著者:磯田道史
カラー版 江戸の家計簿
宝島新書
この本を読むのに一番重要な事は「前書き」と「この本で使う基準」のページです。
この本に記載されている1両を「現在の価値」には以下の2つがあるとの事。
1両をお米の価値で現代に換算すると6万円。労働の価値で換算すると30万円。
つまり江戸時代と現代では、お米の価値と労働の価値の差が広がっているという事を理解しながらこの本を読まないと誤解すると思います。
遠山の金さんの俸禄は1,050石なので、1,050両
- お米換算価値:6,615万円
- 労働換算価値:3億1500万円
なぜこうなるのか。今より当時はお米の価値が約6倍高かったという事だろう。
現代は品種改良、農薬や農耕機械が進歩して生産性が上がり、安い外米が輸入可能となり、小麦など主食の多様化により江戸時代より米の価値が相対的に低下したのだと思う。
一方、行商や髪結、商売人などのサービス労働は輸入ができず、お米など農産物のように生産性が高まっていないのでしょうか。
散髪屋さんの髭剃りとか、博多の屋台の労力は江戸時代も今も同じ気がします。
遠山の金さんの俸禄は労働力の価値としては3億円を超えていたが、現代の最高裁判事の年収が4千万なのでサラリーマンとしては想像を絶する別格。
しかし、その俸禄をお米のまま現代に持ってきて換金すれば6,615万円分相当。
年収が3億円を超えていても、年収の中から、武士として40名ほどの家来を持たないといけないので自分が使えるのはどれくらいだったのでしょうか?
使用人40人の年間コストは、労働価値で試算してみると、仮に年収300万円×40人=1億2千万円。
町奉行は激務でスーパーエリートで2度に1名~1名しかいない希少な職業なので庶民の事例を見たいと思います。
紀州藩士 酒井さん。江戸勤番時の家計の古文書が残っているようです。
年収が労働価値では600万円で想像の範囲内です。しかし、お米の価値にすれば年収100万円になってしまいます。
食事を見ると、お米は朝炊いてそれで1日を賄います。朝はご飯とみそ汁。昼はお米と魚。夜はお米と香の物。江戸時代は豆腐がよく食べられていたのでたんぱく質は何とか補充できたと思われますし、お米が3食あるので炭水化物も何とか補充できた。
ビタミンとか脂質が不足してる感じですね。
余談ですが、地方では雑穀米でしたが、江戸ではお米が集まるため白米であり脚気になりやすく、江戸患いと呼ばれていました。
労働価値と米の価値に加えて異なる貨幣が使用されているため江戸時代の「価値」を現代と比較するのは大変難しいようです。
商業では、西日本は外国交易もあり銀。東日本は金が使われた。
農業や大名の俸禄はお米。庶民は銅銭。
全国規模で商売をするなられらのレートを見ながら売買と決済をする必要があるんですね。
現代で例えるなら多国間の貨幣や原油を決済するイメージでしょうか。
人口の8割を占める農民の収支は、農民の識字率が低く、記録が少ないようですが、年収400万円で支出が340万円、貯金が60万円(2両)であり、飢饉が発生しなければ普通の生活が送れていたようです。
大工の年収は労働価値だと800万円、お米価値だと140万円くらい。
歌舞伎を見て、子女に習い事をしていたが、借家で貯金はなく宵越しの銭はもたない。
火事があると年収が高騰する。
貯金したり物欲を満たしても毎年火事で灰になるだけなので使い切る。
毎年火事が発生するから大工が失業することはない。
事故や高齢で働けなくなったら終わり。
家計簿から少し外れますが、調味料の項目が面白かったです。
江戸時代の醤油は関西物で大麦を使っており上品かつ甘口で高価だった。
関東では小麦を使い、香りが強い濃い口醤油が出来て廉価となり普及化した。
濃い口消費は香りが高いと蕎麦や鰻のタレに適していた。
江戸を学ぶことが現代の食習慣の理解にも繋がります。
江戸時代味噌は家庭で作るものだった。
江戸の甘味噌は塩分が少なく日持ちが10日しかない。
塩分が多い仙台味噌は参勤交代で江戸に広がった。
徳川家の東海の豆味噌も広がった。
江戸時代から各地の味噌が流通して合わせ味噌も流行していたそうです。
下総の行徳は塩の産地だったが、瀬戸内海が干満の差による干潟塩田であるのと異なり人力で海水を陸揚げするため労力が必要で生産が少なかったため、瀬戸内海の塩が行徳の20倍も輸送された。
だから東京でも赤穂の塩がブランドなんですね。その塩で儲けていた赤穂藩の討ち入りも有名。
魚一匹の値段は以下のとおり。
鯖 5千円 鯛2万~20万 初ガツオ15万 マグロ3千円
鯉 8千~5万円 フナ4千円 ナマズ8千円
面白いですね、マグロが一番安いです。当時マグロは下品な青魚と言われていたそうです。
初ガツオの値段は載っていますが、普通のカツオはおいくらだったのでしょうか?
