teinenchallenge’s blog

普通のサラリーマンが充実した定年後を目指します

お坊さんが困る仏教の話


江戸時代の歴史に興味を持つ者として、興味のある
最後の第五章のみコメントします。

徳川幕府キリスト教を排除するために
構築したが寺請制度。

徳川幕府ができるまでは、戒名というのは教団に貢献した公家や
大名レベルなど一部人のみに生前に送られる名前であった。
一般庶民全員に戒名をつけるようになったのは江戸時代である
との事です。

戦国時代から江戸時代初期に日本にはキリスト教の猛烈な進出が
あったそうです。浄土教団が起こした一向一揆を連想した徳川幕府
は恐怖を感じたそうです。
徳川幕府は「法度」を制定し、本山の責任者の大僧正は幕府が任命する。
本山が中本山や末寺の住職を任命をし、末寺の財産権も本山が握った。
これにより幕府の意図を末寺まで徹底させていった。。

末寺はキリシタン信者を見つけて改宗をすすめ、
改宗しなければ津軽へ追放した。
こうした政策にもかかわらず1637年島原の乱がおこり、
江戸幕府に衝撃が走り、「寺請」制度を創った。
お寺に登録した人に、「この人はキリシタンではない。」
という証明書を発行した。これを「寺請証文」という。
寺請証文がないと関所が通れず、嫁入りの時にもこれが必要だった。
そしてお寺さんは檀家の戸主とその家族の出生から死亡までを宗門人別帳
で管理した。 今で言えば戸籍謄本。お寺が市役所の役割を担った。
お寺の権力は拡大し、檀家は子孫の代まで宗旨替えができなくなった。
葬儀を菩提寺で行うためには仏の弟子になり、戒名がついている必要
があったため、庶民全員に戒名がつくようになったという事です。
現代の戒名はこれを引き継いでいるため、信仰の結果ではなく江戸幕府
の治安対策の結果だという事です。
子供の頃私は、なぜ日本人は大乗仏教などという非科学的宗教を
日本人全員が信じていたのだろうと不思議でしたが、信仰に関係ない
という解説に目から鱗で納得してしまいました。

本来の釈迦仏教は死後の世界はないと断言されています。
それが大乗仏教になって死後の世界で救済されるという理屈になる。
つまり、死後の世界を信じるかどうかが戒名をつけて仏式葬儀を行うか
どうかの判断の基準のはずです。
キリスト教イスラム教も死後の世界があるとの教義なので
科学的思考をもってしても死後の世界を自信をもって否定できる
人は少ないのでしょうね。

f:id:teinenchallenge:20210818182101j:plain

お坊さんが困る仏教の話



終戦記念日

終戦記念日

f:id:teinenchallenge:20210815094215j:plain

終戦記念日


※ 朝日新聞の記事からの転載です。
「キメラ-満州国の肖像」京都大学山室信一
1980年に山縣有朋が主張した「主権線」と「利益線」の考え。
資源のない日本が発展するには、国境の外側に利益線という
勢力圏を形成して資源の安定確保が必要。

日清戦争の頃から戦争は「総力戦」となり資源を確保しなければ
総力戦には勝てなくなった。

当時日本最大の仮想敵国はロシア。
ロシアは常に南下政策をとり、朝鮮半島を窺っていた。
朝鮮半島を占有されると目と鼻の先は日本であり、大陸への
足がかりが無くなる。
また、日露戦争の復讐を恐れていた。
だからドイツと同盟を組んでロシアをけん制しようとした。

また、総力戦を維持するため東南アジアで確保した石油等の
資源の返還を求める欧米とも戦争しなければ総力戦ができなくなる。

アメリカが日本や中国と行った経済封鎖を見れば、当時の
欧米が資源封鎖をしたことを見ると欧米が経済戦を戦略的に
使うのは同じに見える。

余談だが、日本は短期決戦と講和を目指して開戦して失敗した。
当時海軍は開戦に否定的、陸軍は満州権益もあり主戦派。
当時の知識人や政権、軍部中枢は日本がアメリカに勝てるとは
考えていなかった。
ハワイを打撃すれば数カ月はアメリカの太平洋艦隊は再建できない。
その間に太平洋圏を電撃支配して有利な条件で休戦に持ち込む計画だった。
しかし、世論やメディア、軍部の主戦派により安易な妥協講和が認められる雰囲気
にならず戦線拡大となってしまった。

日露戦争で戦争補償が少ないと小村寿太郎が世論から叩かれた事や、
青年将校を中心とした軍事革命のリスクもあり
戦線拡大が止めれなかった。

明治の元勲、陸軍の帝王と言われた山縣有朋の理論がベースとなっている。
山縣有朋長州藩出身の吉田松陰門下生を自称し、明治維新に参加している。
また下関戦争で欧米に敗戦し、富国強兵の必要性を強く感じている。
つまり、先の大戦明治維新によって運命づけられたのかもしれない。
欧米からの脅威により開国したのが明治維新であり、欧米の脅威に対抗する
事を目的に富国強兵を行ったのが明治なのだから、富国強兵をすすめる
ためには資源確保や軍事増強は当然の結論とおもわれる。
つまり欧米の脅威が日本を最終的に第二次世界大戦へ導いたと言えないか。
これによって日本の戦争責任を回避しようとはしない。
「善い」「悪い」ではなく、物理の法則の如くさけれない人間の性ではないか。
「善悪」の基準は社会や時代によって変遷する、戦争が犯罪となったのは世界大戦
の頃からであり、それまで侵略や戦争は国家の本能であり優位性の証明であり、
問題を解決する最終手段であったと思われる。

歴史は勝者の都合のよいように後世に教育される。
勝者とは戦勝国の事であり、戦争をして勝たなければ自国に有利な世界観を形成
できない。
昨今の米中対立が、自由主義覇権主義の世界観争いも同じだろう。

