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戸山公園

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戸山公園

 

戸切絵図より

今日は徳川家斉が戸山山荘に御成りになる気分を味わいます。

江戸城から牛込御門を出て神楽坂をとおり、穴神社で休憩して
から戸山山荘に入る早稲田通りがルートだったそうです。
神楽坂は江戸大火で麹町から神楽坂に移設された善國寺の門前町としてにぎわいます。
また、関東大震災日本橋や銀座から移ってきた花街の面影が残っています。
私が訪問した早朝はお店が閉まっていて途中の鶴巻南公園でお弁当を食べて進みます。

暫く歩くと穴八幡宮の赤い鳥居が見えます。

鳥居の横には流鏑馬銅像があり、高田馬場らしさを感じる事ができます。

清水家下屋敷とその横に存在した高田馬場は現在甘泉公園となっているが、馬場の跡かたはありません。
彦根藩下屋敷は現在大隈庭園になっている。
私が訪れた土曜日は大学生と家族連れが半々ほどいて庭園でお弁当を食べていました。

そして、尾張藩下屋敷は現在戸山公園になっています。
箱根山荘は東京ドーム10個分13万坪で近世最大の大名庭園
箱根山は人口築山。一応山手線内最高峰。
江戸の頃は将軍やお殿様しか登れなかったそうですが、今は誰でも登れます。
私が登った時には狭い山頂に若い家族だけがいて気まずい雰囲気でした。
世が世なら庶民の私たちが入れる場所じゃないんだよと思いながらも、周囲は鬱蒼とした木が生えて見晴らしはなく、歴史を知らなければその価値を感じる事はできません。


当時庭園には実物大の宿場が時代劇のセットのように作られていたそうです。
自由に城外に出れない将軍様が旅気分を味わえるテーマパークのような存在でした。
当時は大名でも自由に江戸に出る事はできず、自分の屋敷でも出る門と帰ってくる門を事前に届け出て、その通りに帰ってこないと門番に入れてもらえなかったそうです。

尾張藩上屋敷は市谷にあり、現在は防衛省の敷地となっています。
中屋敷は麹町にあり、現在は上智大学の敷地となっています。
下屋敷は複数ありましたが、最大のものが戸山山荘でした。
早稲田大学学習院大学、戸山ハイツになっています。

東京で巨大施設が作れたのは広大な大名屋敷跡を利用できたため。
廃藩置県で大名がなくなりその屋敷は全て不要となった跡地を利用できた。

もし豊臣家が存続して大坂に幕府を開いていたら、
参勤交代はなく、大名は大坂に大名屋敷を設置する必要はなく、
その跡地を利用した公官庁や大学や公園は造れなかったでしょう。

民家を用地買収して巨大な空間を創るのは時間とお金がかかりすぎます。

現在の首都東京があるのも江戸をゼロから作った徳川幕府のおかげです。