teinenchallenge’s blog

普通のサラリーマンが充実した定年後を目指します

慶喜の趣味

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慶喜狩猟写真

まだまだ徳川慶喜に凝ってます。

慶喜は32歳で静岡隠居を開始し、その後20年以上静岡で隠居生活をしています。

政治的な発言や行動をすると明治政府から目をつけられるので、政治に全く関係ない趣味に没頭しています。

 

隠居と言っても使用人などが50人いて、数千坪の敷地のある屋敷に住み、

徳川宗家から給付金を貰っているため経済的には全く不自由していません。

またその後は、渋沢栄一の支援で保有した株式からの莫大な配当金があったようです。

政治活動はできないし、派手生活をして目をつけられてはいけないので大金は必要ありません。

それにしても、時間とお金があって、若いなら、飲む・打つ・買うになると思うのですが、とても健全な趣味生活を全うされているので私としては尊敬します。

  

さて静岡時代の慶喜の執事が業務日記を残しているので当時の生活がわかっています。

慶喜は多趣味で、自転車、狩猟、釣り、囲碁、西洋絵画、写真、刺繍など。

当時静岡で自転車を持っているのは慶喜だけだったそうですが、壁に衝突したりするので下僕は走ってお供したそうです。

自転車と言ってもダルマ自転車と言って前輪が大きく後輪が小さい昔の自転車。

写真は500枚ほど残っており、プロの写真家になったひ孫さんがいます。

毎日のように鷹狩や狩猟にでかけています。

鴨を夢中で追いかけて農家の畑を踏み荒らして農家から苦情を受けたときには、作物を全て買い上げればよいといったそうです。

明治5年の日記

鷹狩 1月2日、4、5、10、13

投網 4月7日、9、10、12,13  投網は清水港に人力車で行くそうです。

明治7年の地元新聞の記事では、地元民を指導して駿河や伊豆の山の百合を外国に輸出して利益を上げている。

茶畑を作って3万坪に500人の土民を移住させ利益を上げた。といった記事もあるそうです。

地元民を指導してほどほどに儲かる小さな事業を立ち上げるって老後の理想。

また、本妻以外に二人の側室がいて、子供が24人くらいいました。・・一人12人づつ生んでます!

お風呂では自分で体を洗う事はなく、湯殿係が洗います。

また慶喜家では来客の有無に関係なく毎日30人分の来客用夕食を準備していたそうです。

ある日経費削減のためこの無駄を廃止しようとしたこともあったようですが、お局女中さんが、元将軍の品位を保つために続けたそうです。

 

現代の定年者は3,000坪の屋敷には住めそうもありませんが、自転車、写真、絵画、囲碁、釣りくらいなら誰でもできるしょう。

慶喜は、当時は珍しい豚肉食をしていたため豚一様と呼ばれています。

また自宅でフランス料理のフルコースなども食べていたようです。

現代の定年者も豚肉は食べれるし、たまにフランス料理に行くくらいはできるでしょう。

経済の進歩に感謝です。

狩猟は猟犬の世話や、狩猟場所の確保や免許の関係もあり不可能ではないが難しい。

逆に、慶喜が出来なかったことで我々が出来る事は、海外旅行とか、自動車旅行とか。

※晩年の慶喜は自動車にも乗っていたそうですが、今のように自由にどこにでも行けたわけではないと思います。

 

話題は外れますが、慶喜が愛飲したお酒は「保命酒」という薬酒のようです。福山で作っているそうですが、私も薬草酒にしたら長生きできるかな。

 

戊辰戦争の時、大阪城を脱出して咸陽丸に乗り込んでから、出航するまで2日かかっていますが、慶喜の愛妾が乗船するのを待っていたそうです。

価値観がよくわかりませんね。

また、江戸城に逃げ戻って最初に家来に命じたのが、「ウナギを買ってこい」だそうです。

やっぱり将軍は浮世離れしてますね。

  

現代の庶民は仕事や家事や学校が人生の中心にあるので、どこにも所属せずに何もしていない人は少ない。

私は学生です。私はサラリーマンです。私は芸術家です。・・など常に何らかの組織に所属したり職業についています。

そうでないのは定年後の老人や引きこもりの無職者などでしょうか。

現代の定年者の過ごし方は「TV、新聞、図書館、散歩、スポーツクラブ」だそうです。

 

ラジオやTVの無い時代に壮年男子が45年も組織に所属せずに独りで暇つぶしをする時代もあったのですから、60歳からの15年を趣味に生きるのは簡単かも知れません!