中国の台頭に対して英米仏独が南太平洋に艦隊を派遣したように、現代においても
最後は武力による牽制が行われている。
アメリカのイラク進攻理由である「核保有」「大量破壊兵器」「アルカイダ支援」
は全て事実でなく、一方的な破壊戦争となっているのを見ても戦争は国家の本能
であるとの認識は変わっていないのではないか。

さて、先の東京オリンピックの開会式で唯一賞賛されたドローンショーは
1台のPCで1800機のドローンを制御している。
ドローンのメーカーであるインテルは先の平昌でも1200機のドローンショー
を行っている。
既にアゼルバイジャンリビアではドローン兵器が実践投入されており、
オリンピックの場を利用した軍事ショーであるとの見方もある。

近代欧米国家が安易に開戦できないのは、「兵士の死」に対する世論の反対である。
ドローン兵器により自国兵士の死亡が抑止できるAIによる無人戦争が可能となれば
開戦のハードルが下がり、戦争は増えると思う。

トランプを誕生させたロシアのフェイクニュース戦略や、アメリカの石油パイプライン
を停止させたコンピュータハッキングなど、直接流血しない戦争も増加している。

中国の香港やウイグルへの弾圧、ロシアによるウクライナ進攻など国際世論の批判にも
関わらず侵略を止める事はできない。
中国の台湾進攻も現実味を帯びている。

戦後76年を経て世界戦争の記憶が薄れ、戦争自体が無くならない時代になってきた。
戦争を否定しつつも、戦争が不可避ならば「勝つ」或いは最低でも「軍事抑止力」
を持つ必要があるとの意見が多くなっている気がする。

新型コロナ感染数や全国的な大雨警報により21年8月15日の本日、
終戦記念日を特集するTV番組が少ない気がするのは私だけだろうか。

そもそもネットの発展により、若い人はTVや新聞を見なくなっている。
そのTVや新聞が終戦記念日を報道いなければ意識は遠のくばかりだろう。
またネットは比較的に先鋭化した保守派の意見が多いような気がする。
一方で左翼寄りである朝日は新聞やTV媒体であり今後も縮小しそうである。

 

 

教科書には書かれていない江戸時代

f:id:teinenchallenge:20210627091009j:plain

教科書には書かれていない江戸時代

著者が教科書の編者。
教科書では通説として「学会」に認められた説を採用する。
文部科学省と現場の先生からも受け入れられる必要がある。
本書は自由に最先端の知見を盛り込まれている。

興味のあった章2つ程度感想。
最後の将軍として慶喜は有名だが、それと比較して14代家茂は地味な存在だと感じています。
孝明天皇の妹の和宮との結婚。
1863年18歳で上洛する事となる。
交通費や宿泊費3千人の家来の費用を含めて
2千億円がかかったそうです。
大坂で3カ月滞在して朝廷に攘夷を飲まされ帰京。

1865年3度目の上洛。長州征伐が目的。
そのタイミングを狙った4か国艦隊が兵庫に入港し安政の5カ国条約を迫った。
老中が独断で承認したため朝廷が老中を罷免。
朝廷による幕閣人事介入に抗議して家茂は将軍辞職を決意したが慶喜に引き留められた。

1866年頃から体調が悪化、重度の脚気の症状、両足が水膨れて、嘔吐を繰り返した。
最後は国難の中、死んでしまうのが残念だと繰り返していた。
将軍在位8年、20歳の死。

在職中は朝廷から呼びつけられて上洛や出兵を行わされた。
幕府内の意見もまとまらず、自分の意思も反映できない。
自分の思い通りにならずに何度も両目に涙をためていたそうです。
病弱な心身を蝕んで死期を早めたのではないか。
将軍なんて羨ましくないですね。
そんな家茂を補佐した慶喜も将軍職に魅力を感じるわけがありません。

特に慶喜は大奥や幕閣、薩長諸藩から嫌われていた。
一橋家なので自分の軍隊も持っていない。
将軍になったら無理難題を言われる。
東京に地盤がなく、京都は薩摩軍に囲まれており命さえ危うい。
信頼関係のあった孝明天皇も同年天然痘で36歳で死去してしまい、後ろ盾がない状態。
将軍とか天皇といっても20歳とか36歳で死んでしまっては悔いが残ろう。

・諸藩は当初は幕藩体制を維持しつつも藩の意見を政治に  反映させることが目的だった。
・下級武士の暴走で討幕が止まらなくなった。
・諸藩は開国はやむを得ないと思っていた。


大政奉還について。
当時は薩摩が京都で挙兵しようとしていた。
同じく京都で将軍に就任した慶喜にとっては、京都で薩長に攻撃されては身が危うい。
そして大政は朝廷と諸藩が合議で進める。
その中で慶喜参政権を確保しようと考えていた。

江戸時代は儒学者の時代。
これが我々には分かり難い。

江戸時代の僧侶の教養は仏典と儒教儒教を読むために漢文を勉強する。
当時の東アジアの外交文章は全て漢文のため僧侶が登用された。
家康に登用された林羅山も道春という僧侶の資格で登用された。
江戸初期には一部の藩主の教養として使われた。
松平定信によって重用され、一部で幕臣登用試験に使われた。
2回目の試験で当山の金さんの父が合格して出世して行った。
戦国時代が終わり、武士の役割が問われる中で、「民を
慈しまなければならない」という考えを儒学から身に着けた。

選挙で政治家を選ぶ民主主義に育った我々からすれば当たり前の
事だが、世襲で統治者になる大名は教育によって学ばなければ民を慈しむ
といった考えを持てなかったのだろう。
教育や学びは大切だと思う。
大名といえど幕府から睨まれれば転封されるサラリーマン社長に
過ぎないので民意より上意を気にして統治していた。

