teinenchallenge’s blog

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戊辰戦争の新視点

NHKの歴史探偵を見て、欧米列強が明治維新にどう影響を与えたのか興味を持った。

番組では欧米列強が戊辰戦争の時期に自国の権益を守るため何をしていたのか説明されていた。

昔から坂本龍馬薩摩藩に対するユダヤ金融資本の支援といった陰謀論は聞いていたがもう少し

一般に証明されている史実を知りたいと思い図書館で「戊辰戦争の新視点」上巻を借りてきた。

大学教授複数による専門分野の著作であり、一次史料に基づいた抑制的な良書と思います。

出版元も吉川弘文館で研究者によるオーソドックスな歴史本の出版社です。

さて、私が学生時代に習った戊辰戦争終盤のイメージは会津白虎隊や上野彰義隊に代表される旧幕府勢力の負け戦。

北羽越列藩同盟という関西人から見れば馴染みのない地味な勢力の悲哀ドラマというものです。

江戸城無血開城までは緊迫した状況でしたが、それ以降から西南戦争までは戦後処理的イベントと認識していました。

しかし、戊辰戦争をドメスティックな国内戦としてでなく、国際貿易の視点でみると面白いです。

ザックリいうと欧米から見た日本は南北戦争後の余った武器の輸出先、英仏の植民地覇権確保先、欧州の蚕の病気による英国の織物産業を支える生糸の輸入先、茶や陶器など贅沢品の民主化を支える品目の輸入先。

この本では当時日本に駐在した仏、露、独公使が本国の指示でどのように振る舞ったか章ごとに描かれています。

興味を持ったのは福岡 万里子先生の章で「ドイツ公使から見た戊辰戦争」の章です。

当時の主要プレイヤーは英仏であり独は脇役ですが、なぜこの章が面白いのか。

2013年以降、著者が所属する研究プロジェクト(五百旗座長)がドイツ資料で日本近代史の資料研究を始めた事で豊富な史料が発見されたそうです。

これによりプロイセン戊辰戦争をどのように見ていたか具体的な史料が発見されました。NHKもこの研究をもとに番組を作ったのではないかと思われます。

当時プロイセンビスマルク宰相、日本公使はフォン・ブラントと言う人。

当時の状況は、英が薩長を支援し、仏、米、露、独が幕府支援。特に仏は当時世界中で英と植民地覇権を争っていたライバル。

プロイセンは欧州では後発の強国であり、植民地競争に乗り遅れていたため極東で植民地を持つ事は強国の仲間入りのチャンス。

ブラントはビスマルク海軍大臣宛の報告書の中で、蝦夷を植民地にすることを提案しています。

南北海道は北ドイツと気候が似ている。海産物が豊富。石炭や硫黄が豊富。牧畜やジャガイモ、小麦生産できる。幕府の防備が手薄。である事から少数の軍隊で占領できて、植民に適している。

実際にその後、短期間ではありますが兵員2千名程度の榎本武揚五稜郭蝦夷島新政権を宣言している。現代では北海道はジャガイモと小麦の主要生産県。夕張炭鉱もあった。

独が租借すれば利益を得た可能性はありますが、将来は世界大戦でドイツの海外利権は手放す事になったでしょう。

 

プロイセンはフランスとロシアに挟まれた新興国なので、日本での植民地計画により他の列強を刺激したくなかったので実行されなかったんですね。

ブラントは蝦夷地視察を行い蝦夷の勢力図を作成してビスマルクに送っており、本の巻頭にその地図が紹介されています。

会津庄内藩はブラントに対して、領地にある港や蝦夷にある領地を99年間租借するのでプロイセンから軍隊と融資を獲得するための会津藩主の委任状を送っています。

30万メキシコドルで100平方マイルの領土を購入できるとビスマルクに報告しており、ドイツ連邦文書館に公式に保管されている。

私見ですがネットで調べると4メキシコドル=1両なので、当時の価値だと140億円で260平方、札幌市の1/4位買えたのでしょうね。

ビスマルクは他国を刺激したくないため依頼を断りますが、イギリスが琉球を租借するとの情報が流れたため翻ってビスマルクはブラントに対して検討継続を指示しました。

当時の蝦夷は領地替えが頻繁で人口も少なく、誰が管理支配しているのかあやふやでしたので、会津庄内藩と契約してもどれだけ効果があったでしょうか。

しかも検討を開始する前にあっさり会津若松は負けてしまいました。

当時南北戦争終結で余ったスペンサー銃が日本に数十万丁単位で輸入されていた。

会津戦争の遺跡から銃弾が多数発掘されて、商人の取引簿も残っており会津若松藩にすれば戦に負ければ藩が消滅するわけですから背に腹は代えられず、支配権の確立していない蝦夷領地を安く叩き売ってでも武器を輸入したかったでしょうね。

実際会津藩は負けて悲惨な処罰を受けていますから。

当時西欧列強は日本では相互に牽制しており、中立を宣言していましたから安易に軍隊を使えない。

極東の日本人を支配するには自国兵隊の犠牲や列強他国との摩擦があり、戦争する事の国際世論や自国内世論が得られない状況でした。

茶、陶器、金、生糸を輸入した方が実利として儲かると判断していたのでしょうね。

日本を内戦状態にしてその隙に占領するとか、武器輸出で儲けるよりは日本が安定して外国人の安全と自由な貿易が確保される事の方が列強にとってメリットがあったのでしょう。

本格的に日本を植民地化する事はなかったでしょうが、海軍拠点や貿易拠点として沖縄や北海道など支配権が不明瞭な地域は租借という形で植民地化された可能性はある。

何れにせよ遥か海の向こうにある極東の小島日本でも利益を追求する人間の欲がすごい。

 

戊辰戦争から約70年後には日本は資源を求めて太平洋戦争で中国、東南アジア、南洋まで進軍している。

太平洋戦争は資源不足の日本が生存をかけて戦ったのでしょうが、そうなる前に中国や朝鮮で植民地を拡大したり、北米や南米への移民が欧米の警戒を招いたのだろうからはやり利益を追求する欲があったのだろう。