する事で現実逃避しようとしたゴーギャンの目指すものはなかった。

2年間のタヒチ生活で書き溜めた画を持って、画家として認められる事に期待しつつフランスに戻り、開催した個展は大失敗。

原始趣味とエキゾチックはあまりにも刺激的過ぎてヨーロッパで理解されなかった。

ゴーギャンが評価される現代に生きる私でさえ、幼い頃最初に見たゴーギャンの絵に、得体のしれぬ嫌悪を感じたのだから一般人から見れば理解され難いのはわかる。

 

47歳でブルターニュに向かう、酔って喧嘩で右足首を砕かれ、これが障害となる。

その後、喧嘩の裁判でも不利な判決となり治療費や賠償金が受け取れず、自分の作品の所有権の裁判でも負けてしまう。

相変わらず作品は評価されず、家族関係も冷え切ったまま。

プライドの高いゴーギャンは重なる禍の原因を自分でなく文明社会のせいにしまたもや現実逃避としてタヒチを目指した。

病院で治療費が払えない。植民地政府から受け入れられず、批判を繰り返し、高いプライドや自分が中心でないと気が済まない性格から仕事も続かない。

娼婦からうつされた梅毒、酔って喧嘩で骨折し不自由となった足首、過去の南洋生活で肝炎に罹患、結膜炎で視力が悪化。

経済的にも好転の兆しはなく、現地で小屋を建てた時の借金、子供の死、植民地政府との対立による孤立。

フランスに戻ろうと友人に借金を訴えたが、ヨーロッパではゴーギャンは既に伝説化され、歴史の中の人物であり、南洋のエキゾチックな画家という神話を崩さないため帰国は諦めるよう説得された。

自ら創ったイメージのためそれに囚われてヨーロッパに戻る事ができなくなった。

 

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」を描いて山に登りヒ素で服毒自殺を試みるが失敗。

その後、安いながらもフランスに送った絵が売れ、継続的に生活費を得る事となったが、生来の喧嘩好きと批判的性格から植民地政府を口汚く批判し、納税や通学の拒否を論じる新聞記事を投稿し続けた事で疎まれ、有罪判決を受ける。

罰金を払う余裕も、服役するほどの健康もなく、最後は画を描く体力も無くなった事で絶望しモルヒネの大量服薬と思われる原因で55歳の生涯を閉じたのだ。

経済的、家庭的には30代でピークを迎え、その後は悪化し続けて最後は孤独と貧困の中で自殺した。

生存中は画家として高く評価されることはなかったが、総合主義を確立し、一部の若手画家から信仰されるなど高いプライドを満足させる波が何度か訪れた。

タヒチでは10代の現地妻3人に子供を産ませ、パリでも10代のジャワ人を妻にするなど処女趣味をもち、友人や親族からの経済的支援に寄生していた。

喧嘩早く、他人に批判的で自尊心が高く、評価されない原因は周囲が理解できないためだとする現実逃避の中で生きた。

 