朱子学は「博学、学問の領域」
陽明学は「朱子学から入って、実額、理論と行動を一致させる」
戦国時代が終わり、軍隊から政治家へ役割が変わる中で武士がどう生きるかに対する
答えを朱子学に求めたため流行した。
学問好きな池田光政に登用された熊沢蕃山。
財政に余裕のない藩にとって金食い虫ですぐに効果の出ない学問は学問好きな藩主の道楽と思われてきた。
先進的な思想を集団で学ぶ事を疑う幕府の意向もあり光政の作った藩校は息子により関谷学校を除き廃止された
蕃山の思想は、人間は平等であり武士は民を愛さねばならない。

武士は民衆を押さえつけ、年貢を搾取して威張る武士が多い時代には画期的な思想。

本居宣長国学において。唐は王朝が頻繁に交代するため国を
信頼しておらず自己中心的であるため道徳を教える必要があった。
古代日本は島国で統一王朝が続いており同一民族であるため
教えなくとも公共を意識した道徳的な生活をしていたと主張。

高校生の頃は理解できなかったが、中国を見ていると今なら理解できる。
中国の儒学科挙により自己栄達を図る手段。
日本の儒学は庶民も寺子屋で読み書き算盤の一つとして儒教を学び、各種学問の基礎となる共通語となっていたこと。
実学でもあったという事。

SDGs

f:id:teinenchallenge:20210620152608j:plain

SDGs
絶対的貧困の6割以上はサハラ砂漠以南のアフリカで発生している。日本人として遠いアフリカの貧困にどこまで真剣に取り組めるか疑問
ヨーロッパにとってアフリカは身近な課題である。難民来受け入れをめぐって欧州でも論争が絶えない。ブレグジットの原因のひとつは東欧も含めた移民も原因だったと思う。
南米からの不法移民でトランプがメキシコ国境に壁を作るなど分断論争になっている。
移民や難民が大きな問題になる欧米と違い、日本は島国でアフリカや南米から遠く問題にならない。
一方で、相対的貧困は日本にも存在しており、我々日本人としてはこの課題を解決すべきと思うが、これって一億総中流社会を目指すって事かな?
 
地球温暖化については専門家や科学者の間でも意見が分かれている。そもそも本当に温暖化しているのか。100年単位でみれば地球は定期的に寒冷期を繰り返しているようだ。近代的な気温計は100年ほど前にできたばかりなのに何世紀も前の正確な気温を本当に把握できているのか。
水中や地中で奇跡的に残っていた年輪などから過去の気候をどれだけ正確に把握できているのだろう。過去のトレンド分析によるものであり、バックミラーを見て将来を予測する手法だ。
 
温暖化の原因もはっきりしない。空気の2%ほどのCO2が増減するだけで本当に気候が変動するのか?99%を占める窒素は関係ないのか。温室効果が問題なのか。太陽の活動は関係してないのか?もし温暖化の原因がCO2であったとして、温暖化対策はコストに見合うのか。電気自動車は電気を作るときや、バッテリーを作るときの環境負荷を考慮しているのか。
その環境負担はガソリン車を作り続けることとどちらが環境に優しいのか包括的に比較されたのか?
猛暑でエアコンを使えばCO2を排出して温暖化を促進させるが、使わなければ熱中症で死んでしまう。
排ガスを出さないから何となくクリーンに感じるとか、南極の氷が崩落する映像を見て感情的に判断せずに各人が少しは勉強してから判断すべきではないかと思う。
格差問題にかんしては、世界中の上位26人の富豪と、世界人口の下位50%の富の額が同じであるとし、格差の再生産は妬みによって犯罪やテロを巻き起こすと書かれている。
一方で日本で発生する犯罪やテロの原因は経済格差による妬みなのか。
ニュースになるような犯罪は育成環境による社会性や性格の欠如が原因であるようにも見える。
近年最大のテロであるオウム真理教は高学歴エリートの若者集団によって引き起こされた。
 
ジェンダーGAPについて。
国会議員や役員に女性が少ないのは誰もが認める社会の問題だろう。
共働き世帯で女性だけが家事労働を負担するのは不公平だ。
しかし、自分世代に置き換えれば、妻は専業主婦であり、無償の家事を押し付けられるかわりにお金のために働かなくてもよいのは羨ましい限りであり自分事にできない。
独身時代は自分も家事労働していたが、家事労働の方が楽だ。私も仕事を辞めて主婦になりたい。いつでも交代してあげる。
 
シェールガスの出現によって化石燃料全体の資源寿命が延びた。結果として化石燃料全体の価格が安定した。
それまで中東に依存していたアメリカは中東から興味を失った。
結果として中東の警察官がいなくなり、紛争が表面化した。
再生エネルギーが発展して石油需要が低下すれば石油に依存する中東は不安定化して紛争が多発しないだろうか?
エネルギー問題は国家安全保障問題であり、利害が大きく異なる。
SDGsは目標とターゲットがあるのみで法的拘束力がない事が画期的らしい。目標が達成できなくてもペナルティーは無い。トランプ政権でアメリカは環境問題や国連を軽視して離脱したが何の拘束力も発揮できなかった。しかしNikeなどの企業では労働問題によるボイコットペナルティーが発生した。そのため国の政権や政策とは別にグローバル企業は継続的にSDGsに取り組まなくてはならない。
SDGsに対して各主体が自由にターゲットを選び解決策を考える事となった。そのため創造性や自主性が必要になる。
なぜルールやペナルティーがないのか。自治体や企業では目標達成を上げるとできなかったときのネガティブな影響考えて躊躇する。そして目標設定自体が行われなくなる。COP15の合意もこの理由で失敗。ルールやペナルティーを設定することで合意に至らなくなってしまう。
つまり積極的にルールを設定しないのではなく、合意できないから設定しなかったという側面がある。
 
