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一冊でわかるフランス史:福井 憲彦

明治維新においては幕府がフランス陸軍を真似したり、明治憲法においてナポレオン法典が参考にされている。

また、3部会や基本的人権といった民主義と法典を理解するにはどうしてもフランスやアメリカの革命についての理解が

必要と感じました。

フランス史フランス革命は私にとって苦手な領域であり基礎知識を得るために教科書的な本として本書を手に取りました。

フランク王国から勉強するのは負担が大きいのでまずはフランス革命の遠因を作った太陽王ルイ14世の辺りから。

ルイ14世以前も100年戦争、イタリア戦争、スペイン戦争により国力を消費していた。

ルイ14世の頃、徴兵制ができてフランス陸軍は4万人から40万人に増強され、ヨーロッパ最強と言われた。

当時は貴族が軍隊をもって戦争に参加していたため、統一した戦略ができなかったそうだ。

これは明治維新を経て各大名の兵士を明治政府の陸軍にまとめた事の参考になったのではないでしょうか。

強大化した軍隊をもった、オランダやスペインの王位継承に絡み領土戦争を行った。

しかし軍隊の維持や度重なる戦費は国内の商人からの借金だった。

ヴエルサイユ宮殿を造営し財政はさらに悪化していた。

このような放漫財政に加えて、プロテスタント国であるオランダやイングランドに対抗するため、

プロテスタントを違法とした事でプロテスタントの商工業者20万人がオランダやイングランドに流出して国力が低下した。

当時貿易で裕福だったオランダやイングランドに対抗するために、フランスとオーストラリアは関係を深めようとして、

オーストリアハプスブルク家の娘、マリーアントワネットと、ルイ15世の孫が婚姻した。

ルイ15世の孫とはルイ16世の事。ルイ16世が継いだ時にはフランスの財政は既に破綻していた。

ルイ16世とマリーアントワネットの逸話として語られている、パンが無ければケーキを食べればよいとか、

オーストリアへの亡命計画などはルイ14世時代に種がまかれていた事にもなる。

フランス革命の始まりについて。

・小麦の不作と自由価格への移行が高騰を招き民衆の暴動に繋がった

アメリカ独立戦争への支援で更なる財政悪化

・特権階級の増税→特権階級は3部会で承認されれば増税を認める(3部会は当時特権階級に有利な仕組みだった)

3部会は貴族の計画どおり空転したが、第三身分だけで「国民議会」を設置、有名な「球戯場の誓い」が行われる。

この時期は1週間単位で事態が進んでいきます。「国民議会」=憲法制定国民議会ということで、憲法を制定する事が目的の議会でした。

三身分による憲法制定の動きに対して、貴族はルイ16世に、軍隊をパリに集めるよう求めました。

それを知った民衆は武装化のため武器庫を襲いました。有名なバスティーユ牢獄襲撃やパリ市長を殺害と市政掌握。

ルイ16世は国民議会市政を認め、貴族は国外に逃亡しました。

農民が貴族の館を襲い、農地支配の証文を焼きしてようとする暴動が多発。

国民議会は暴動を鎮めるため「封建的特権の廃止宣言」を行いました。

次に、人権宣言を行いました。第一条「人間は生まれながらにして、自由かつ平等な権利を持つ」が有名です。

世界では民主主義国家の割合が半分以下だが、アジアでは安定した民主主義国家の日本で生まれ育った自分にとっては、生まれた時から人権は当たり前に保護されている権利であり、

フランス革命における人権宣言を見ても何が素晴らしいのかピンとこない。

当時のフランスの民衆の生活や社会制度を勉強する必要性を感じます。

国民主権三権分立、私的所有権の確立が盛り込まれ、ルイ14世の王権神授説が否定されました。

参考にされたのは、ルソーなどの啓蒙思想や、イギリスの立憲君主制アメリカの独立宣言。

人権宣言や国民主権が宣言され、革命政府が出来ても財政は破綻したままで民衆の生活は楽になりません。

何年も続く不作により「パンをよこせ」とベルサイユ宮殿に民衆が押しかけました。

その後、色々あってルイ16世は処刑されてしまいます。この辺はゴシップとして有名ですが、ここでは省略します。

革命政府は①ジャコバン・クラブと言われた。①は②フイヤン派、③ジロンド派、④ジャコバン派に分かれた。

④は山岳派ロベスピエールが主体となります。この辺りは歴史としては重要ですが、複雑なので省略します。

オーストリアプロイセン、イギリスなど王権国家がフランス革命が自国に広がるのを防ぐため第一次対仏大同盟を結びます。

周辺国との戦争、革命政府内の内輪もめ、好転しない経済により国民の期待が低下し、王政復活を目指す王党派が反乱を起こします。

反乱鎮圧を任された総裁の一人、バラスはここでナポレオンを起用してパリ市内の反乱鎮圧に成功します。

ここから浮き沈みがありながらもナポレオン時代が始まりますが、ナポレオン時代だけでも1冊の本ができるほどトピックスが多いため絞ります。

ナポレオンは王政を否定する革命政府で出世したにもかかわらず、自身が終身皇帝になったり、家族を周辺国の王にしたり、妻と離婚してマリールイーズと再婚するなど

王政の価値観で行動したため人気を失いました。

また、当時産業革命で力をつけていたイギリスに対し、重農国家であるフランスが海戦で負け続けた事。

大陸封鎖令で周辺国やフランス自身を貧困化させたこと。

ロシアの戦術を理解できずに焦土作戦と冬将軍に負けた事。が挙げられています。

一方で混迷を極めた革命を終息させ、外国の侵略を防ぎ、ナポレオン法典、フランス銀行、公立学校制度の整備など、合理的な近代国家の制度を整備した事が評価されています。