私の中では西洋絵画を鑑賞する目的は美しいものや、超絶技法を見る事ではない。

絵画鑑賞に伴い当時の時代背景、文化を知り、それが現在社会にどのような影響を与えているのか知る事。

そして画家の人生と自分の人生を重ね合わせ、人間の幸福とは何か?自分はどう生きるべきかについてのヒントを得る事が目的だ。

比較するのも恥ずかしいが、私は大学時代にバイクにテントを積んで九州を2週間ほど旅行し、ヨーロッパを貧乏旅行し、沢木耕太郎の「深夜超特急」に胸躍らせた。

生活のため必要に迫られ、バブル全盛期に証券会社に入社し、32歳の時、バブル崩壊で勤務先が倒産し転職した。

ゴーギャンに比べればさざ波のようだが何となく気持ちはわかる気がする。

その一方で、年収5千万稼いだ事も破産した事もなく、海外で生活した事も愛人を囲った事もない。

平凡でありふれたサラリーマン生活を続けている。

人生は終わるときの状況で幸福度が大きく変わると言われていて、私の人生はまだ終わっていない

死期を悟るまでの残りの人生でできるだけ幸福を感じるようにするかが今回の展覧会から得た学びでした。

戊辰戦争の新視点

NHKの歴史探偵を見て、欧米列強が明治維新にどう影響を与えたのか興味を持った。

番組では欧米列強が戊辰戦争の時期に自国の権益を守るため何をしていたのか説明されていた。

昔から坂本龍馬薩摩藩に対するユダヤ金融資本の支援といった陰謀論は聞いていたがもう少し

一般に証明されている史実を知りたいと思い図書館で「戊辰戦争の新視点」上巻を借りてきた。

大学教授複数による専門分野の著作であり、一次史料に基づいた抑制的な良書と思います。

出版元も吉川弘文館で研究者によるオーソドックスな歴史本の出版社です。

さて、私が学生時代に習った戊辰戦争終盤のイメージは会津白虎隊や上野彰義隊に代表される旧幕府勢力の負け戦。

北羽越列藩同盟という関西人から見れば馴染みのない地味な勢力の悲哀ドラマというものです。

江戸城無血開城までは緊迫した状況でしたが、それ以降から西南戦争までは戦後処理的イベントと認識していました。

しかし、戊辰戦争をドメスティックな国内戦としてでなく、国際貿易の視点でみると面白いです。

ザックリいうと欧米から見た日本は南北戦争後の余った武器の輸出先、英仏の植民地覇権確保先、欧州の蚕の病気による英国の織物産業を支える生糸の輸入先、茶や陶器など贅沢品の民主化を支える品目の輸入先。

この本では当時日本に駐在した仏、露、独公使が本国の指示でどのように振る舞ったか章ごとに描かれています。

興味を持ったのは福岡 万里子先生の章で「ドイツ公使から見た戊辰戦争」の章です。

当時の主要プレイヤーは英仏であり独は脇役ですが、なぜこの章が面白いのか。

2013年以降、著者が所属する研究プロジェクト(五百旗座長)がドイツ資料で日本近代史の資料研究を始めた事で豊富な史料が発見されたそうです。

これによりプロイセン戊辰戦争をどのように見ていたか具体的な史料が発見されました。NHKもこの研究をもとに番組を作ったのではないかと思われます。

当時プロイセンビスマルク宰相、日本公使はフォン・ブラントと言う人。

当時の状況は、英が薩長を支援し、仏、米、露、独が幕府支援。特に仏は当時世界中で英と植民地覇権を争っていたライバル。

プロイセンは欧州では後発の強国であり、植民地競争に乗り遅れていたため極東で植民地を持つ事は強国の仲間入りのチャンス。

ブラントはビスマルク海軍大臣宛の報告書の中で、蝦夷を植民地にすることを提案しています。

南北海道は北ドイツと気候が似ている。海産物が豊富。石炭や硫黄が豊富。牧畜やジャガイモ、小麦生産できる。幕府の防備が手薄。である事から少数の軍隊で占領できて、植民に適している。

実際にその後、短期間ではありますが兵員2千名程度の榎本武揚五稜郭蝦夷島新政権を宣言している。現代では北海道はジャガイモと小麦の主要生産県。夕張炭鉱もあった。

独が租借すれば利益を得た可能性はありますが、将来は世界大戦でドイツの海外利権は手放す事になったでしょう。

 

プロイセンはフランスとロシアに挟まれた新興国なので、日本での植民地計画により他の列強を刺激したくなかったので実行されなかったんですね。

ブラントは蝦夷地視察を行い蝦夷の勢力図を作成してビスマルクに送っており、本の巻頭にその地図が紹介されています。

会津庄内藩はブラントに対して、領地にある港や蝦夷にある領地を99年間租借するのでプロイセンから軍隊と融資を獲得するための会津藩主の委任状を送っています。

30万メキシコドルで100平方マイルの領土を購入できるとビスマルクに報告しており、ドイツ連邦文書館に公式に保管されている。

私見ですがネットで調べると4メキシコドル=1両なので、当時の価値だと140億円で260平方、札幌市の1/4位買えたのでしょうね。

ビスマルクは他国を刺激したくないため依頼を断りますが、イギリスが琉球を租借するとの情報が流れたため翻ってビスマルクはブラントに対して検討継続を指示しました。

当時の蝦夷は領地替えが頻繁で人口も少なく、誰が管理支配しているのかあやふやでしたので、会津庄内藩と契約してもどれだけ効果があったでしょうか。

しかも検討を開始する前にあっさり会津若松は負けてしまいました。

当時南北戦争終結で余ったスペンサー銃が日本に数十万丁単位で輸入されていた。

会津戦争の遺跡から銃弾が多数発掘されて、商人の取引簿も残っており会津若松藩にすれば戦に負ければ藩が消滅するわけですから背に腹は代えられず、支配権の確立していない蝦夷領地を安く叩き売ってでも武器を輸入したかったでしょうね。