第二次世界大戦の反省から世界の平和を目的として国際連合が発足した。
戦後の復興に伴い60年代の経済成長で環境が悪化した。
1972年のローマクラブで成長の限界限界が発表され2072年には地球の資源が限界を迎えると報告された。
1992年リオデジャネイロ地球サミットでは開発と環境は不可分であるとの認識が広がった。将来の世代が住めるように世代間公平性と言う概念が発生した。完全な科学的確実性が欠けていても深刻で不可逆的な被害は予防措置が必要だとされた。
根拠が完全でなくとも人間が地球に住めなくなる可能性のリスクは予防するのは当然だと思われる。
9.11ではテロリストは貧困や経済の国際間格差が原因であると分析された。
 
目標①
 
「貧困をなくそう」日本では絶対的貧困より相対的貧困の方が課題。可処分所得の中央値の半分に満たない所得の総人口における割合を減らす事。日本では120万円未満となり約16%程度、6人に1人が該当。これを半減する。老人の貧困も社会的問題になっているが高齢化が進み今後も課題は大きくなるだろう。気候変動も農業や災害の罹災者の貧困を増やす原因となるためここに含まれる。
 
目標②日本では飢餓でなく、を食料自給率が課題。
 
目標③「すべての人に健康と福祉を」
日本ではユニバーサルヘルスカバレッジ(UHC)「すべての人が適切な健康増進予防治療機能回復に関するサービスを支払い可能な費用で受けられること」が目標。山間部の医療アクセスをどうするかといった課題が例示されているが、コアシティ化が合理的。日本の後期高齢者医療費は現在一人当たり95万円程度となっており、限界に近い。健康を維持し幸せに生き続けられる仕組みを生み出すことが目標。
 
目標⑧「働きがいも経済成長も」
日本でSDGsが普及してきた1つの大きな理由が目標⑧の存在。従来、持続可能な開発と言うと日本では環境の持続可能性に偏りがちであった。これを人類の繁栄は経済成長が前提と言う文脈に押し戻した。つまり経済成長が目標に入ってきたことで経済・社会・環境と言う3側面が同じ土俵に乗った。経済成長と環境悪化の分断を図るのがこの目標。
大量生産大量消目標費型から効率的で生産性の高い生産が求められる。
産業の多様化、技術の向上、イノベーションを通して生産性を高める。
これは人口減少する日本の課題そのもの。
金融機関の能力強化や金融サービスのアクセスも挙げられているが、これは日本では地銀の存在価値課題。ディーセントワーク(人間らしい働き甲斐のある仕事)をすると言う目標は、働き方改革やハラスメント対策。
 
目標⑫「作る責任使う責任」
世界の食料生産量の3分の1にあたる約1033億トンの食料が毎年廃棄されている。日本では年間2800万トンの食品廃棄物が排出されている。このうち本来食べられるのに捨てられる食品ロスは年間6,40万トン。これは世界全体の食糧支援量の1.7倍にあたる。日本で食品ロスを半減してその分を食糧支援に回すことができればそれだけで世界全体の食糧援助量が倍になる計算。
食品ロスの半分は家庭から出ているため、家庭での努力が必要でありこれは自分が取り組める目標。
 
 
目標⑬「気候変動に具体的な対策を」
SDGsの全体の8割程度は気候変動対策に関係している。
多くのターゲットは気候変動対策を具体的に示していると捉える考え方さえある。
 
産業革命以来の平均気温の上昇を2度以内にする。
すでに約1度上回っている。
現状は再生可能エネルギーよりも化石燃料への投資額が上回っていると言う現状がある。
日本においても化石燃料への補助金が出ているがために化石燃料ほうが安いと言う現状がある。
燃料エネルギー問題は安全保障問題と密接に絡んでいるため関係者の利害が一致しない。
 
課題⑰
国連で何かを決めるときには必ず南北問題の側面が顔を出してくる。
パートナーシップで目標達成しようと言う目標は国際間のパートナーシップ以外に企業や民間も含めたパートナーシップに期待できる。国民総所得の0.7%を拠出すると言う目標があるがこの目標を達成しているのはデンマーク、ルクセンブルグノルウェースウェーデン、イギリス、ドイツくらい。日本は0.28%。
SDGsが従来と違うのは国家の援助だけではない事。
ESG投資、戦略的競争優位インセンティブによる民間の動きが見えることである。
たとえば社会的環境的な効果と経済的効果を両立させるようなインパクト投資額は2013年からの3年間で4.4倍に伸びているとの事。
こうしたビジネスを通じて民間の資金が流入する。
国の援助支出は限界。
送電インフラのないアフリカに小型のソーラーランタンやソーラーパネルを設置すビジネスは、電気を供給しスマホの充電を可能にし夜間の読書や店舗の営業を可能にする。
SDGsがビジネスと組み合わされることで達成できる。
 

f:id:teinenchallenge:20210606142921j:plain

宴遊日記

 

3週間ほど前、「お殿様の定年後」を読んだ。

充実した定年後を探している自分にとって学ぶ事が多く2回読んだ。

そこで紹介されていた関連図書で理解を深める事にした。

まず、「お殿様の人事異動」と「六義園の庭暮らし」を読んだが今回は「庭暮らし」

の方が参考になった。

平凡社小野佐和子 2,400円とお高い本なので図書館で借りてきた。

著者が庭園文化史研究家であるため、庭園や植物の細かい記載が多めです。

この本の主人公は信鴻と六義園

「宴遊記」は信鴻という大名自身が10年間にわたり庭での生活を記したもので他にはない貴重な史料だそうです。

 