現代でも大間のマグロの初セリは何億円とか報道されますが。
鶴は時価だが10万円くらい、鴨は2万円くらい、鶏卵は1個100円。
これらの記録、実はシーボルトが調査した380種類のリストのコピーがベルリンの日本研究所に所蔵されていたものを分析したそうです。
シーボルトは単にオランダ商館医として日本に派遣されたのではなく、交易相手としての日本の社会経済物産の総合調査の使命が与えられていたそうです。
また、学者の家系であり、家名を上げるために博物学や植物学も的研究もしていたとの事。
高校の教科書には「オランダ商館医であったドイツ人シーボルトが鳴滝塾を開き長野長英らを育てた」とだけ記載されていますが、江戸の物価研究に大きな貢献をしていたんですね。
話は変わります。
江戸では火事防止のため天ぷらは屋台で食べるのが基本。
今だと屋台で立ち食いは行儀が悪い感じになりますが、当時は防火のためもあったんですね。
火事が多く店は焼けるため屋台で人手の多い所で商いをするのは合理的だった。
今でも縁日の屋台で色んな屋台がたっていますが、今後は屋台を見ると江戸時代を思い出す事になりそうです。
寿司は現代と異なり1貫単位の販売、お握りくらいの大きさがあったので1貫で。
江戸でも当初うどんが多かったがなぜか蕎麦になった。・・なぜかは解決されません。
貴重な蛋白源は豆腐で、100種類の豆腐料理を紹介する本が流行ったそうです。
豆腐蛋白ならコレステロール値も上がらず健康的。
もし日本が貧乏になったら江戸時代の豆腐本を復活させて、皆で豆腐比率を上げてゆけば、健康にもなれる?
大豆さえあれば味噌も醤油も納豆も作れる。
鰻も江戸の代表的な食べ物で、墨田川の河口がブランド。
当時スイカは甘くなかったので砂糖をまぶしていた。でも当時は高価だった砂糖をまぶすと値段が2倍になるそうです。昭和初期はスイカに塩をかけてましたが・・・令和のスイカは甘いのでこれに砂糖をかけたら甘すぎですね。
江戸の人口は100万人。そのうち半分は武士。そして残りが町民。
武士は消費者。町民の一部は大工などの生産者だが、多くは物流やサービス業。
江戸時代も今も江戸東京は巨大な消費地に変わりない。
江戸では男性一人当たり一升瓶10本を消費していた。
男性比率が高い事や、単身赴任の各藩江戸勤番の情報交換にお酒が使われた。
当時江戸を訪れた外国人は、墨田の花火や江戸の祭りやお酒の消費や屋台が並ぶさまをみて、「江戸は毎日がお祭りのような生活」と表現しています。
火事や地震や噴火などの災害も多く、人口も世界最大の刺激的都市東京だったんですね。