実際会津藩は負けて悲惨な処罰を受けていますから。

当時西欧列強は日本では相互に牽制しており、中立を宣言していましたから安易に軍隊を使えない。

極東の日本人を支配するには自国兵隊の犠牲や列強他国との摩擦があり、戦争する事の国際世論や自国内世論が得られない状況でした。

茶、陶器、金、生糸を輸入した方が実利として儲かると判断していたのでしょうね。

日本を内戦状態にしてその隙に占領するとか、武器輸出で儲けるよりは日本が安定して外国人の安全と自由な貿易が確保される事の方が列強にとってメリットがあったのでしょう。

本格的に日本を植民地化する事はなかったでしょうが、海軍拠点や貿易拠点として沖縄や北海道など支配権が不明瞭な地域は租借という形で植民地化された可能性はある。

何れにせよ遥か海の向こうにある極東の小島日本でも利益を追求する人間の欲がすごい。

 

戊辰戦争から約70年後には日本は資源を求めて太平洋戦争で中国、東南アジア、南洋まで進軍している。

太平洋戦争は資源不足の日本が生存をかけて戦ったのでしょうが、そうなる前に中国や朝鮮で植民地を拡大したり、北米や南米への移民が欧米の警戒を招いたのだろうからはやり利益を追求する欲があったのだろう。

アメリカの崩壊

 

アメリカの崩壊  山中 泉さん著

 

日本ではロシアによるウクライナ進攻を予測できた専門家はほぼいない。

過去にはトランプが大統領に当選すると予測したメジャーマスコミはない。

予測が外れた原因についてはその後多くの分析がなされたが、本書もその一つ。

アメリカのマスコミは民主系と協和系に明確に分離されており、支持者はそれぞれのマスメディア

しか見ないため分断されている。

日本のマスコミは政治の中心地ワシントン、金融の中心NY,ITの中心ロスにしか拠点がない。

現地のメジャー新聞やニュースを翻訳して東京に送るのが仕事であり、ラストベルトや現場の取材をする

余裕も人員も不足しておりその能力がない。

英語に堪能かどうかは関係なく、人事評価による出世コースとして特派員が決まる。

日本のメジャー紙は発行部数が激減し、TVは広告収入がネットに奪われてリストラをしているので今後ますます

独自情報は取材できないだろう。

著者は共和党員ではなく、トランプの言動や性格は嫌いで、政策によって投票してきた。

著者はアメリカで40年中小企業経営をしており、オバマケアによる増税で不利益となった。

多分、輸出品メーカーでなければアメリカの中小企業主はトランプの政策を指示している。

これ以上海外の紛争や国連にお金を使うために税金を負担できない。不法移民の犯罪や福祉コストを負担できない。

日本のメジャーマスコミでは見られない貴重な意見だと思います。

バイデンはバラマキ政策で国家財政を増加させている。

1%のエリート層が使い切れない富を独占している。

議会騒乱や選挙で情報を統制し、何が正しいかを勝手に決めている。

1⃣アメリカ人の半数は20年の大統領選で不正があり本来トランプが勝ったと思っている

裁判で選挙に不正があった事は否決されている。

2⃣環境保護のためフラッキングをストップストップしたので石油・ガス価格が高騰した。

バイデン政権で石油の輸入国に転落した。

 コロナやウクライナ醸成が原因ではないのか→石油需要は過去最高だが、産出は1300から1100万バレルへ減少した。

3⃣メキシコの壁撤廃で移民を受け入れた事で、21年に200万人の不法移民が流入

 不法ドラッグと人身売買が増加した。不法移民の全ては麻薬と人身売買カルテルに資金を払う。

4⃣アフガン撤退の不手際によりNATOとの亀裂、中国やロシアの台頭を許した。

 

5⃣国民を分断した・・・ワクチン非接種者への攻撃と不利益政策。

 