信鴻は柳沢吉保の孫にあたり大和郡山藩15万石の藩主を隠居。

権勢を誇った柳沢吉保は57歳で亡くなっりました。                                                                                                                                 

信鴻は40歳で隠居しており、気力と体力が充実した20年間を遊び暮らしている。

私は今55歳だか、信鴻が引退した年齢から15年も経過してしまっている。

今の世の中下手すれば70歳まで働かないと年金も出なくなるご時世、羨ましい限り。

我々のような小市民が早く隠居しても時間を持て余してしょうがないだろう。

当時世界屈指の文化都市江戸において、屈指の名園である六義園を相続し、漢詩、漢文、和歌、文学に対する造詣が深く、15万石の大名を引退して名誉も財力もある信鴻だからこそ充実した隠居が成立している。

信鴻が充実した定年後を過ごせたポイントがいくつかある。

その① 木花に詳しく、自ら庭園内の植え替えを指示し、雑草取りや野菜、果実の収穫を行い、知人の大名や文化人から珍しい花を貰って接ぎ木している。

園芸だけでも十分に老後を充実させる趣味になる。

バラを育てる人は多いし、田舎で自宅をコスモスや桜の名所にまでする人もいる。

六義園という広大な敷地で多くの家来がいて財力があれば尚更に色んな園芸を楽しむことができよう。

信鴻ほどの財力がなくとも、現代なら家庭用の耕運機や芝刈り機を買える財力があれば一人でできる事も増えるだろう。

都内で広い園芸地を確保するのは不可能なので、都外へ移住だろうか。

園芸を趣味にすると雑草処理や花の手入れは毎日行う必要があるので、病気も旅行もできなくなるね。

せっかく咲かせた珍しい花や野菜も、田舎にすんでいて見せる友人がいないと喜びも半減する。

郊外のレンタル農園のボランティアをさせてもらうのが現実的だろうか。

 

当時の時代背景として園芸が庶民にまで流行し、はやりの草木がもてはやされた。大名や文化人の間にも趣味の仲間が多かった。

オランダのチューリップバブルにあるごとく、珍しい花を通して名誉や虚栄心を満たそうと求める本能が人間にはあるのだろう。

話題はそれるが、盆栽は未だに興味が持てない。

迎賓館を見学した時に盆栽が展示されており、苔の付き具合がどうのとか、枝振りがどうのとか、十年単位で育てたといったウンチクを聞かないとその凄さが理解できないものだと感じた。

 

ポイントその②、庭を見ながら俳諧をひねり出す文学的教養が必要であり、同じ教養を持った仲間も必要。

 

ポイントその③、庭園内で歌舞伎を開催するなど芸能に対する素養がある事。

当時大名屋敷に奉公するには芸事の1つ2つはできる事が条件であるため、信鴻に仕える家来もその芸を使って歌舞伎を開催することができた。

新しい芝居がかかると、たびたび歌舞伎を観劇しており、脚本や演劇指導をするほどの歌舞伎好きだった。

園には花道を備えた本格的な舞台があり、年に2回、家臣や侍女で歌舞伎を開催していた。

現代で実現するなら、社会人演劇団を主催するのだろうが、普通のサラリーマン定年者にその能力も仲間も場所もない。

やはり演劇サークルのようなものに参加させて頂く事が現実的だろうか。

時は田沼時代、江戸が著しく発展し、江戸庶民が文化の担い手となった。

江戸は華やかな気分につつまれ、当時江戸を訪れた外国人は毎日がお祭りのような都市と表現している。

浅草や上野が盛り場としてにぎわい、料理屋が出現し、歌舞伎が流行して葺屋町では1日に千両が消費されるといわれた。

信鴻は新しい芝居が立つと家臣を連れて見に行く。当時は朝から夜にかけて食事を摂りながら一日がかりのイベントだった。

今なら

 

現代は文化を学ぶのに、図書館やネットを使えばコストと場所を選ばず学習できる。

歌舞伎もレンタルビデオなら名作が安くで見る事ができる。

美術館のイベントにいけば世界の美術に触れる事ができる。

多少余裕があれば社会人学校に通って本格的に学ぶ事も可能だろう。

問題は趣味を同じくする仲間やそれを表現する「場所」はどうするか。

 

 

信鴻は69歳まで生きたが隠居期間は20年。自分に置き換えれば60歳で定年して80歳までの隠居期間という事だろうか。

信鴻が藩主と務めたのは28年間。私が勤めたのは33年間。ちょうどお勤めに飽きる頃。

湯島や浅草に出かけて街歩きをし、芝居を見て、流行りの料理屋で飲食し、珍しい植木を買って帰る。

今で言えば、ミュージカルや芝居を見て、美術館を巡り、高級レストランや割烹で食事をして、ウィンドウショッピングして帰るという事でしょうか。

自宅でガーデニングしてホームパーティーを主催し、演奏会や俳句を披露し、将棋や囲碁を楽しむ。

NHK文化センターで美術や歴史を学び、ホームページに研究を発表し、演奏会をユーチューブに公開する。

今や信鴻もできなかったような趣味もできる。

例えば外国語や海外の歴史を勉強して海外旅行する。                                                                                                                                    

足を鍛えてアルプス登山し、写真を撮影する。

 

信鴻のような庭いじりは一見羨ましそうに見えるが、それを維持するには資金と家来が必要。                                                                                                                                    

人工的な庭は常に人でメンテが必要であり、広大な庭を維持するには膨大な労力が必要なのは想像できる。

学校での草むしり、農家の除草剤など雑草防止だけでも大変であり、個人で所有するのは現実的ではない。

別荘のように週末だけの菜園というのも難しいだろう。

宮崎に仕事で済んでいた時に、それをしていた人がいたが、夏など雑草が生え放題。

キュウリやピーマンなど1週間もすれば育ちすぎて収穫のタイミングを逃していた。

100㎡ほどの農地でも路地物は収穫期が重なるため食べきれないほど収穫できる。

虫やカラスの害もある。

TV番組のポツンと一軒家などを見ていると、建設会社の社長さんが田舎の自分の山林を仲間と切り開いて

別荘や庭園を造っていたりしますが、仕事のつてやユンボなどの重機を駆使してこそ可能。

駒込の地は江戸のはずれであった。隣り合う大名屋敷は広大で、大木が鬱蒼と茂る。

木々にはコウノトリやトキの巣があり狐が住み着く。」とある。

江戸城からゆっくり歩いて2時間ほどでこのような自然が残されていた。

このような田舎に住みつつも繁華街に近く、都市生活も満喫できた。

現代の田舎ほど不便な場所ではなく、歩いて2時間で世界屈指の江戸の繁華街にアクセスできる田舎。

 

