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回向院は江戸の歴史

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回向院は江戸の歴史

江戸っ子の皆さんには回向院の説明は無駄でしょう。

でも地方出身者で東京に住むことになった私のような人には新鮮な知識でした。

これは本とかネットで調べて書いてます。

写真は自分で撮影しました。

明暦の大火で3万~10万人が死亡し、その無縁仏を葬るために建立されました。

当時の江戸人口は多分100万人くらいなので約1割が亡くなった可能性があります。

日本のコロナ死亡者が3800人、先の東日本大震災で行方不明も含めて2万人を切る事から、江戸だけで10万人って想像できないですね。

当時は80日雨が降らず、強風が吹いていたところに、3か所から出火したため

外堀の6~7割くらいが焼失した感じですね。

 

東京の史跡の看板を読んでいて感じるのは、明暦の大火・関東大震災・空襲の3つで歴史的建物が失われている事です。

明暦の大火では何といっても江戸城本丸が焼失し、その後再建されていません。

小伝馬町の牢屋敷から罪人を逃がしたのに、浅草橋門を閉門したため、市民を含めて約2万人がここで焼死してしまいました。

昔、時代劇によく出ていた小伝馬町の牢屋敷がどの辺にあるか、浅草橋から歩いてみましたが今はビルが立ち並び、小さな公園だけが目印になっています。

江戸城防衛のため墨田川には1つしか橋がなく、多くの人が墨田川を渡れず焼死した事から、両国橋が架設されたとのこと。

また、密集した寺院や大名屋敷を周辺部へ分散した事から深川方面が開けたことなど東京の街の形成に大きな影響があったことを知りました。

 

ちなみに両国にある江戸東京博物館では焼失区域の時系列表示がわかりやすく展示されているので足を延ばしてみてはどうでしょうか。

 

また、JR両国駅内で駅の歴史展示が行われていました。

昔は両国橋がなく、千葉方面への始発は両国駅だったんですね~。

 

関東大震災の被害者の3分の1にあたる、3万5千人が焼死した本所被服しょう跡地も近くにあります。