民主党はビックテックやウオール街から巨額の献金を受けているため彼らの利益代弁者である。

議会堂騒乱事件で著者はリアルタイムにSNSを見ていたが、暴力をそそのかした事実はない。

にもかかわらずトランプアカウントは停止され9千万人のフォロワーを失った。

SNSで大統領選不正をコメントするだけでアカウントが停止される。

中国なみの検閲が行われている。

議会侵入はFBI内通者が煽動していた。

 

小さな項目

・副大統領機でハンターバイデンと中国、ウクライナカザフスタンを訪問し、その後数十億円の資金がファミリー企業に振り込まれている。

・不法移民の親子に1億円の賠償金。子供だけ先に移民させる、妊婦の移民が多いなどいびつ。

・ファックジョーバイデン=レッツゴーブランドン。スポーツ会場で連呼されている。

民主党勢力、グローバル多国籍企業労働組合ウォール街軍需産業、主要メディア、巨大製薬企業。ダボス会議

 安い賃金を求めてグローバルに工場を設置したが、トランプは米国内回帰を主導した。グローバル企業にとって国内労働者の雇用など興味はないので迷惑。

 バイデンの移民開放政策は米国内の低賃金労働者を増やし、民主党有権者も増やす。

言論統制。英国作家、ジョージオーウェルの「1984」ビックブラザーによる支配、その手下である高級官僚インナーパーティが一般官僚のアウターパーティ

を監視指導する。ビックブラザーはスターリンから着想を得た。

 

アメリカのミドルクラス白人は、厳格なポリコレにより発言を封じられているが、トランプはそれを代弁してくれた。

黒人でも悪い奴は悪い。環境破壊でも必要なエネルギーは必要。反人権でも治安維持のためには取り締まる。

直近のアメリカでは、「MAN,GIRL、ミセス」といった言葉が使いにくい。

民主党が厳しいポリコレ、ジェンダー教育を学校で強制することに保護者が反発している。アメリカは歴史的に子供の教育は学校でなく親が行う事が理想。

 

民主党の州では10万円以下の万引きは微罪として即日釈放、警察予算カットで犯罪が増加、著者の住むシカゴでも店舗略奪や犯罪増加により女性が銃を購入しているそうだ。

・著者は民主党環境政策による石油掘削やパイプライン停止がインフレに影響しているという。

  しかし、半導体不足やコンテナ船不足、トラックドライバーや飲食店労働者の不足も民主党の施策が原因とする理由が不明瞭だ。

不法移民による交通事故や犯罪は保険も資産もなく泣き寝入り。

不法移民の偽造運転免許証はスピード名刺なみに早くて簡単。

トランプと違ってバイデン民主党は中国に対して常識の範囲内で穏健。トランプは前例を考慮せず何をするかわからない。トランプは中国やロシアと過去の利権がない。

 

  働くなら託児所料や通勤ガソリン代が必要だが、休業すれば通勤コストがかからない。地方に引っ越せば家賃も低下する。

   コロナ特別給付金をばら撒いた施策が原因というが、当時未知の感染症対策としてはやむをえまい。

  逆に働く人は倉庫の運搬作業で年間800万円貰えるらしい。エネルギー価格の高騰もあってこれでは中小企業は経営していけないだろう。

労働組合を重視した民主党のせいで、港湾の自動化が進まなかったというのも、共和党なら自動化したのだろうか?

 

22年の中間選挙では共和党の躍進が予測されるとの事。

フランス革命の志士たち:安達 正勝 筑摩書房

歴史では時々革命がおこる。

世の中の実態が大きく変化したにも関わらず社会システムが変わらない結果、ひずみが発生する。

ひずみを直す大改革に取り組まなければ国は亡びると論じる。

現代の資本主義や日本の停滞は社会システムを大改革する必要性を示していないだろうか。

現代の世界では正常に議会制民主主義が機能している国より、独裁国家の方が多いという。

議会制民主主義国家の方が経済発展をとげているため、正しいシステムであると思われている。

また、多数の人間の幸せの最大公約数を実現するためには、多数の人間の生命の安全が保障され、自由と平等が約束されているべきと思われている。

しかし、ロシアや中国を見ると、民衆は必ずしも自由や平等を求めておらず、権威ある独裁者が社会を安定させ、外国からの侵略を防ぎ、古い秩序や価値観を維持してくれる事を望んでいる民衆も多いのではないかと感じる。