さて庭について

そもそも吉保も博識で和歌山で和歌に詠まれた景色を再現した六義園

そこには文化的な教養のベースがある。

多くの大名庭園同様に、六義園自体が漢詩や和歌を模した理想郷であり、漢詩や和歌を理解せずに六義園は理解できない。

京都の庭園も同じ。だから漢詩や和歌、宗教逸話を知らない人が見てもなんの感慨も湧かない。

説明看板をみてその一端に触れる事はできる。

造られたころの六義園は、「和歌を主題とした庭は、古典に精通し、精進した吉保の知識と美的感覚、教養の産物」

であると評論されています。

源氏物語の六条院の庭に植えられた草木がそのままのぶときによって六義園に植えられています。

梅、桜、花菖蒲、萩、菊、文化人の庭の必須アイテムだったそうです。

ディズニーランドがディズニーの映画を再現する場所であり、映画を見ていることがランドを楽しむ前提条件だとすれば、大名や寺社庭園は和歌や漢詩、古典文学を再現する場所。

吉保の時代に綱吉の娘の訪問の栄誉に浴した時には、高価な花瓶に見事な花を活けて、螺鈿や蒔絵箱に珍しい香木を入れて各部屋を飾り立てた。

園内には町中の店が再現され、茶屋では田舎風の茶屋女の人形が出迎えたそうです。

「華やかで趣向に満ちた夢の国」と表現されておりまさにディズニーランドではないでしょうか。

六義園は地図を見る山に見える藤代峠さえも実は島になっており、膨大な水が必要な庭園。

造園当時は千川上水の経路にあるためふんだんに水が確保されていたが、のぶとき時代は上水が廃止されたため

池が干上がることが多かった様子がかかれています。

「園内の桜を全て山に移す」など植え替えを頻繁に行い、丹精込めた花が満開になれば近習たちと花見の夕餉を催し、

田楽や菜飯で宴が開かれる。

草刈りの間に宴を開き、俳句や太鼓、詩吟など文芸の遊びに興じる。

登場人物の多くは俳号で描かれており、生活の中心が文芸である。

また、友人や関係者の多くが俳句をたしなんでいる事が窺える。

「江戸時代後期の江戸は世界的にも類を見ない園芸文化の発達した都市」と記載されている。

下級武士がアサガオや盆栽を販売していた。

浅草や本所、湯島などでは鉢植えが土産物として売られ、藩から江戸えの交代の時にも土産物とされた。

園は自給の場。

野菜、穀物、木材、用材、薬草、花、竹細工、蚕の餌の桑、茶

 

浜離宮や安田庭園などは海の水を引き入れた庭園。

細川庭園や神田川上水を引き入れた庭園であり、有名な庭園は水源が確保できることが条件であることがわかります。

ホトトギスの声が終日響く6月の或る日、草刈りをし、散歩をし、詩吟をし、琴を鳴らして寝たのは夜中の1時だった」

と記載されているそうです。                                                 

私も本日はまさに6月の或る日、この本を読みながらブログを書いています。

昼前には公園を散歩して昼食を作り、録画した映画を見ようと思います。」

ぼんやりと園芸や俳句、文学を楽しむことはイメージできなかったが、この本を読むと何が楽しいのか、どのように楽しむのか、そのためには何が必要なのかが

理解できて、実現に向けて踏み出せそうな気がします。

芝焼き、栗拾い、茸栽培、菊花壇、タケノコ狩り、大和・京野菜栽培。

珍しい草花を栽培し、名前を調べる。生物学者だった昭和天皇の生き方にも通じるものがある。

教養と好奇心をもって、自然と触れ合う老後。

藤代峠で競争、池での舟遊び、花火、凧揚げ、四季折々の収穫祭、芝居上演、俳句の会、花見

六義園では本朝廿四孝などが演じられたと書いてある。

先日NHKの番組で「古典芸能への招待」において偶然にも文楽で本朝廿四孝をみたばかり。

江戸時代の事を勉強していると、歌舞伎や相撲を知らないと理解しにくい事が多いため、全く興味のなかった古典芸能を

みていたら思わぬところで繋がった。

奥庭狐火の段で狐に取りつかれた八重垣姫が諏訪湖を渡る場面なども演じられたのだろうか。

今では古典芸能として重要無形文化財になっているが、江戸時代は風紀を乱す庶民芸能として幕府からは規制の対象とされていた。

さて、取り留めない文章になってしまいましたが、結論として文化・芸能・教養・園芸は奥が深く老後の趣味として退屈なものではない事。

お金を掛けなくとも大名のように楽しめる事。そのためもう暫く江戸探索を続けてみたいと思います。

課題は友人や同好の士を探す事。

江戸切絵図散歩

f:id:teinenchallenge:20210530212250j:plain

戸切絵図散歩

永井荷風池波正太郎もバーチャル江戸散歩が好きだったんですね。
切絵図や浮世絵を見ながら散歩する事を楽しいと思う人は世の中に一定数いるのであろう。

江戸散歩のための歴史本や地形のガイドブックは沢山ある。

池波さんは「美しい地図は見飽きる事がない」とコメントしている。
切絵図は実用的な現代の地図にはない美術品の側面をもつのだろう。
今でも手元に置いて日に何度も見ると書いてある。

