明暦の大火により江戸に火除地が作られ、その一つとして両国広小路に空間ができた。
江戸最大の盛り場となり、物売り、芸人、芝居小屋が集積していたようで、時代小説にもよく出てきますが、現在はその面影はありません。
両国広小路のすぐ北には、神田川の最も下流にある柳橋があります。
付近には屋形船や釣船が浮かび、江戸下町情緒を醸し出しています。
訪れたのが12月であり、コロナ禍で有名になった屋形船が狭い川面に並んでいて人影もなく閑散とした雰囲気でした。
明治の頃には新橋と並んで柳橋芸者が有名だったらしく、橋の欄干にはかんざしの模型が造作されています。
川沿いの佃煮屋さんに飾ってある当時の写真を見ると船と人で一杯で往時を忍ぶことができます。
神田は職人の街、だから神田明神は職人が祭る、築城のため全国や三河から職人が集まり生粋の江戸っ子を形成した一方、日本橋は商人の町、京都大坂~近江伊勢商人が集まったため上方気風という事のようです。