著者はフランス革命について、国家の財政破綻や社会システムが現状に合っていない事から革命はいずれ起こるべき事だと論じている。

革命を形成する3名の重要人物として、ルイ16世ロベスピエール、ナポレオンを上げている。

絶対王政について。

絶対王政ヒトラーのような独裁とは違う。約束事として、国王は民の幸せを目的に統治する。キリスト教の教えに従う。フランス王については重要事項は3部会で決める。国王が出す法令は高等法院に登録されなければ発効しない。貴族は本来は国のために自費で一族を連れて戦う人だったが、フランスでは常備軍が整備されたため貴族の役割は変質したが、免税など特権は維持されていた。

また、平民が貴族身分をお金で買う事が出来るようになり、平服貴族が発生した。

啓蒙思想は100年をかけて徐々に醸成されてきた。

デカルトの流れで物事を科学的に考えようとする事。そうすると、宗教や権威や伝統に対して否定的に捉える事になる。

三身分の上位層であるブルジョアは裕福となり知的、政治的に成熟して貴族に対抗する思想を培っていった。

貴族は領地や年貢によって身分を維持した。ブルジョアは自由な商品経済取引に支えられていた。

ルイ16世について

19歳で即位し、大臣任せにせず改革を行おうとした。一人の愛人も持たなかった。具体的には以下の通り

カトリック教徒以外にも戸籍上の身分を認め、信仰の自由を進めようとした。

拷問を禁止(ギロチンは死刑囚をできるだけ苦しめないための人道的観点で考案された)

海軍改革を行った。

人口としては1%の第一と第二身分は国土の35%を所有しており、ここに課税しようとする財政改革は合理的であった。

つまりフランス革命の発端はルイ16世の税制改革であり、それに反対する貴族が3部会を開催して決定権を国王から

奪おうとした事で始まった。

革命の初期は立憲君主制を目指しており、王政を廃止しようと考えた人は誰もいなかった。

民衆は専制政治と国王は別ものであり、当初は特権階級を退治する事が目的であった。

民衆は国王は空気のように存在するのが当たり前で、改革をリードする事を期待していた。

これは幕末の日本も同じで、当初江戸幕府は国力を上げるために外国と限定的に開国しようとし、フランスから軍備を導入した。

また、当初は徳川幕府だけの政治指導体制から、諸大名が参加した合議制指導体制を目指したが、明治維新後は

版籍奉還や徴兵制により大名や武士身分が廃止されるに至った事を思い起こさせます。

さて、ここから本題の革命の志士に入る。最初はラファイエット

バスチーユ襲撃の翌日、国民衛兵司令官に推挙された。当時32歳で見栄えのする人物で当時民衆に人気があったそうだ。

ラファイエットフランス革命が始まる前から英雄として有名であった。

ラファイエット家は名門で裕福な貴族。一族からは有名な軍人が何名も出ている。

ラファイエット軍学校に通った後、軍隊に入って少尉から軍歴を始めた。

妻も名門貴族出身であり、義父はルイ16世の親しい友人であったためベルサイユ宮殿に出入りしていた。

ラファイエットは野心家で、軍隊の単調な生活や、宮廷の軽薄な生活を嫌っていた。

フランスに支援を求めてやってきたアメリカ人とパリで知り合い感動したラファイエットは軍隊をやめてアメリカに渡ろうとした。

驚いた家族は政府に願い出て「封印状」を発行してもらい、バスチーユに収監させようとした。

ラファイエットは裕福だったので王令に逆らって自分で船を雇って仲間とアメリカに渡った。

フランスの名家貴族が参加する事はアメリカにとって宣伝効果もあるため歓迎され、総司令官のワシントンの知己を得た。

ラファイエットはいくつもの戦闘に参加して有名となり名誉の負傷も負ったそうだ。

1年後にフランス政府が正式にアメリカ軍を承認し軍事協定が締結された。

有名になったラファイエットはベルサイユ宮殿のパーティーでアントワネットからダンスの相手に指名され、パリのオペラ座で観劇すると民衆から拍手された。

プロシアのフリードリヒ大王やロシアのエカテリーナ2世から英雄として招かれた。

ラファイエットは思想家ではなく軍人なので緻密な理論がある訳ではなかった。カッコよさや話題になる聴衆の受けを狙った発言が多く、演説の時にはサクラで盛り上げさせた。

ここまでの経歴を見れば、著名な軍人であったラファイエットが国民衛兵司令官に推薦されたことが理解できるし、パリを訪れたルイ16世を市庁舎に歓迎した事も何となく理解できる。