(池波さんは60歳と比較的お若くして亡くなられています)

景観は変わっても、東京は台地が多いため道筋は当時と変わらない。
そうなんだ、だから地形のガイドブックが多いんだね。
ブラタモリ」で木更津編を放送していた。
木更津は上等な山砂利が取れる。
古代は東京湾が無くて、関東台地から流れた河口が木更津の
辺りに集積していて、砂利も運ばれたためだそうだ。


興味深いのは、「江戸時代」と「令和」の間にある「戦後」の
東京を知ることができる事。
例えば。江戸時代の上野は寛永寺不忍池がある名所であり、
現在は美術館や動物園や繁華街がある名所。
しかし、戦後は浮浪者を収容する小屋が立ち並ぶ不潔な場所だった。

昭和の初め頃までは大川(墨田川)の待乳山あたりから渡し船
で行ったり来たりしていたらしい。
大正までさかのぼれば、大川は清流で雪降る朝は広重の絵のよう
だったと池波さんのお母さんが話していたそうだ。
ノスタルジーにすぎないと言われればそれまでだが、その景色が
残っていれば素晴らしい観光資源になったであろう。

昔は大川の河口に近い三角州、家康の入府にともない大坂から
深川八郎右衛門が入植したため深川の名がある。

深川、木場には江戸で使われる材木が集積しており、昭和初期
までは深川辺りは木屑が濃厚だったそうです。
木材を縦横に走る運河で運搬した。
江戸は火事が多かったため常に大量の木材が流通していた。

明治40年の絵地図を見ると月島や佃島は完全に離陸した島。
陸地とは相生橋のみで繋がっている。
著者は佃島にも思い入れがあるようで、挿絵や写真が多い。
いずれも渡し船を描いたもの。
昔は佃島から銀座に渡し船で出勤する女性がたくさんいたそうです。

当時は高速道路は無く、日本橋や江戸橋の上空を塞ぐものはない。

昔銀座も埋め立てられたので、地下のバーに行くと
満潮時は塩の香りがしたそうです。

著者は至る所で開発を批判しています。
運河を埋め立て、鉄橋を作って渡し船を廃止し、高速道路を
作って歴史と景観の破壊をする企業、官僚、政治家を強烈に批判しています。

地方から東京に出てきた人は江戸の歴史をしらないため貴重な
景観をためらいなく破壊するとの理屈は納得できる。
私も地方から出てきて江戸の歴史をしるまでは、その景観に
まったく感情を動かされませんでしたから。

永井荷風の時代には、まだ江戸の残り香があった。
永井は海外留学の経験があり、欧州の雰囲気で格調高い文章をリズミカルに著述していて、少し文化人として鼻につくが、大正ロマンを感じた。
そのボギャブラリ漢詩のようでありながら瞼の裏に景色を彷彿とさせる美しさがある。

池波さんは大衆小説家なので、庶民的な文章です。
また、自分の幼少期の逸話やご自身の絵についての記載、
あるいは「切絵図」そのものに対する賛美が目的なので、
同じ散歩記とはいっても目的が異なっています。

文庫版なのでせっかくの切絵図の写真も、文字が見えない!

これでは散歩のお供にならない。
私は個人的には永井荷風の日和下駄の方が好きです。

 

地図とデータで見るSDGsの世界ハンドブック

原書房から出版されている件名の本を借りて読みました。

一見地図やグラフがあって読みやすそうではありますが、世界中の各種団体や組織名が多く読んでいてもなかなか頭に入ってきません。

 

【人口】

世界の人口は2018年に76億人、2030年に85億5000万人。

2050年に97億7千万人、2100年、111億8000万人と予測されているそうです。

しかし、1970年代に毎年2.07%だった人口増加率は現在1.08%に過ぎない。

世界の合計特殊出生率は1980年に3.6人。2015年には2.4人。現在2.05人そして2100年には1.9人になると予測しています。

 

出生率が低下する原因は経済発展、性の教育振興、女性の社会進出、

衛生状態の良好。乳幼児死亡率の低下、農業の生産性の改善に伴う食生活の向上

などにより乳幼児死亡率が低下するため、出生率が低下する。

出生率が低下しても乳幼児死亡率が低下するなら増加率はあるていど維持される。

2100年には世界の人口が35億人くらい増えるわけですが、EUや中国、韓国、日本は増えない。

10年後でも10億人くらい増加するが、果たしてエネルギー、食糧、水を確保できるのか?それは後程触れられますが、獲得競争により価格が上がる事は不可避でしょう。

日本はエネルギーの殆どを輸入に頼り、再生エネルギーも極小であるためエネルギー確保は難しいと思われます。

石炭を高効率で発電するのが現実的ですが、CO2削減を目指すとそれもできない。

日本は水は潤沢だと思っていましたが、実は輸入される食糧を育てるために海外の水を使っているため、間接的に水を輸入しているとも考えられるようです。

そうすると水の輸入シェアが30%近くになるそうです。

アフリカ南部は水不足地帯なのでここで人口が増加すると不足が加速する。

日本の水源が中国に買われているとか、ボルビックの水源が枯れているという噂も聞きます。

公園の水道を直接飲めるのは世界で日本だけだという話を聞いた事があります。

それが当たり前だと思っている日本人は来るべき水資源争奪戦を勝てるでしょうか。

 

後40年で世界の人口においてヨーロッパの比重は減少、北アメリカは微増。

今後増えるのはアフリカ、ラテンアメリ、カカリブ海地域、発展途上アジア国。

特にインド、インドシナ、ナイジェリア、コンゴパキスタンエチオピアタンザニアウガンダインドネシア、ブラジルの9カ国。

いずれも発展途上国が多いです。これらの国で人口を増加させる資源が維持できるのでしょうか?疑問です。

 