ラファイエット立憲君主制を目指しており、王政打倒に先鋭化する革命を抑止しようとして国民衛兵に暴徒鎮圧を命じるなどしたため革命政府から逮捕状が出された。

ラファイエット自身は王家のために働いてきたし、アントワネットの母国なので寛大にされると思いオーストリアに亡命したが、オーストリアでは革命分子として5年間投獄された。

恐怖政治のさなかに妻は投獄され、妻の家族が処刑された。その後、ナポレオン時代にオーストリアから解放されたが不遇の時代を過ごした。

途中でアメリカ旅行をした時には建国の英雄の一人としてアメリカ中で歓迎された。

7月革命でブルボン家が追放されたときに革命初期と同じような状況となり73歳にしてパリ国民衛兵司令官に就任した。

フランス共和国最初の大統領となる可能性もあったそうだ。

ロベスピエールやダントン、マラーなど革命初期の志士が処刑された事に比べれば国民に敬愛された最後は幸せだったと書かれている。

ラファイエットの墓には今でもアメリカが星条旗を毎年立て替えていて200年以上続けているそうです。

やはり人物史からみる歴史は面白い物語になります。

ヨーロッパの革命:遅塚忠弓  ビジュアル版世界の歴史 講談社

 

フランス革命の初歩的な本を読むと以下のような理解できないポイントがいくつかあると感じた。

絶対王政の象徴である太陽王ルイ14世のたった2代後のルイ16世がなぜ民衆から処刑されるほど権威を低下させたのか。

ヨーロッパ最強の陸軍であるフランス王政軍ははぜ市民や農民の暴動を制圧しなかったのか。

三身分が要求した国民議会の目的がパンをよこせと言う直接的要望でなく憲法制定という難解な事だったのか。

 

私にとっては本書はこれらの疑問を解決する良書でした。

前提として本書は17世紀からのヨーロッパの物質経済的な面から書き起こされており、それこそが私の知りたかった事でした。

まず17世紀のヨーロッパは寒冷期であり常に飢饉、疫病、戦乱が発生していた事、それらの要素が18世紀に変化した事をいくつかのデータやグラフで証明している。

  • 人口の増加。 1300年~1600年のあいだ、ヨーロッパの人口は横ばいであった。フランスの新生児~1歳までの死亡率は30%だったが、1750年には20%に改善。

19歳までの死亡率も60%から35%に改善している。

これにより300年間横ばいだった人口が徐々に持続的に増加し、ヨーロッパの人口は1750年の1億3千万人から、1800年で2億人になっている。

現代においてアメリカとともに先進地域である西欧だが1600年ころは人口が停滞する暗黒の後進地域だったことがわかる。

また、1歳までの死亡率が30%なので、人間も他の動物と同じく食物の制限によって自然淘汰されていた時代です。

現代先進国では乳児死亡率が1%なので、人口が逓増し環境破壊や気候変動などを引き起こしたのですね。

  • ヨーロッパの温暖化と農業技術の進歩により穀物生産が少しずつ上昇した。

フランスの穀物生産量は1700年に725トン、1800年に1,000トン。 家畜は同600フランから1500フランに上昇している。

現在ヨーロッパと言えば肉食のイメージだが、1700年頃の農村では肉食は一般的ではなかったと書かれており興味深い。

生産増大と流通制度の進歩により穀物供給と小麦価格の安定がなされた。

当時の小麦価格と死亡者数のグラフを重ねて、相関している事を説明しており興味深い。

小麦やサトウキビは人類の好きなものを提供する代わりに世界中で栽培されている事から、人類を利用して種の繁栄を達成したという説を聞いた事がある。穀物に意思があるかは別にして、結果としてはそのとおりだろう。

鳥の糞に混ざった果実の種により植物が広がる事と似ている。

本書においては版画が多用されているが、農村の食事風景の版画を掲載しており、昔は4人家族でスプーンが一つを使っており、産業革命前にはそれがパン、スープ、酒瓶が描かれており絵で見ればとてもわかり易い。

 

  • 商品経済と資本主義の浸透

農業生産の増大により余裕のできた農村におおいて多様な商工業経済が発生、職業の分化、分業制、富農や商工業者が発生。農村においても穀物生産以外に機織りなど商品経済が発生。

都市部でマーケット発生、自由な経済活動のニーズが高まる。資本の蓄積、富農の発生。

イギリスのGDPは1700年を100とすれば、1800年は250と2.5倍になっています。

 

  • イギリス革命による啓蒙思想の全ヨーロッパへの輸出。

印刷技術の進歩と識字率向上。 フランスの識字率は17世紀末の30%から18世紀末に50%に向上、これにより啓蒙思想が広がった。

イギリス革命権利の請願、権利の章典

 

西欧の全体的な革命への流れについてはちょっと順番が違っていたり、同時並行で進んだりしている事を表現できませんが、以下のようなサイクルで西洋において絶対王政から立憲君主制や共和制へ移行したという事でしょう。

農業革命→人口増→農村の商品経済拡大→産業革命→グローバルな商品経済→資本の蓄積と格差拡大→大貿易商人や大借地農園主などブルジョアジー身分の発生→封建制崩壊

ではフランス固有の要素としては次の通りでしょう。当時人口の95%は第三身分である農民や零細手工業者であった。富農や貴族は領主として領地で通行税、市場税などを課税し、製粉工場やブドウ絞り機械の独占権などが自由な経済活動の妨げとなっていた。

商品経済の発達により農民や商工業者は自由な経済のニードが高まっていた。

ルイ14世以降の財政悪化(ベルサイユ宮殿、数度に渡る対外戦争、イギリスとの争い、アメリカ独立戦争への支援)、をれを解決するために増税を計画したが貴族からも市民からも反対にあった。

まとめると、西洋全体としては、温暖化、農業と産業時術の進歩により人口や生活様式が変化し、商品経済が発達した事で富農や資本家など多様な身分が発生した。フランスとしては王室財政が破綻し、識字率向上により合理的な考えや知識が広まった。ブルジョアジーの代表としては弁護士、医師、出版業者、文筆家が国民議会に選出されている。

そして最後に国民の8割程度を占める零細農民は飢饉と重税に苦しんでいたため、パンをよこせとか、税金の帳簿を燃やすために領主や国王に対する蜂起を行った。

革命の頃にはこれに貴族の陰謀とか夜盗の襲来といったパニックが発生し全国的に反乱が広がった。

数年に渡る飢饉と王室権威の低下により体制が転覆する事は時間の問題であったという事ですね。

つまりフランス革命は歴史の必然であった。

過去100年ほどの間に溜まったマグマが、国民議会の招集からは目まぐるしい派閥争いと分裂があり、国王の処刑、他国からの干渉による戦争、ナポレオン戦争へと急激な変化を引き起こしたという事でしょうか。

 

今回はフランス革命の前提条件となる社会経済の状況を何となく把握しました。この理解をしないまま、ジロンド派とかジャコバン派とか細かい派閥争いをフォローしても迷路に迷い込みます。