これらの国が発展した場合、日本人からすればアフリカ南部や中央アジアは馴染みが無く、人口オーナスを取り込むことは難しそう。ヨーロッパの植民地であった国が多いので、欧州が取り込む事になるのでしょうか。

ブラジルは距離が遠いし、インドも人種差別や文化が相当異なる。

日本からすれば文化、距離てきにインドネシアくらいが進出できそう。

 

1950年の世界の人口に占める60歳以上は8%。2060年には22%になる。

現在世界人口の年齢中央値は30歳→1050年には36歳。

日本はもうすでに47歳→2050年には53歳。

現在50代半ばで定年後の生活設計をしている自分の体力や知力、保守的な考えから想像すると中央値が50代半ばになると経済成長は難しいと思わざるを得ません。

   

【保健衛生】

保健衛生に関する持続可能な開発のための2030アジェンダでは「あらゆる年齢のすべての人々に健康的な生活を保障し福祉を促進する。」事が目標とされている。

保健衛生を対象にするのは目標NO3のみであるが。実際には167のターゲットの約半分が保健衛生関係。

発展途上国における保健衛生の状態の改善という課題があります。

2016年には30万人の女性が妊娠や合併症で死亡。

5歳未満で亡くなる子供の数は590万人。

HIV で200万人。マラリアを患っている人は約2億人。これでは元気に働いて社会に貢献する事は難しく、社会的損失が大きいですね。

430万人が炊事用燃料による空気汚染。300万人が大気汚染でなくなっている。

これって屋内の酸欠とか有毒ガスって事でしょうか。そんな密閉された家屋があるの?

 

アメリカ合衆国の子供の死亡率は OECD 加盟国のなかでも最も高い部類。

アフリカ系アメリカ人を両親に持つ子供たちの5歳前に死亡する確率は、両親が白人の子の2倍。

世界で最も豊かな先進国でさえ乳幼児の医療を満足に受けられない現実を見ると、世界に等しく医療を提供するなど100年かかるのではないか?

全世界で医療の専門家が720万人不足しており、1035年までには1200万人が不足する。

日本女子医大の入試で女性が差別されている事が発覚したが、女性の医師を増やさないと医師全体の数は増えないだろう。

しかし、これ以上医師が増加すると健康保険や国民医療費が持続不可能という気もする。

保健衛生を向上させるには、教育を受ける機会。衛生知識を得る機会。質の高い栄養の摂取。労働条件生活環境水質が必要との事。

 

 

【食料】

 

成人の肥満率は1975年から2016年にかけて徐々に増加しているが、最近10年間

は速度が早まって増えている。

飢餓は解決されたが、カロリーが非常に高くバランスの悪い砂糖・油脂・塩分を使用した加工食品が原因で肥満が増えている。

世界規模で言えば成人の肥満率は2012年の11.7パーセントから四年間で13.2%に増えている。

肥満率が最も低いアフリカとアジアでも上昇している。

中小所得国の都市部で貧困層で激しく上昇して居るアメリカが代表的。

 バランスの悪い加工食品のおかげで飢餓から脱出した人々が肥満になっているだけだろう。

私も平日は仕事で外食となるためバランスの悪い高カロリー食ばかり食べている。

多少所得が上がっても外食はどこも同じレベルであり難しい。

勤務先の食堂もお洒落で綺麗な什器やデザインだが、みんなそこでは近くのスーパーで買ったカップラーメンや何が入っているかわからないハンバーグ弁当などを食べている。

 

 

【農業】

「極度の飢餓」の定義は、人が死ぬ状態

「食糧難」は人が死なないが栄養不足

20世紀の飢餓は政治的要素と武力紛争で大規模に発生した。

ロシア、中国、ビアフラ、スーダンなど。

2007年からの10年間で、「極度の飢餓」は減少したが栄養不良は上昇した。

主にサハラ以南のアフリカこの地域は一日一人2000カロリー。

栄養不良は、資源不足が原因ではなく資源の配分のされ方によって発生する。

先進国では大量の食品ロスが発生し、発展途上国ではカロリーさえ不足。

現在の農業生産高は世界中の人が食糧難にならないのに十分な生産量。

ブラジルのコーヒーのように国内向けの生産を犠牲にして輸出用作物を優先させる。

 

貧しい人々が食料買えないのならいくら生産量増やしても彼らの口には入らない。

農業技術の改良は貧しい現地の人のための食物生産でなく、輸出されるコーヒーなどの生産増のため。

食料問題は、農業生産や自然の問題ではなく社会政治の問題。

一部の住民の生計が伝統的な農業に依存しておりこの農業が地球温暖化の影響を非常に受けている。

 解決策は食料廃棄を減らすだと思いますが、輸送中の傷みを防ぐには地産地消。加工ロスを減らすには見た目が悪い商品も流通させる。賞味期限切れを寄付。店舗の作りすぎを安価で販売。

外食は予約制にするとか、見た目をあまり気にしないとか、自宅の冷蔵庫をチェックしたり不急の食料を買わないなど消費者努力が必要ですね。

 でも食費店は在庫切れさせれないし、共働き世帯が増加すると冷蔵庫のストックも必要。

 

【エネルギーの現状】

 

現在のCO2排出割合

中国30%、アメリカ15%、EU10%、中東7%、アフリカ3%

つまり中国とアメリカが批准しなければ排出抑制はできない。バイデンになってアメリカはCOPに復帰したが、中国は火力発電しまくっている。

中東やアフリカも化石燃料に依存している。

1990年~2014年で世界の co2は58%増した。

25年で58%増、この増率でいけば2030年に更に5割増加してしまう。

 

年間一人当たり co2排出量。

中国7.5t、ブルキナ0.2t、カタール45t。この不公平を是正せずに全体的にCO2対策を行っても効果は望めないようにおもう。