また啓蒙主義を理解しようとしてもルソーを勉強するだけで難しすぎて諦めるでしょう。

一冊でわかるフランス史:福井 憲彦

明治維新においては幕府がフランス陸軍を真似したり、明治憲法においてナポレオン法典が参考にされている。

また、3部会や基本的人権といった民主義と法典を理解するにはどうしてもフランスやアメリカの革命についての理解が

必要と感じました。

フランス史フランス革命は私にとって苦手な領域であり基礎知識を得るために教科書的な本として本書を手に取りました。

フランク王国から勉強するのは負担が大きいのでまずはフランス革命の遠因を作った太陽王ルイ14世の辺りから。

ルイ14世以前も100年戦争、イタリア戦争、スペイン戦争により国力を消費していた。

ルイ14世の頃、徴兵制ができてフランス陸軍は4万人から40万人に増強され、ヨーロッパ最強と言われた。

当時は貴族が軍隊をもって戦争に参加していたため、統一した戦略ができなかったそうだ。

これは明治維新を経て各大名の兵士を明治政府の陸軍にまとめた事の参考になったのではないでしょうか。

強大化した軍隊をもった、オランダやスペインの王位継承に絡み領土戦争を行った。

しかし軍隊の維持や度重なる戦費は国内の商人からの借金だった。

ヴエルサイユ宮殿を造営し財政はさらに悪化していた。

このような放漫財政に加えて、プロテスタント国であるオランダやイングランドに対抗するため、

プロテスタントを違法とした事でプロテスタントの商工業者20万人がオランダやイングランドに流出して国力が低下した。

当時貿易で裕福だったオランダやイングランドに対抗するために、フランスとオーストラリアは関係を深めようとして、

オーストリアハプスブルク家の娘、マリーアントワネットと、ルイ15世の孫が婚姻した。

ルイ15世の孫とはルイ16世の事。ルイ16世が継いだ時にはフランスの財政は既に破綻していた。

ルイ16世とマリーアントワネットの逸話として語られている、パンが無ければケーキを食べればよいとか、

オーストリアへの亡命計画などはルイ14世時代に種がまかれていた事にもなる。

フランス革命の始まりについて。

・小麦の不作と自由価格への移行が高騰を招き民衆の暴動に繋がった

アメリカ独立戦争への支援で更なる財政悪化

・特権階級の増税→特権階級は3部会で承認されれば増税を認める(3部会は当時特権階級に有利な仕組みだった)

3部会は貴族の計画どおり空転したが、第三身分だけで「国民議会」を設置、有名な「球戯場の誓い」が行われる。

この時期は1週間単位で事態が進んでいきます。「国民議会」=憲法制定国民議会ということで、憲法を制定する事が目的の議会でした。

三身分による憲法制定の動きに対して、貴族はルイ16世に、軍隊をパリに集めるよう求めました。

それを知った民衆は武装化のため武器庫を襲いました。有名なバスティーユ牢獄襲撃やパリ市長を殺害と市政掌握。

ルイ16世は国民議会市政を認め、貴族は国外に逃亡しました。

農民が貴族の館を襲い、農地支配の証文を焼きしてようとする暴動が多発。

国民議会は暴動を鎮めるため「封建的特権の廃止宣言」を行いました。

次に、人権宣言を行いました。第一条「人間は生まれながらにして、自由かつ平等な権利を持つ」が有名です。

世界では民主主義国家の割合が半分以下だが、アジアでは安定した民主主義国家の日本で生まれ育った自分にとっては、生まれた時から人権は当たり前に保護されている権利であり、

フランス革命における人権宣言を見ても何が素晴らしいのかピンとこない。

当時のフランスの民衆の生活や社会制度を勉強する必要性を感じます。

国民主権三権分立、私的所有権の確立が盛り込まれ、ルイ14世の王権神授説が否定されました。

参考にされたのは、ルソーなどの啓蒙思想や、イギリスの立憲君主制アメリカの独立宣言。

人権宣言や国民主権が宣言され、革命政府が出来ても財政は破綻したままで民衆の生活は楽になりません。

何年も続く不作により「パンをよこせ」とベルサイユ宮殿に民衆が押しかけました。

その後、色々あってルイ16世は処刑されてしまいます。この辺はゴシップとして有名ですが、ここでは省略します。

革命政府は①ジャコバン・クラブと言われた。①は②フイヤン派、③ジロンド派、④ジャコバン派に分かれた。

④は山岳派ロベスピエールが主体となります。この辺りは歴史としては重要ですが、複雑なので省略します。

オーストリアプロイセン、イギリスなど王権国家がフランス革命が自国に広がるのを防ぐため第一次対仏大同盟を結びます。

周辺国との戦争、革命政府内の内輪もめ、好転しない経済により国民の期待が低下し、王政復活を目指す王党派が反乱を起こします。

反乱鎮圧を任された総裁の一人、バラスはここでナポレオンを起用してパリ市内の反乱鎮圧に成功します。

ここから浮き沈みがありながらもナポレオン時代が始まりますが、ナポレオン時代だけでも1冊の本ができるほどトピックスが多いため絞ります。

ナポレオンは王政を否定する革命政府で出世したにもかかわらず、自身が終身皇帝になったり、家族を周辺国の王にしたり、妻と離婚してマリールイーズと再婚するなど

王政の価値観で行動したため人気を失いました。

また、当時産業革命で力をつけていたイギリスに対し、重農国家であるフランスが海戦で負け続けた事。

大陸封鎖令で周辺国やフランス自身を貧困化させたこと。

ロシアの戦術を理解できずに焦土作戦と冬将軍に負けた事。が挙げられています。

一方で混迷を極めた革命を終息させ、外国の侵略を防ぎ、ナポレオン法典、フランス銀行、公立学校制度の整備など、合理的な近代国家の制度を整備した事が評価されています。